第3話「手が覚えている」
分蜂は、四日目の昼に起きた。
三番目の巣箱から蜂が噴き出すように飛び立ち、空に渦を巻く。翅が陽の光を反射して金色の粒みたいだった。
群れは丘の樫の木に集まり、枝にぶら下がって蜂球を作り始める。数千匹がぶどうの房のようにたわむ。
枝ごと切って移すのが定石だけど鋸がない。巣箱を真下に運んで蓋を外し、手で誘導する。
蜂球に右手をそっと差し入れる。
蜂の体が密集している。ざわざわとした振動が掌に伝わってきて、指の間を小さな脚が動き回る。温かい。蜂球の内部は体温で三十五度ほどに保たれていて、生き物の熱がじかに伝わってくる。
刺されない。分蜂直後の蜂は胃袋に蜂蜜を詰めていてお腹がいっぱいだから、攻撃性が低い。
掌に乗った蜂を巣箱にそっと落とす。何匹かが巣枠の間に潜り込んでいく。もう一度、蜂球に手を入れる。掬っては落とし、掬っては落とし。
手が覚えている。
前世で何度もやった作業。父の隣で、祖母の隣で。この体は養蜂をしたことがないのに、指の動かし方も力の加減も前世が刻んだもの。頭より先に手が動く。
三十分ほどで蜂球の大半を移し終え、旧女王が箱の中に入ったのを確認して蓋を閉める。
巣門前で偵察蜂が尻振りダンスをしている。新しい住処の情報を仲間に伝えているのだ。
「そんなに気に入った?」
これで巣箱は七つ。元の三番目には新女王が残っていて、数日後に交尾飛行に出る。うまくいけば産卵を始めて、こちらのコロニーも立て直せるはず。
手のひらを見る。豆が潰れた跡が二つ。指先には蜜蝋が薄く残っていて、こすると微かな甘い匂い。
王宮にいた頃、私の手は白くて柔らかくて手袋を外すのは夜だけだった。今は日に焼けてあちこち傷だらけ。
でも、この手の方が好きかもしれない。
小屋に戻ると、入り口に籠が置いてあった。中身は丸いパンが四つ、チーズの塊、干した果物が一掴み。手紙は何もない。
パンを手に取ると、まだほんのり温かい。
村のパン屋。フリッツ村長が「マーヤがあんたのこと気にしてた」と言っていたのを思い出す。
ちぎって口に入れると、外はかりっとして中はふわふわ。硬いパンばかりの四日間が嘘みたい。
「……蜂蜜を塗ったら、もっと」
蜂蜜への執着が日増しに強まっている気がするけど、気のせいだと思いたい。
――明日、村に行って籠を返そう。あの人に、ちゃんとお礼を言わなきゃ。




