# 第十三話 孤児院と秀才トビアス
# 第十三話 孤児院と秀才トビアス
干ばつの秋、私は、王都の北の外れに、新しい孤児救護所を立ち上げた。
その名を、「エレオノーラ館」と名付けた。
母エレオノーラの名を冠した、王都最大の孤児救護所。三階建ての木造建築。一階は食堂と医務室。二階は女児の寝室と学習室。三階は男児の寝室と職業訓練室。屋根裏には、夏の暑さを和らげる風抜きの窓。
設立資金は、私が母から受け継いだ私財と、グリュンヴァルト公爵家からの寄付、そしてカウフマン商会を始めとする商会連合の出資で、賄われた。
「お嬢様、これで百人の子供たちが、冬を越せます」
クルツが、深く頷いた。
「クルツ、まだ足りません。同じ規模の館を、王都の南、東、西、それから北部辺境のミーテルバッハの近くにも、作りたいのです」
「畏まりました。各地の代官と、調整いたします」
私は、母の旧臣たちと共に、半年で、五箇所のエレオノーラ館を、王国に建てた。
そして、そこへ運ばれてきた子供たちの中に、私は、ある一人の少年を、見つけた。
トビアス・カーン。
十六歳。痩せた身体に、知性的な深い瞳。両親は、干ばつで田畑を失った後、流行り病で立て続けに亡くしていた。村の領主が彼を孤児として王都に送り、エレオノーラ館の門前に置いていった、と。
私が彼に出会ったのは、エレオノーラ館の食堂の隅で、彼が一人、小さなノートに、何かを書き写していた時だった。
「あなた、何を書いているの?」
私は、しゃがんで、声をかけた。
少年は、慌てて、ノートを胸に隠した。
「あ……シャルロット様、申し訳ございません」
「いいのよ。見せてくれない?」
少年は、おずおずと、ノートを差し出した。
私は、それを開いて、息を呑んだ。
「これは……」
ノートの中には、王立学院の入学試験の過去問が、丁寧に書き写されていた。各問の余白には、少年自身の手による解答と、解説。それは、現役の王立学院生でも、ここまで明確には書けないような、見事な分析だった。
「あなた、これを、自分で書いたの?」
「はい、シャルロット様。私の村の教会の神父様が、王立学院の卒業生でいらっしゃいました。私は、神父様から、過去問のノートをいただいて、村の畑仕事の合間に、写しておりました」
「いつから?」
「七歳の頃から、です」
私は、少年の瞳を、まっすぐ見つめた。
「あなた、王立学院の試験を、受けるつもり?」
少年は、少し恥ずかしそうに、頷いた。
「はい。けれど、私のような孤児が、入学できるとは、思っておりません。受験料も、保証人も、ございませんから」
「私が、保証人になるわ」
私の言葉に、少年は、目を見開いた。
「シャル、ロット様……」
「あなたの才能は、孤児院に埋もれて、終わるべきものではない」
私は、ゆっくりと立ち上がった。
「明日、私の家から、あなたのお勉強に必要な書物を、お送りします。受験料も、私が、立て替えます。──そして、入学した暁には、奨学生として、卒業まで、あなたの学費は、私が、責任を持ちます」
少年は、震える指で、私のドレスの裾を握った。
「シャルロット様、私は、必ず、ご恩を、お返しします」
「いえ、トビアス」
私は、彼の名を、初めて呼んだ。
「あなたが、王立学院で首席を取って、王宮に出仕してくれることが、私への、最大のご恩です。──王国を、より良い方向へ、導く文官に、なってくださいね」
少年の瞳に、深い、鋼のような決意が、宿った。
──トビアス・カーン。
私は、心の中で、彼の名を、もう一度繰り返した。
前世で、義姉と継母の謀略で、王立学院の試験官に汚職をされ、入学を阻まれて、絶望のうちに自死した、ひとりの天才。
私は、エミールから、その少年の名前を、聞かされていた。エミール自身が、宰相補佐の任にあった頃、彼の遺品の中から、見事な論文の写しを見つけ、「もし、この少年が王立学院に入っていたら、王国の文官の格は一段上がっていた」と、深く悔やんでいた。
その少年が、今、生きて、私の前で、瞳を輝かせている。
──また、ひとつ、運命を、変えられた。
トビアスは、その後、王立学院の入学試験を、二位の成績で合格した。受験料は私が出し、保証人にはアルフレート様が、自ら名乗りを上げてくださった。
「あなたが連れてきた少年なら、私は、信じる」
アルフレート様は、簡潔に、頷かれた。
トビアスは、入学後すぐに、王立学院の教官たちの注目を集めた。彼の論文は、いつも、教官たちの議論を促すほどの、鋭利な視点を持っていた。
そして、トビアスとは別の動きも、起きていた。
「シャルロット様」
ある日、ヴェルナー卿が、私室を訪れた。
「エミール・ラントシュタイン氏のことで、お知らせがございます」
「どうぞ、ヴェルナー卿」
「私が、内密にご紹介した家庭教師が、エミール氏の指導を、半年ほど続けてまいりました。──エミール氏は、最近、目覚ましい復活を遂げております」
「ほう」
「家庭教師の話では、エミール氏は、最初、すっかり自信を失っておられました。けれど、丁寧な指導と、論文の構成の助言を、繰り返すうちに、本来の聡明さを、取り戻されてきました」
「それは、何よりです」
「ところが」
ヴェルナー卿の声が、少し低くなった。
「最近、エミール氏は、奥方様、すなわち、シャルロット様の義姉君と、深刻な不和を抱えておられます。家庭教師に対し、『私は、この家から、出たい』と漏らしておられた、と」
私は、深く息を吐いた。
──やはり、こうなったか。
姉が、エミールを支えるどころか、足を引っ張っていることは、私には、最初から見えていた。エミールは、聡明な青年だ。彼は、姉が「夫を支える妻」ではなく、「夫の成功にぶら下がろうとする女」であることを、もう、見抜いてしまったのだ。
「ヴェルナー卿、エミール様に、お伝えください。──家庭の問題に、私が直接介入することはできませんが、もし、王立学院の卒業後の進路について、お困りのことがございましたら、いつでも、私の家令を通して、ご相談を、と」
「畏まりました」
ヴェルナー卿は、深く礼をした。
その夜、私は、私室で、義姉から届いていた最新の手紙を、開いた。
「シャル、
最近、私は本当に、つらいの。エミール様は、私を見もしてくださらない。義両親は、私を疎んじている。──私は、私の人生が、こんなはずじゃなかったと、毎日、泣いているのよ。
シャル、お願いがあるの。お父様の屋敷に、私を、戻してくださらない? ほんの少し、お互いの傷を癒すために、別居したいの。
──イザベラ」
私は、手紙を、ゆっくりと、暖炉の火に投げた。
紙が、赤い炎に呑まれて、灰になっていった。
「お姉様」
私は、暖炉の火を見つめながら、囁いた。
「あなたの選んだ家から、戻る場所は、もう、ございません」
「あなたが選んだ道は、あなた自身が、最後まで、歩いてください」
火の中で、紙の灰が、白く舞い上がった。




