第二十二話 王立学院試験の汚職
夏の初め、思いがけない一報が、マリエッタから、もたらされた。
「シャルロット様、お姉様が、妙な人物を、お探しのようでございます」
「妙な人物?」
「エミール様に、姿形も、筆跡も、よく似た、貧しい学者崩れを──とのことです。お継母様のご実家、キール家の伝手を通して」
私は、扇を、止めた。
──まさか。
私は、母の遺した、古い旅の民の手記のことを、ふと、思い出した。あれは、もう、この世界のどこにも、存在しない。姉が、それを、知る、はずもない。
けれど、姉は、姉なりに、同じ結論に、辿り着いたようだった。
「金で、身代わりを、雇うつもりね」
私は、静かに、呟いた。
「けれど、お姉様。それは、うまく、いかないでしょう」
「シャルロット様、なぜ、そう、お思いに?」
マリエッタが、私を、見た。
「愛や、義理立てで、動く人間は、裏切らない。──けれど、お金だけで、動く人間は、より高い金額を、積む相手が現れれば、簡単に、寝返るもの」
その一月後、王立学院の、小規模な模擬試験の日に、事は、起きた。
雇われた身代わりの学者崩れが、試験の最中、隣席の学生に、自らの正体を、酔った勢いで、漏らしてしまったのだ。噂は、瞬く間に、学院中に、広まった。
学院側は、正式な処分こそ、まだ、下さなかった。けれど、エミールへの、疑いの目は、決定的なものとなった。
「イザベラ、何を、考えているのです!」
継母レーゲンシアの、金切り声が、侯爵邸の廊下にまで、響いたと、アンナから、報告があった。
「金で雇った学者風情に、裏切られるなど、素人のやることですよ! 身内でもない者に、大事を、任せるからです!」
「お母様、けれど……」
「もう、いいわ。──次からは、もっと、確実な、手を打ちます」
私は、その報告を聞いて、深く、頷いた。
──お姉様。
あなたは、結局、ご自分では、何の努力も、なさらなかったのですね。他人の心すら、金で、買おうとなさっただけ。
真心で、二十年、支え続けた誰かとは、違うのです。
そして、この、小さな躓きが、姉と継母を、より、追い詰めていった。
夏の終わり、王立学院の年次試験が、近づいていた。
私室の窓の外で、夏の終わりの蝉が、しつこく鳴いていた。私は、ヴェルナー卿から、定期的に、エミール・ラントシュタイン氏の進捗を、聞いていた。
「シャルロット様。エミール氏は、家庭教師のおかげで、どうにか、赤点は、免れそうです。とはいえ、首席は、到底、望めますまい」
「それは、何より」
私は、頷いた。
「ところが、奇妙な動きが、出てまいりました」
ヴェルナー卿の声が、低くなった。
「王立学院の試験官の中に、最近、不審な金銭の動きを、している者が、出てきております。──シャルロット様の、お継母様のご実家、キール家の家令と、密会していた、と」
私は、扇を、ゆっくりと、閉じた。
──やはり、来たか。
「ヴェルナー卿」
「はい」
「もう少し、詳しく、調べていただけますか。試験官の名前、密会の日時、金銭の額、それから、密会の目的──」
「畏まりました」
その三日後、ヴェルナー卿が、再び、私の私室を訪れた。
「シャルロット様、お調べいたしました」
彼は、書類を広げた。
「試験官の名は、フォン・キンツェル子爵。彼は、過去にも何度か、貴族子弟の入学にあたって、便宜を図った疑いが、あった人物でございます。今回、キール家の家令から、相当な金額を、受け取っております」
「目的は?」
「エミール・ラントシュタイン氏の、最終試験の論文を、不当に高く評価することでございます」
私は、深く息を吐いた。
──姉と、継母。
おそらく、姉は、エミールの、本当の実力に、気づいてしまったのだろう。このままでは、首席はおろか、卒業すら、危うい。それでは、姉が、王宮で築こうとしている「成功した男の妻」という体裁が、崩れてしまう。
姉の本当の動機は、私には分からない。けれど、二度目の人生で、エミールの化けの皮が、剥がれかけていることが、姉には、何より、都合が悪いのだろう。
エミールと一緒に、姉も、継母も、どうぞ、泥沼へ。
継母レーゲンシアも、姉の母として、その計画に、加担しているようだった。
姉も、継母も、もっとも、簡単だと思う、買収と、賄賂に、飛びついたのね。
「ヴェルナー卿」
私は、扇を、もう一度開いた。
「この情報を、王立学院長と、王宮の文官部の長に、内密に、お届けください。私の名前は、出さずに。──ただ、フォン・キンツェル子爵への、独立した監査を、お願いします」
「畏まりました」
ヴェルナー卿は、深く礼をして、退室した。
その十日後、王立学院の年次試験が、行われた。
エミールは、論文部門で、平凡な出来の論文を、提出した。私が家庭教師に渡した、あの経済分析の骨組みは、結局、ろくに、活かされないままだった。それでも、エミールは、あちこちで、「首席は、間違いない」と、吹聴して、回っていたという。
そして、フォン・キンツェル子爵は、その平凡な論文を、不当に、高く、評価した。
ところが、王立学院長による独立監査が、即座に発動する。第三者の試験官の手に渡った論文は、誰の目にも明らかな、水準以下の出来だった。フォン・キンツェル子爵の評価が、いかに、不自然だったかが、露呈した瞬間だった。
エミールの「首席は、間違いない」という言葉は、たった一日で、失笑の種に変わった。
フォン・キンツェル子爵の執務室に、衛兵が踏み込んだのは、その日の夕刻だった。汚職の嫌疑で、彼はその場で拘束された。
──そして、別の動きも、起きた。
王立学院長は、フォン・キンツェル子爵の家を捜索し、キール家の家令から受け取った金銭の証拠書類を、押収した。書類には、「アーデンフェルト侯爵家、継母レーゲンシア・キール様」の署名が、明確に、残っていた。
王立学院長は、その書類を、即座に、王宮の文官部の長に届けた。
文官部の長は、王陛下に、奏上した。
──そして、ついに。
王陛下は、アーデンフェルト侯爵家への、内密な調査令を、発布された。
私は、その報せを、グリュンヴァルト公爵邸で、受け取った。
「シャル」
アルフレート様が、私の傍らで、深く頷いた。
「ようやく、第一の動きが、出たな」
「はい、アルフレート様」
私は、目を閉じた。
──姉と、継母。
姉は、おそらく、エミールを首席にするために、汚職の手駒を動かしたのだろう。けれど、その動きが、結果的に、継母レーゲンシアを、王宮の調査の対象に、引き上げてしまった。
姉自身が、姉と継母の破滅の、引き金を、引いてしまったのかもしれない。
その夕、王立学院の最終結果が、公表された。
首席は、トビアス・カーン。十六歳の、孤児院出身の少年。
エミール・ラントシュタインは、下位から数えたほうが早い、不合格すれすれの順位で、かろうじて、卒業を、許された。
私は、その結果を聞いて、小さく、息を、吐いた。
──やはり、そうなったか。
家庭教師をつけても、これだけの結果しか、出せない。エミールという男は、結局、そういう男だった。
そして、トビアスの人生は、ここから、新しい方角へ、踏み出した。
──そして、姉は。
姉の人生は、ここから、急速に、終焉へ向かう。
エミールが、無能なまま終わったという事実は、姉の「選択の正当性」を、永遠に、消し去った。
姉は、これから、毎日、その事実と、向き合うことになる。
そして、その絶望の中で、姉は、必ず、もう一度、私を、攻撃してくる。
「アルフレート様」
「シャル」
「お姉様の、次の動きを、警戒しなければ、なりません」
「私の近衛騎士団から、君の身辺に、密かに、警備を強化させよう」
「ありがとうございます」
その夜、グリュンヴァルト公爵邸の私の私室で、私は、母の処方箋帳を、もう一度、開いた。
母の真実を、世に出す日が、もう、すぐ、そこまで、来ていた。
私は、母の銀の髪飾りを、額に、そっと当てた。
「お母様、もう少しです」




