第23話「謝りに来ました」
見覚えのある馬車が村の入り口に停まっていた。
市場から蜂蜜の瓶を抱えて帰る途中、道の端に寄せられた紺色の馬車を見つけて足が止まる。紋章は——侯爵家の百合紋。
嫌な汗が背中を伝う。
「シャルロッテさん、どうしたの?」
隣を歩いていたマーヤが不思議そうに私の顔を覗き込む。
「マーヤ、先にパン屋に戻ってて。瓶は私が持つから」
「え、でも重いよ?」
「大丈夫。ちょっと知り合いが来てるみたいで」
マーヤは首を傾げながらも、瓶を二本だけ受け取って小走りに去っていく。残りの瓶を抱え直して、私は馬車に近づいた。
御者台に見覚えのある顔。侯爵家の従者だ。目が合うと気まずそうに視線を逸らされた。
「シャルロッテ・ヴァイゲル様ですか」
馬車の扉が開いて、侍女が一人降りてくる。その後ろから——
「……久しぶりね、シャルロッテ」
ヴィルヘルミーネ・フォン・アイヒベルク。
侯爵令嬢。社交界の華。私を断罪に追い込んだ張本人。
一年ぶりに見る彼女は、記憶より痩せていた。頬の線が鋭くなっていて、目の下にうっすら隈がある。完璧に整えられた髪と服装が、かえってその疲れを際立たせている。
「ヴィルヘルミーネ様」
名前を呼ぶだけで精一杯だった。声が震えていないか、自分では分からない。蜂蜜の瓶を持つ手に力が入る。ガラスの冷たさが指に食い込んで、それが不思議と落ち着きをくれた。
「こんな辺境まで、何のご用ですか」
「……謝りに来たの」
予想していなかった言葉だった。
ヴィルヘルミーネの目が揺れている。プライドと罪悪感が絡まったような、見たことのない表情。社交界で完璧な笑顔を崩さなかった彼女が、今、唇を噛んでいる。
「殿下との婚約を望んで、あなたを排除するために——あの断罪劇を仕組んだのは私。あなたは何もしていなかった。全部知ってる。知っていて、やった」
風が吹く。春先の風は冬の名残を含んでいて、まだ冷たい。
怒りが来るかと思った。でも来ない。代わりに胸に広がるのは、不思議な静けさ。聞きたかったことを聞いているはずなのに、思ったより痛くない。
「それで、殿下との婚約は」
「……破談になったわ。半年前に」
「え」
「私の企みが宮廷に知れて。自業自得よ」
ヴィルヘルミーネが苦く笑う。笑っているのに目が笑っていない。この表情を美しいとは思わないけれど、人間らしいとは思う。
「ヴィルヘルミーネ様は、謝ってどうするおつもりなんですか」
「どうする、って」
「謝って、私が許したら、それで気が楽になりますか?」
意地悪で言っているのではない。本気で聞いている。ヴィルヘルミーネが何を求めてここまで来たのか知りたかった。
「……分からない。分からないけど、このまま黙っているのが耐えられなくなったの。あなたが辺境で苦しんでいるかもしれないと思ったら」
「苦しんでません」
即答した。自分でも驚くほどはっきりと。
「蜂を飼っています。蜂蜜を採って、売って、暮らしています。それなりに忙しくて、それなりに楽しくて」
蜂蜜の瓶を一つ持ち上げる。午後の光が琥珀色の液体を透かして、きらりと光る。
「これ、私の蜂が集めた蜂蜜です。よかったらどうぞ」
「……は?」
ヴィルヘルミーネが目を丸くする。侍女も御者も、ぽかんとしている。
「毒なんか入ってませんよ。今朝瓶詰めしたばかりです」
「そういう意味じゃなくて——あなた、怒ってないの?」
「怒っていたときもありました」
正直に言う。
「最初の三ヶ月くらいは、毎晩あなたのことを考えて眠れない夜がありました。でも蜂の世話をしているうちに、そういう時間が減っていって」
蜂蜜の瓶をヴィルヘルミーネの手に押しつける。彼女の指は冷たかった。馬車の中でずっと手を握りしめていたのかもしれない。
「許す許さないの話は、もう少し考えさせてください。でも、わざわざ来てくれたことには感謝します」
ヴィルヘルミーネは蜂蜜の瓶を両手で抱えて、しばらく何も言えずにいた。
そこへ、背後から足音。
「シャルロッテ」
振り返ると、ニクラスが立っていた。手に鎌を持っている。養蜂場の草刈りの途中だったらしい。無表情で馬車とヴィルヘルミーネを見ている——のだけれど、目だけが鋭い。
「大丈夫です。知り合いが訪ねてきてくれたんです」
「……そう」
ニクラスは鎌を下ろしたが、動かない。ここにいる、という意思表示。
ヴィルヘルミーネが私とニクラスを交互に見て、何か察したように小さく息を吐いた。
「長居するつもりはなかったの。村の宿に一泊して、明日発つわ」
「一泊なら、マーヤのパン屋の二階が空いてます。宿よりずっと清潔ですよ。パンも美味しいですし」
「……あなた、本当に怒ってないの?」
「怒ってますよ、少しは。でもそれと、美味しいパンを教えるのは別の話です」
ヴィルヘルミーネが呆れたように笑った。今度は目も笑っていた。




