第二十七話 義姉の凶行計画
アルフレート様の戦勝の報せから、九日。
王都は、雪に深く包まれた中で、戦勝祝賀の準備に、沸き立っていた。王宮広場では、銀色の旗が立てられ、雪の上に赤絨毯が敷かれた。楽団が、毎晩、リハーサルを重ねていた。
そして、その九日の間に──。
私は、姉と継母の最後の動きを、すべて、把握していた。
ヴェルナー卿、マリエッタ、ヤン、バルト卿──彼らが、それぞれの伝手を駆使して、姉と継母の動きを、刻一刻と、私に伝えてくれた。
「シャルロット様」
ある夜、ヴェルナー卿が、私室を、訪れた。
「お継母様、レーゲンシア様が、本日、王宮の侍従長への賄賂を、お渡しなさいました。目的は、戦勝祝賀の祝杯の配膳順を、操作すること」
「祝杯の配膳順──」
「具体的には、王陛下、王太后陛下が乾杯をなされた直後、シャルロット様、奥方様の前に、特別な紅玉色の祝杯を、お運びすることでございます。お継母様は、王太后陛下の御使いの侍女に、その祝杯を運ぶよう、指示なさっておられます」
私は、扇を閉じた。
──前世と、同じ構図。
姉と継母は、本当に、前世のあの夜を、再現しようとしている。
王宮の祝宴。私が栄誉を受け、皆の前で笑顔で立っている、その瞬間に、毒杯を、私の前に、運ぶ。前世では、それが、義姉自身の手だった。今度は、王太后陛下の御使いを装った、買収した侍女の手で。
「ヴェルナー卿、その買収された侍女の名前は、判明していますか」
「はい。──ノエル・カーティスの妹、エマ・カーティスでございます」
「妹……」
私は、深く、息を、吐いた。
ノエル・カーティスは、前回のマリエッタ濡れ衣事件で、断罪された。彼女の妹エマもまた、王宮の侍女に上がっており、姉に習って、姉と継母の手駒に、なっていた。
──姉も、継母も、前回の失敗から、何も学んでいない。
同じ家から、同じ手駒を、再び、動かしている。
「ヴェルナー卿、エマ・カーティスの内偵を、王太后陛下に、お願いしてください。本人を尋問するのではなく、彼女が、姉と継母から、いつ、どのような指示を、受けているか、その経過を、すべて、記録するのです」
「畏まりました」
そして、その夜、別の動きも、あった。
「シャルロット様」
マリエッタが、私の私室を、訪れた。
「ラントシュタイン男爵家のエミール様から、お便りが、届いております」
「エミール様から?」
私は、首を、かしげた。
エミールは、王立学院を、下位すれすれで、かろうじて卒業したと、ヴェルナー卿から聞いていた。文官試験どころではなく、実家に戻って、燻っているという。義姉との家庭の問題は、依然として、深刻だった。
私は、手紙を、開いた。
「シャルロット公爵夫人
恥を忍んで、お便り申し上げます。
私は、本日、義姉君──私の妻イザベラ様の、不審なお動きを、目撃いたしました。私の家庭教師経由で、王宮の文官部にもご連絡しておりますが、念のため、シャルロット様にも、直接、お伝えしたく、筆を執りました。
イザベラ様は、最近、夜中に屋敷を抜け出されることが、多くございます。私が、密かに後をつけたところ、お継母様、レーゲンシア様のご実家、キール家の屋敷に、たびたび、参っておられます。
そして、本日、私は、屋敷の倉庫に、奇妙な小瓶を、見つけました。茶色のラベルに、『曼陀羅華の精』と書かれておりました。私は、その小瓶の存在を、王宮の文官部に、ご報告いたしました。
シャルロット様、私は、イザベラ様を、庇うつもりは、ございません。正直に、申し上げます。私は、これ以上、妻の謀略に、巻き込まれて、共倒れになるのが、恐ろしいのです。だから、こうして、お知らせしております。
そして、シャルロット様。これまで、ご支援を、本当に、ありがとうございました。正直に申しますと、文官試験も、もはや、望み薄です。私は、実家に、戻り、静かに、暮らしていくつもりです。
──エミール・ラントシュタイン」
私は、手紙を、握り締めた。
──エミール。
私は、心の中で、彼の名を、呼んだ。
あなたは、結局、最後まで、誰かに、寄りかからなければ、生きられない人だったのですね。
そして、あなたは、姉の罪を、見過ごさずに、私と王宮に、報告してくださった。
エミールが、姉を見限ったのは、賢さからではない。ただ、これ以上、姉に、巻き込まれるのが、怖かっただけだろう。彼は、王国の秩序のためではなく、自分の身を守るために、動いたに過ぎない。
そして、私は、ふと、思い出した。
数ヶ月前、姉が、父の前で、漏らした、ひとつの言葉。
「近頃は、原因不明の熱と、発疹に、うなされて」
あの時は、聞き流した。姉の家庭の、数ある不幸の、ひとつに過ぎないと。
けれど、今、思い返すと──私の背筋を、冷たいものが、走った。
──緋斑病。
淫らな交わりを介して、人から人へ、移る病。ごく初期の、間欠する微熱と、淡い発疹。見過ごされやすい、その徴候。発症前であれば、抑え込む薬があるが、一度、緋色の斑と、高熱が、はっきりと、現れれば──もう、助からない。
前世の私は、夫の身を案じて、その薬を、ヘルガの伝手を通じて、密かに、取り寄せ続けていた。エミール自身は、その薬の存在すら、知らなかった。
けれど、今世の私は、もう、彼の妻では、ない。
彼の身の回りの、何ひとつ、守ってはいない。
私は、深く、目を、閉じた。
──エミール様。
あの、微かな熱と、発疹。それが、もし、あの病の、始まりであるならば。
まだ、間に合う。まだ、抑え込めるはずの、時期だった。
私は、口を、開きかけて、そして、閉じた。
これは、もう、私が、担うべき、役目では、なかった。
彼が、誰と、その病を、共にしたのか。私は、知らない。知る、必要も、ない。
これは、彼自身が、選んだ、人生の、重さだった。
「シャルロット様」
マリエッタが、私の傍らで、囁いた。
「お姉様の、ご家庭は、もう、ほとんど、崩壊しておられます。エミール様は、実家に、戻られる予定とのこと。文官試験も、思わしくなかったそうです」
「そう」
私は、深く頷いた。
──姉の人生は、すべての方角から、終焉に、向かっている。
姉は、エミールに、見限られ、義実家に、嫌われ、侯爵家にも、戻る場所を、失っている。そして、最後の手段として、私を、もう一度、殺そうとしている。私を殺し、私の生んだ命──まだ生まれぬお腹の子──を、消すことで、姉が、何を取り戻そうとしているのか。私には、正確なところは、分からない。
けれど、それは、絶対に、叶わない。
私は、深く、息を、吐いた。
そして、私は、最後の準備に、入った。
その夜、グリュンヴァルト公爵邸の応接間で、私は、すべての関係者を、集めた。
アルフレート様(戦勝後、すでに帰還しておられた)、ヴィルヘルム公爵、父アーデンフェルト侯爵、ヴェルナー卿、マリエッタ、ヤン、バルト卿、クルツ、ヘルガ、それから、ガルベルト先生、アンナ。
「皆さん」
私は、扇を閉じて、ゆっくりと、立ち上がった。
「明日、王宮の戦勝祝賀の場で、姉と継母は、私を、毒殺しようと、しております」
応接間に、緊張が、走った。
「私は、そのまま、毒杯を、受け取ります。──ただし、私は、毒を、飲みません。代わりに、その場で、姉と継母の罪を、すべての証言と、すべての証拠で、暴きます」
「シャル」
アルフレート様の声が、震えた。
「君を、危険に、晒すのか」
「アルフレート様、これは、最後の戦いでございます。私は、自分の手で、姉と継母を、断罪しなければなりません。──皆さんに、お力を、お貸しいただきたく、お願い申し上げます」
私は、深く、頭を下げた。
「マリエッタ。あなたは、王太后陛下のおそばに、控えてください。エマ・カーティスの動きを、目で追ってください」
「畏まりました」
「ヤン。あなたは、近衛騎士団の同僚と共に、祝賀広場の周辺の警備を、強化してください。姉と継母が、逃走することを、防いでください」
「畏まりました」
「バルト卿。あなたは、王宮の祝賀広場の入口で、お控えくださいませ。──姉と継母の最後の証人となる方、ガルベルト先生を、ご護衛くださいませ」
「畏まりました、奥方様」
「クルツ、ヘルガ。あなた方は、お母様のお薬の処方箋帳と、毒物の分析記録を、王陛下御自らの前で、ご証言くださいませ」
「もちろんでございます、お嬢様」
「ヴェルナー卿。あなたは、王太后陛下と王陛下に、すべての段取りを、事前にお伝えくださいませ。明日の祝宴は、戦勝祝賀でありながら、同時に、アーデンフェルト侯爵家の長年の秘密を、解き明かす場でも、ございます」
「畏まりました」
私は、深く、頭を下げた。
「皆さん、明日、私を、お守りくださいませ。そして、お母様の真実を、世に出すために、お力を、お貸しくださいませ」
応接間に、深い、力強い、頷きが、満ちた。
その夜、アルフレート様は、私を、長く、抱きしめた。
「シャル」
「はい」
「明日、君が、毒杯の罠に、足を踏み入れる時、私は、君の隣に、立つ」
「アルフレート様」
「私の腕の中で、君を、守る」
私は、頷いた。
「ありがとうございます」
そして、その夜。
私は、私室で、母の銀の髪飾りを、もう一度、額に当てた。
「お母様」
私は、囁いた。
「明日、すべてが、終わります」
「そして、お母様の、本当の姿を、世にお返しいたします」
蝋燭の灯りが、銀の髪飾りの上で、静かに、揺れていた。




