第二十話 和解の茶会
ガルベルト先生のもとを、父とアルフレート様と共に訪ねてから、数日が過ぎていた。
先生から受け取った正式な分析記録は、王宮の文官部へ、密かに、預けられた。証拠は、着々と、積み上がっていた。──けれど、まだ、公にする時ではない。
そんな折、侯爵邸から、一通の書状が届いた。
「シャルロットへ
婚礼を控えたあなたに、母として、一言、詫びを、伝えたく思います。これまでの、私たちの間の、行き違いを、この機会に、水に流したく存じます。よろしければ、明日の午後、私の私室で、二人だけで、お茶をいかがでしょうか。
――レーゲンシア」
私は、その書状を、しばらく、見つめていた。
「お嬢様」
アンナが、傍らで、眉をひそめた。
「行かれるのですか」
「行くわ」
私は、書状を、畳んだ。
「継母様が、何を、なさりたいのか。私は、直接、見ておきたいの」
「危険でございます」
「ヘルガも、一緒に、連れて行くわ」
私は、微笑んだ。
「大丈夫。──私は、もう、何も知らなかった、あの日の私では、ございません」
翌日の午後、私は、侯爵邸の、継母の私室を、訪れた。
部屋には、薔薇の香油の匂いが、重く、漂っていた。継母は、紫のドレスを纏い、優雅に、微笑んで、私を、迎えた。
「シャルロット、よく来てくれたわね」
「お継母様、お招き、ありがとうございます」
私は、深く、礼をした。
継母の私室の卓には、すでに、二人分の茶器が、並べられていた。銀の茶葉入れ、白磁の茶碗、そして、その傍らに、見覚えのある――母の形見と、よく似た意匠の――古い茶器が、一つ。
「これは」
私は、その茶器を、見つめた。
「エレオノーラ様が、生前、お使いになっていた、由緒ある品よ」
継母は、静かに、答えた。
「あなたの婚礼に、これで、一服、差し上げたくて。──母君の器で、母君の娘に。良い、区切りになると、思わない?」
私の背筋を、冷たいものが、伝った。
──母の茶器。
母が、日々、口にしていたのと、同じ形の器。
私は、扇を、そっと、開いた。
「お継母様のお心遣い、痛み入ります」
継母は、私の前で、その茶器に、茶を、注いだ。琥珀色の液体が、白磁の中で、静かに、揺れた。
「さあ、シャルロット。どうぞ」
私は、茶碗を、両手で、受け取った。
湯気が、ふわりと、立ち昇る。花のような、甘い香りの奥に――ほんの微かに、私は、何かを、感じた。
苦みを帯びた、青臭い、香り。
「お継母様」
私は、微笑んだまま、茶碗を、卓の端に、そっと、置いた。
「熱うございますね。少し、冷ましてから、いただきとうございますわ」
「あら、そう」
継母の瞳が、ほんの一瞬、揺れた。
「では、私も、お相伴、いたしましょうか」
継母は、自分の白磁の茶碗を、口元に、運ぼうとした。
「お継母様」
私は、彼女を、止めた。
「せっかくですもの。お継母様も、母の器から、召し上がってくださいませ。私の分と、交換いたしましょう」
部屋の空気が、一瞬、凍りついた。
継母の指先が、茶碗の縁で、微かに、止まった。
「……いいえ」
継母は、静かに、微笑んだ。
「これは、あなたのために、用意した、器ですもの。あなたが、召し上がるべきよ」
「では」
私は、扇を、閉じた。
「ヘルガ」
扉の外で控えていた薬師ヘルガが、静かに、部屋へ、入ってきた。
「奥方様の御用命により、本日のお茶を、拝見いたします。──最近、婚礼を控えて、体調を崩す方が、王都で、増えておりますもので。念のための、慣例でございます」
継母の顔から、瞬時に、笑みが、消えた。
「そんな、慣例、聞いたことが……」
「お継母様」
私は、まっすぐに、彼女を、見た。
「私の侍女は、皆、私の身を、案じてくれております。──お気を、悪くなさらないでくださいませ」
ヘルガは、茶碗の香りを、静かに、確かめた。
その指先が、ほんの一瞬、強張るのを、私は、見逃さなかった。
「奥方様」
ヘルガが、私に、深く、頭を下げた。
「この茶葉、少々、湿気ておるようでございます。淹れ直しを、お許しくださいませ」
継母は、何も、言わなかった。
けれど、その瞳の奥に、私は、確かに、見た。
一瞬だけ、覆いきれなかった、剥き出しの、憎悪。
それは、すぐに、いつもの、優雅な微笑みの下へ、沈んでいった。
「そう。──では、また、いつか、改めて」
「はい、お継母様」
私は、深く、礼をして、部屋を、辞した。
廊下に出るなり、ヘルガが、私の袖を、強く、引いた。
「お嬢様」
彼女の声は、震えていた。
「あの茶葉、曼陀羅華の精でございます。エレオノーラ様の、お薬に混じっていたのと、同じもの」
私は、深く、息を、吐いた。
──やはり。
継母は、この結婚式の前に、私を、消すつもりだった。
前世で、私を殺したのは、姉の手による毒杯だった。今度は、継母自身の手で、婚礼を待たずに、私を、消そうとしたのだ。
「ヘルガ、ありがとう。あなたがいなければ、私は……」
「お嬢様」
ヘルガは、首を、振った。
「エレオノーラ様の分まで、私は、お守りすると、誓っております」
私は、廊下の窓の外を、見た。
雪が、深く、降り積もっていた。
──お継母様。
私は、心の中で、彼女に、呼びかけた。
あなたは、母を殺した、その同じ手で、私も、殺そうとなさった。
けれど、私は、まだ、死にません。
そして、あなたの罪は、必ず、王国の白日の下に、晒されます。
私は、扇を、強く、握り締めた。
その夜、私は、この日のことを、アルフレート様にも、まだ、話さなかった。
もし話せば、彼は、間違いなく、継母を、即座に、罰しようとするだろう。けれど、それでは、姉の罪までは、暴けない。継母一人を切り捨てて、姉を、逃がすわけには、いかなかった。
私は、寝台の上で、母の銀の髪飾りを、そっと、額に、当てた。
「お母様」
私は、囁いた。
「もう、少しです。もう少しで、すべてを、白日の下に、晒します」
蝋燭の灯りが、髪飾りの上で、静かに、揺れていた。




