第5話「素手で触った」
ハインツの養蜂場は丘を一つ越えた向こう側。規模が違う。巣箱が二十以上整然と並び、周囲にはラベンダーやセージが計画的に植えられている。
「靴を脱げ。蜂は足の裏の匂いに敏感だ」
作業小屋には道具が種類別に壁にかかっていて、前世の父の仕事場を思い出す。
古い燻煙器と針金の巻き、蜜蝋の塊、巣枠五枚をもらった。
「その代わり、今日の内検を手伝え」
防護帽を渡されて被ろうとしたら、ネットの留め金が錆びていて固定できない。もたもたしていたら横からぬっと手が伸びてきた。
ニクラスだった。いつからいたのか。無言で留め金を直してくれる。指先が器用であっという間。
「ありがとう——」
頷くだけで自分の帽子を被り外へ。
ハインツが燻煙器、ニクラスが蓋を開け、私が巣枠を上げる分担。プロのテンポは無駄がない。
十二番の巣箱で手が止まった。巣枠の端に翅が縮れた蜂がいる。
「ダニだ」
ハインツの声が低くなる。ミツバチヘギイタダニ。前世でも最大の天敵。蜂児に取りつき体液を吸ってウイルスを媒介する。
隣の巣枠を見ると、蓋がけ蜂児に穴が開いていた。蜂自身がダニに寄生された仲間を除去した跡。
「隔離する。ニクラス、ギ酸を」
ニクラスが走り、ギ酸を含ませたパッドを巣箱に設置する。ツンとした刺激臭が鼻をつく。蜂蜜の甘い香りとは正反対の匂い。
「二週間様子を見る。悪化したら巣を焼くしかない」
巣を焼く——蜂ごと処分。
内検を終えて片付けている最中、ニクラスが十二番の前に立っていた。蓋の上に手を置いてじっと動かない。
ハインツがぽつりと言う。
「あいつにとって蜂は家族みたいなもんだ」
帰り道。荷物を抱えて丘を越える途中、三度目に立ち止まったら背後に足音がした。
ニクラス。無言で荷物の半分を取って先に歩き出し、小屋の前に置いて黙って帰った。
お礼を言うタイミングを完全に逃した。
――蜂蜜が採れたら、最初の一瓶はこの二人に。




