9、これは誰の匂い?
今日もルークはお仕事。
窓の外はすっかり暮れ、部屋の中に灯りをともす。
――もうすぐ、帰ってくる時間だ。
扉の開く音がして、心が跳ねる。
「おかえり、ルーク!」
「ただいま、リシェル」
嬉しくて駆け寄り、そのまま抱きつく。
けれど――その瞬間、身体がぴたりと固まった。
(……あれ?)
ルークの服から、いつもと違う匂いがする。
食べ物でも、香草でもない。
ほのかに甘くて、やわらかくて――
どこか、人の肌のような匂い。
(これ……誰かの匂い?)
頭の奥が、ぐらりと揺れる。
胸の奥に、冷たいものが突き刺さったみたいに痛い。
(なんで……?)
いつも、私を抱きしめてくれるルーク。
その腕の中は、安心で、幸せで――
私だけの場所のはずなのに。
(それを、他の人にも……?)
そんなの、嫌だ。
ルークに、私以外に触れる人がいる。
そう考えた瞬間――
その人を遠ざけたい。
引き離したい。
それだけじゃ足りない。
いなくなってしまえばいいのに。
――そんな考えが、自然に浮かんでしまった。
(……やだ)
怖い。
こんなこと、思いたくないのに。
止められない。
心がざわざわして、苦しくて。
気づけば、震える指でルークの服を強く掴んでいた。
「……リシェル? どうした?」
優しい声が降ってきた瞬間、胸の奥が熱くなった。
でも、こんなにひどいこと考えているなんてルークが知ったら――。
(嫌われちゃう……)
涙がこぼれそうになって、唇が震える。
「……きらいにならない?」
「なるものか。俺は、リシェルが大好きだよ」
迷いのない声。
あたたかくて、やさしくて――
それだけで、胸の奥の痛みが少しだけ溶けていく。
「……わたしも、だいすき」
でも、気になって仕方がなかった。
胸の奥のもやが、どうしても消えない。
「……でも、今日のルーク、いつもと違う匂いがする」
涙がつっと頬を伝う。
勇気を振り絞って、顔を上げた。
「……だれ?」
一瞬。
ルークの目が、わずかに見開かれる。
けれどすぐに、苦笑を浮かべた。
「仕事でな、馴れ馴れしいやつがいて……抱きつかれただけだ。すぐに引き剥がした」
「……ほんとうに?」
「もちろんだ。リシェルがいちばん……いや、リシェルしかいない」
その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。
さっきまでの冷たい感情が、すうっと消えていく。
代わりに広がるのは、あたたかさ。
(……ああ)
私、ルークがいないとダメなんだ。
「……よかった。ルーク、ずっといっしょ」
「ああ、もちろんだ」
ルークの腕が、優しく――けれど離れないように強くなる。
そのぬくもりに包まれると、混乱していた頭の中が、霧が晴れるようにはっきりとしてきた。
そうか。前にルークが言っていた"しっと"って――。
大好きな人が、自分から離れてしまうかもしれない。
そんな考えが、止まらなくなること。
きっと、それのことなんだ。
あのときは、意味はわかっても、理解できなかった。
でも今は――わかる。
失いたくないという痛みを。
そのとき。
私はルークに抱きしめられながら、
彼の服を、離さないように――
強く、強く握りしめていた。
まるで、奪われないようにするみたいに。




