第二十五話 再戦と妊娠
冬の入り口、再び、北の国境から、不穏な報せが、届いた。
「ベリヴァルト王国残党、ノルディンガー将軍の旧部下たちが、北部辺境のミーテルバッハ峠の北、雪原の村々を襲撃。我が国境守備隊と、衝突」
王宮の枢密院は、即座に、応戦の決定を、下した。アルフレート様が、再び、近衛騎士団二百を率いて、出陣することになった。
出陣の前日、グリュンヴァルト公爵邸の私室で、私は、震える指で、ヘルガから渡された書付を、見つめていた。
「奥方様、おめでとうございます」
老薬師は、私の手を、両手で握り締めた。
「ご懐妊でございます」
私の心臓が、大きく跳ねた。
──子が、宿った。
私の身体の中に、アルフレート様と私の、新しい命が、宿った。
涙が、堪えきれずに、溢れた。
「ヘルガ……」
「奥方様、まだ、ごく初期でございます。ご無理はなさらないように。──そして、本日のご報告を、アルフレート様には、必ず、お伝えくださいませ」
「はい」
私は、深く、頷いた。
その夜、アルフレート様の私室で、私は、夫の前に、座った。
「アルフレート様」
「シャル、出陣のご挨拶か。──私は、必ず、還る」
「アルフレート様、ひとつ、お伝えしたいことが」
私は、震える声で、言葉を、紡いだ。
「私たちの……子が、宿りました」
応接間に、しんと、静まり返った。
アルフレート様の瞳が、ゆっくりと、見開いた。
「シャル……それは、本当に?」
「はい。──ヘルガが、本日、確認いたしました。まだ、ごく初期でございますが」
アルフレート様は、長椅子から、立ち上がった。
そして、私の前に、跪いた。
長身の彼が、私の足元に、頭を、深く垂れた。
「シャル、ありがとう」
彼の声は、震えていた。
「私の家系に、新しい命を、運んでくれて、ありがとう」
私は、彼の頭に、そっと、手を添えた。
「アルフレート様、明日、お出陣でございますね」
「シャル」
彼は、顔を上げて、私を見上げた。
「私は、必ず、還る。──君と、この子のために」
「お願いいたします」
涙が、また、溢れた。
「アルフレート様、どうか、ご無事で。──この子に、必ず、お父様の顔を、お見せくださいませ」
その夜、私たちは、互いの手を、長く、握り締めていた。
翌朝、グリュンヴァルト公爵家の門前で、近衛騎士団二百が、整列した。
私は、公爵ご夫妻、クラリス、バルト卿、そして、母の旧臣たちと共に、門前に立って、騎士団を見送った。
アルフレート様は、馬上で、私のほうを、振り返った。
そして、深く、頷かれた。
私も、深く、頷き返した。
──ご無事で。
私の心の中で、母の声が、響いた気がした。
「シャル、強くなりなさい。涙を見せないで」
私は、深く、息を、吸った。
そして、笑顔で、彼を、見送った。
蹄の音が、雪の積もった石畳を、規則正しく、打っていた。
その夜、私は、私室で、母の銀の髪飾りを、額に当てた。
──お母様。
私は、心の中で、母に、呼びかけた。
私は、お母様の孫を、宿しました。
お母様、どうか、お守りくださいませ。
そして、アルフレート様も、必ず、無事に、還してくださいませ。
数日後、ベリヴァルト残党との戦闘が、始まった。
戦地からの最初の報告は、こうだった。
「ノルディンガー将軍の旧部下、グスタフ・フォン・ホルディンガー子爵の率いる残党騎兵団五百と、我が近衛騎士団二百、ミーテルバッハ峠の北、雪原の谷間で、激突」
私は、報告を聞きながら、あらゆる伝手を駆使して、戦況情報を、集めた。
カウフマン商会の主人が北部辺境から最新の地形情報を送ってくれ、リンダウ商会の主人からは、ベリヴァルト残党の補給路の情報が届いた。
そして、私は、母の暗号で、再び、戦地への密書を、用意した。
「アルフレート様。
雪原の谷間において、敵は、明日の夜明け前に、奇襲を仕掛ける可能性が高いとのことでございます。気象は、北からの強風と、視界不良。──既に、敵の奇襲経路を、絞り込みましたので、別紙の地図と、伏兵地点の参考資料を、お送り申し上げます。
私とお腹の子は、無事でございます。お早いお戻りを、心からお待ち申し上げます。
──シャル」
密書は、ヤン・エルバッハが、自ら、戦地まで、運んでくれた。彼は、戦地で、アルフレート様の傍らに付き、近衛騎士団の伝令役を、務めていた。
そして、密書を受け取ったアルフレート様は、即座に、敵の奇襲経路に、伏兵を配置した。
その三日後、戦況の報せが、王宮に届いた。
「グリュンヴァルト公爵子息アルフレート卿、ベリヴァルト残党、グスタフ・フォン・ホルディンガー子爵を、雪原の谷間にて、捕縛。残党騎兵団五百、ほぼ全数を、降伏させた」
──大勝利。
私は、グリュンヴァルト公爵邸の応接間で、その報を聞き、両手で、お腹を、撫でた。
「お父様が、お勝ちになりましたよ」
私は、お腹の中の子に、囁いた。
──お父様は、必ず、還ってこられます。
そして、私は、深く、頷いた。
──姉と継母の最後の動きを、待つ時間が、ようやく、来た。
その日の午後、ヴェルナー卿が、私室を、訪れた。
「シャルロット様」
「どうぞ、ヴェルナー卿」
「王宮の文官部の調査によりますと、お継母様、レーゲンシア・キール夫人の、ご実家の薬箱、それから、最近の薬師との取引記録に、極めて不審な動きが、出ております」
「不審な動き?」
「曼陀羅華の精──奥様、エレオノーラ侯爵夫人を、慢性的に蝕んだ毒物──を、再び、最近、購入しておられます」
私の背筋を、冷たいものが走った。
──やはり。
「目的は、おそらく、シャルロット様、奥方様、ご自身でございます」
ヴェルナー卿は、低く、囁いた。
「お腹のお子様も、危険でございます。お気を、お付けくださいませ」
「ヴェルナー卿、ありがとうございます」
私は、深く、頷いた。
「最後の動きが、来ましたね」
そして、私は、扇を、開いた。
──お姉様。お継母様。
私は、心の中で、二人の女に、呼びかけた。
あなたたちは、最後の刃を、もう、用意なさいましたね。
けれど、私は、すべて、見えております。
そして、王宮の戦勝祝賀の場で──。
すべての終わりが、来ます。
その夜、私は、私室で、白い和紙の上に、すべての準備の段取りを、書き出した。
戦勝祝賀の予定日。王宮広場の警備配置。私の周辺の守備。マリエッタ、ヤン、バルト卿、クルツ、ヘルガ、ヴェルナー卿、それから、王太后陛下の援護──皆、配置についている。
そして、姉と継母の動きを、待つ。
私は、母の銀の髪飾りを、もう一度、額に当てた。
「お母様」
「最後の戦いが、参ります」




