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# 第十二話 大飢饉の予兆

# 第十二話 大飢饉の予兆


夏の初めの空は、青すぎた。


王都の街路樹は青々と茂っていたが、その葉の表面は、いつもより乾いて、わずかに反り返っていた。河川の水位は、例年の半分以下。けれど、王都の貴族たちは、毎日続く晴天に「素晴らしい夏ですな」と笑うばかりだった。


私は、その夏を、覚えていた。


前世のあの夏、王都とその周辺領で、四十年に一度の大干ばつが起きた。穀物の収穫は半減し、続く秋には早霜が下り、北部辺境では麦が穂を出さぬまま枯れた。冬には、王都の貧民街で餓死者が続出し、街角で凍死した子供たちが、毎朝のように見つかった。


王宮は、後手に回った。


備蓄は不十分で、海路からの緊急輸入の手配は遅れ、価格統制は商人たちの談合に阻まれた。孤児たちは行き場を失い、教会の前で乞食をしていた。


──今度は、違う。


私は、グリュンヴァルト公爵邸の私室で、母の旧家令クルツと、ヘルガ、それから前線の商家から呼び寄せたカウフマン商会の主人を、円卓に集めた。


「クルツ、最新の穀物相場の動きを、お願いします」


「畏まりました、お嬢様」


クルツは、書類を広げた。


「今月の小麦相場は、例年の一割増。ライ麦は二割増。──表向きは大した動きではございません。けれど、注目すべきは、北部辺境からの報告でございます。先月から、麦の穂出しが、例年より十日遅れている。降雨量が、三分の一」


「ヘルガ、王立医学院の薬草の入荷状況は?」


「干し草薬の供給が、昨年比で六割減でございます。乾燥が早すぎて、薬草の収穫量が落ちております」


「カウフマン殿、北部辺境とベリヴァルト国境の村の様子は?」


「シャルロット様」


カウフマン商会の主人、白髭の老紳士が、深く頷いた。


「私の隊商が、先週、ミーテルバッハ峠の麓を通って戻りました。村々の井戸の水位が、平年の半分以下。羊たちが乳の出を、軒並み、落としております。──私の見立てでは、今年の秋、相当な凶作が、訪れます」


私は、深く息を吐いた。


──やはり、来る。


前世と、ほぼ同じ規模の干ばつが、今年もまた、王国を襲おうとしていた。


「皆さん」


私は、円卓を見回した。


「私たちには、まだ、二ヶ月の猶予がございます。秋の収穫が確定する前に、王宮を動かさねばなりません。お母様が生前、領地で打たれた飢饉対策を、私は、王国全体に拡大して、実行したいのです」


クルツが、深く頷いた。


「お嬢様、お母様の飢饉対策の覚書は、私が、すべて記憶しております。さっそく、書き起こしましょう」


「カウフマン殿」


「はい」


「南方諸国──エルセア、ピエタ、それからレヴィオン──からの穀物の緊急輸入を、ご手配いただけないでしょうか。商会間の連携で、価格を抑え、確実に冬までに王都へ届く船を、組んでいただきたいのです」


「畏まりました。商会連合に話を通します」


「ヘルガ、王都内の薬師たちに、栄養補助の薬草の備蓄を、依頼してください。子供たちの飢えに対する、最低限の栄養補助を、用意しなければなりません」


私たちは、その日の夜、深夜まで議論した。


そして翌朝、私はアルフレート様に会いに、グリュンヴァルト公爵邸を訪れた。


「アルフレート様」


私は、できるだけ落ち着いた声で、彼に話した。


「秋には、王国に大干ばつが、訪れます。私の母の旧臣たちが、入念に分析した結果でございます。今、王宮を動かさねば、冬には、飢餓と暴動が起きます。お力を、お貸しいただけますか」


アルフレート様は、私の話を、最後まで黙って聞いていた。


そして、彼は、ゆっくりと頷いた。


「シャル、あなたの判断を、私は信じる。──父上に、すぐ取り次ぎましょう」


ヴィルヘルム公爵は、私の話を聞くと、しばらく沈黙した。


そして、深く頷かれた。


「シャルロット嬢。あなたの母御の旧臣たちが、王都の隅々まで、人脈を持っていることは、私も承知している。──私は、王陛下への謁見を、すぐに手配します」


──三日後。


王宮の枢密院で、私は、王陛下、王太后陛下、宰相閣下、そして、近衛騎士団元帥のグリュンヴァルト公爵の前で、ひとつの献策書を、読み上げた。


「陛下。来るべき秋の干ばつに備え、以下の四点を、ご進言申し上げます。


第一、王国備蓄の即時拡大。各地の穀倉に、夏のうちに半年分の余剰備蓄を確保。


第二、南方諸国からの穀物緊急輸入。商会連合を窓口とし、海路にて、冬までに王都へ二十万袋を確保。


第三、価格統制と商人の談合への監視。王宮直轄の物価監視官を、各市場に配備。


第四、孤児救護所の事前設置。教会と協力し、王都および主要都市に、各五箇所の孤児救護所を、秋までに開設」


王陛下が、深く頷かれた。


「シャルロット嬢。あなたの母エレオノーラ侯爵夫人が、生前、領地で実践されていた飢饉対策、と理解してよろしいか」


「はい、陛下。母は、私の領地で、過去に二度の飢饉を、最小限の犠牲で乗り切りました。今回は、王国全体への適用を、ご検討いただきたく」


「分かった」


王陛下は、宰相閣下に向かって命じた。


「枢密院、シャルロット嬢の献策を、即時、実施せよ」


宰相閣下が、深く礼をした。


「畏まりました、陛下」


その日から、王国は動き始めた。


王宮の備蓄係が、各地の穀倉を回り、夏の余剰備蓄を確保した。カウフマン商会を窓口に、商会連合は南方諸国との緊急輸入交渉を進めた。物価監視官が、王都の各市場に配備された。教会と協力した孤児救護所の建設が、始まった。


──そして、秋。


予想通り、王国は、四十年に一度の大干ばつに見舞われた。


北部辺境では、麦は穂を出さず、河川は乾き、羊たちは痩せ細った。けれど、私の備蓄計画と、商会連合の輸入船のおかげで、王都の市場では、穀物の価格は前年比でわずか二割増に留まり、餓死者は、ほぼ、出なかった。


王陛下は、冬の入り口に、王宮で叙勲式を開かれた。


「グリュンヴァルト公爵子息アルフレート卿の婚約者、シャルロット・フォン・アーデンフェルト嬢に、王立紫薔薇章を授与する。──汝の知恵と先見が、王国を飢餓から救った」


私は、王陛下の前で、片膝をついて、勲章を受け取った。


王宮の大広間に、貴族たちの拍手が、降り注いだ。


しかし、私の心は、その拍手を、半ば、別の場所で聞いていた。


──前世のあの叙勲は、エミールが、私の代わりに受けた。


そして、その後の祝宴で、私は、義姉に毒杯を飲まされて、命を落とした。


今度は、違う。


今度は、私自身が、私の名前で、勲章を受け取った。


そして、私の傍らに立つのは、エミールではなく、銀灰色の髪の、若き次期公爵閣下、アルフレート様だった。


叙勲式の後、私はアルフレート様と並んで、王宮の長い回廊を歩いた。


「シャル」


「はい」


「あなたの予測通り、すべてが、進んだ」


「はい」


「私は、改めて、あなたを尊敬します」


「いいえ、アルフレート様。これは、母の遺産です」


「シャル」


アルフレート様は、立ち止まった。


「あなたは、いつまで、ご自身を、母御の影として、生きるおつもりですか」


私は、息を呑んだ。


「あなたが今日成し遂げたことは、母御の覚書通りに動いただけでは、絶対に、できないことです。あなた自身の判断、あなた自身の交渉力、あなた自身の決断力──そのすべてが、今日の王国を救った」


私は、視線を落とした。


「アルフレート様、私は……」


「シャル」


彼は、私の頬に、そっと指を添えた。


「あなたを、認めてください。──私が、認めているように」


私は、目を閉じた。


そして、ゆっくりと、頷いた。


「ありがとうございます、アルフレート様」


その夜、私はアーデンフェルト侯爵家に戻り、私室の鏡の前に立った。


鏡の中の私は、今朝までの私とは、違う顔をしていた。


王立紫薔薇章を、自分の名前で受け取った女。


王宮の貴族たちの前で、献策を読み上げた女。


母の影ではなく──私自身の人生を、生き始めた女。


──お母様。


私は、心の中で母に、呼びかけた。


私は、お母様の影でなく、お母様の娘として、生きていきます。


そして、お母様の真実を、必ず、世に出します。


その夜、私の私室の窓の外で、王都の灯りが、星のように輝いていた。


街角の孤児救護所では、子供たちが温かいスープを飲み、教会の鐘が、夜の祈りを告げていた。


──人々の命を、守れた。


私の心の中に、初めて、深い、揺るぎない、誇りが、宿った。


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