第十九話 義姉の凋落
冬になり、王都の屋根に雪が積もる頃、ついに義姉イザベラが、アーデンフェルト侯爵家に「乗り込んで」きた。
その日の朝、私はマリエッタから報告を受けた。
「シャルロット様、お姉様が、ラントシュタイン男爵家の馬車で、急ぎお越しでございます。お父様にお会いになると」
私は、頷いた。
「私も、ご挨拶のため、侯爵邸へ参りましょう」
侯爵邸の応接間で、私は、義姉の到着を待った。
馬車の音が玄関先に響き、扉が開くと、義姉イザベラが、深紅の旅装を纏って、入ってきた。
──変わったな。
私は、義姉を見た瞬間、確信した。
姉の頬は、半年前よりも痩け、肌の艶は失われていた。瞳の奥には、苛立ちと、絶望と、それから、隠しきれない焦りが、生々しく揺れていた。
「お父様!」
義姉は、私を見ても会釈すらせず、まっすぐに父アーデンフェルト侯爵のところへ駆け寄った。
「お父様、私を、助けてください!」
「イザベラ、何があったのだ」
父は、深いため息をついた。
「ラントシュタイン男爵家は、私が嫁いだ時の話と、まったく違うのです! お酒、賭博、浪費──毎日、私は、義両親の借金の取立てに、追われております。エミール様は、私を見ようともなさらない。それに、近頃は、原因不明の熱と、発疹に、うなされて、床に伏せっておられることも、多いのです。──お父様、私を、家に戻してくださいませ」
「イザベラ」
父の声は、低かった。
「お前は、自分でお選びになった夫君のもとへ、嫁いだのだろう」
「お父様、それは……」
「イザベラ、聞きなさい」
父は、義姉を、まっすぐ見据えた。
「お前が婚約者選定の場で、ラントシュタイン男爵子息のお名前を口にされたとき、私は、確かに、躊躇った。あの家のご家風は、王都でも、有名であった。けれど、お前は、『私は殿方のこれからを愛したいのです』と、自信を持って、お選びになった。──私は、その意志を尊重して、嫁がせた」
「お父様、それは、私も、認めますわ」
義姉は、口元を震わせた。
「けれど、お父様、私は、まだ、二十歳。これから先の人生を、こんな絶望的な家で、過ごすわけには、参りません。──どうか、私を、戻してくださいませ」
「戻して、どうするのだ」
「離婚します!」
応接間が、しんと、静まり返った。
私は、扇を翳して、義姉の言葉を、最後まで聞いた。
そして、ゆっくりと、口を開いた。
「お姉様」
「シャル」
「貴族の離縁は、王宮の許可が必要です。そして、その理由は、明らかな夫君の不貞、または、夫君の家系に長期的な犯罪歴があった場合に限られます。──ラントシュタイン男爵家は、貧困ではあれど、犯罪の家ではございません。エミール様の不貞も、証拠立てて証明できるものでは、ございますまい」
「シャル、あなた、私の味方なんでしょう?」
「いいえ、お姉様」
私は、扇を閉じた。
「私は、お姉様の選択を、尊重しているだけでございます」
「シャル!」
義姉の瞳が、ぎらりと光った。
「あなた、私を、見捨てるの?」
「私は、お姉様の人生を、決められません」
「シャル、あなた、変わったわね。──昔のあなたなら、お姉様を、見捨てなかった」
「昔の私は」
私は、ゆっくりと、義姉の瞳を、見上げた。
「前世から、何もかも、変わってしまったのかもしれません」
応接間に、奇妙な沈黙が落ちた。
義姉の顔から、瞬時に、血の気が引いた。
「シャル……あなた、何を、言って」
「いえ、お姉様」
私は、にっこり、微笑んだ。
「ただの、言葉のあやでございますわ」
──姉は、確かに、動揺した。
私は、確信した。
姉は、扇を取り落とし、両手で顔を覆った。
「シャル、私……私は、ただ、もう一度、人生を、やり直したかっただけなの」
「お姉様」
私は、扇を、もう一度、開いた。
「私たち、お互いに、自分の人生を、自分の手で、生きるしか、ございません」
そのとき、応接間の扉が、激しく叩かれた。
「失礼いたします、お父様!」
入ってきたのは、私の侍女マリエッタだった。
彼女は、息を切らせていた。
「シャルロット様、お父様。──ガルベルト先生から、お便りが届きました」
「ガルベルト先生?」
父が、目を見開いた。
「教会に預けておられた、お母様の薬の分析記録、すべて、ご準備が整ったとのことでございます。お父様とシャルロット様にご来訪いただきたいと」
私と父は、視線を交わした。
アンナが持ってきた写しは、あくまで断片的な複写に過ぎない。王宮や教会に提出できる、ガルベルト先生ご本人の証言付きの正式な原本記録が、ようやく揃ったのだ。
──ようやく、来た。
「マリエッタ、お父様。──二日後、私たちは、教会へ参りましょう」
私は、義姉を、見据えた。
義姉の瞳が、何かを察したように、震えていた。
「シャル、ガルベルト先生って、お母様の主治医の……」
「ええ」
私は、頷いた。
「お母様の死の真相を、明らかにする時が、参りましたわ」
義姉の顔が、白く凍った。
私は、立ち上がり、扉口へ歩いた。
そして、扉口で振り返り、義姉に向かって、最後の言葉を放った。
「お姉様。──ご自分の人生を、しっかり、生きてくださいませ。誰もが、自分自身の選択の重みを、引き受けねばなりません」
応接間を辞して、廊下を歩く私の後を、マリエッタが、足早について来た。
「シャルロット様、お姉様の表情、ご覧になりましたか?」
「ええ、見たわ」
「あの方、何かを、ご存じでいらっしゃるのですね」
「マリエッタ、お姉様は、お母様の死に、おそらく、何かしらの形で、関与なさっておられる」
私は、声を低くした。
「直接の手は、継母レーゲンシアでしょう。けれど、お姉様も、知っていた可能性が、高い」
マリエッタの瞳が、強い光を帯びた。
「シャルロット様、私、ノエル・カーティスの王宮での尋問記録を、もう一度、調べてまいります。お姉様とお継母様の繋がりについて、何か、新しい証言が、出てくるかもしれません」
「お願い、マリエッタ」
侯爵邸の玄関先で、私は、馬車に乗る前に、もう一度、応接間の方角を振り返った。
応接間の窓越しに、義姉が、ぐったりと長椅子に崩れている影が、見えた。
──お姉様。
私は、心の中で囁いた。
あなたの「やり直し」は、もう、終わりです。
私の「やり直し」は、ここから、本格的に、始まるのです。
その夜、グリュンヴァルト公爵邸で、私はアルフレート様に、その日のことを、報告した。
「シャル、君は、また、ひとつ、姉君を、追い詰めたのだな」
「アルフレート様、私は、ただ……」
「責めているのではない」
アルフレート様は、私の頬に、そっと触れた。
「君は、必要なことを、している。私は、君の選択を、信じている」
「アルフレート様」
「シャル」
彼は、低く、囁いた。
「明後日、ガルベルト先生のもとへは、私も、同行する」
私は、目を見開いた。
「アルフレート様、それは、お忙しい中、ご無理を……」
「君ひとりで、あの真相に向き合わせる訳には、いかない」
彼の瞳には、深い、揺るぎない決意が、宿っていた。
私は、頷いた。
「ありがとうございます」
「シャル、母御の真実を、共に、暴こう」
蝋燭の灯りが、彼の銀灰色の髪を、温かく照らしていた。
その夜、私は初めて、彼の胸に、自分から、頬を寄せた。
「アルフレート様、私は、もう、ひとりじゃ、ないのですね」
「シャル、君は、もう、ひとりではない」
私の頬を、彼の指が、優しく撫でた。
──雪が、深く降り積もっていく夜だった。
そして、その夜、母エレオノーラの真実への、最後の扉が、開こうとしていた。




