表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された悪役令嬢に、無口な養蜂家が蜂蜜で求婚してきます  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/31

第21話「温かい沈黙」

ニクラスと二人きりでいても、沈黙が怖くなくなったのはいつからだろう。


 養蜂場の小屋で蜜蝋キャンドルを作っていた。蜜蝋を湯煎で溶かし、芯糸を浸して引き上げる。それを繰り返すと少しずつ蝋が重なって太くなる。単純な作業だけれど、手を止めると形が崩れるから集中がいる。


 ニクラスは向かいの作業台で巣枠の修繕をしている。木枠の釘を抜き、新しい板を当て、金槌で打ちつける。規則正しい音が小屋に響く。


 コン、コン、コン。


 溶けた蜜蝋のあまい匂いと、木を打つ音。それだけの空間。会話はない。でも、不思議と満ちている。


 前世でも養蜂場の作業小屋にはこういう空気があった。父と並んで巣枠を組んでいた記憶。お互いに黙って手を動かしていて、必要なときだけ「そこ押さえて」と声をかける。あの沈黙は寂しくなかった。


 ニクラスとの沈黙も、同じ種類のものだと思う。


「……芯が曲がってる」


「え?」


 顔を上げるとニクラスが私のキャンドルを見ていた。確かに、考え事をしていた間に芯糸が傾いて蝋が偏っている。


「あ、本当だ。直しますね」


 蝋がまだ柔らかいうちに芯を真っ直ぐに整える。指先に蜜蝋の温かさが残る。


「何を考えてた」


「え?」


「ぼんやりしてた」


 見られていた。作業に集中しているように見えて、ちゃんとこちらに目を配っていたらしい。


「前世のことを、少し」


 この村の人にはまだ前世の記憶のことを話していない。でもニクラスとハインツには伝えてある。蜂の扱いがなぜこんなに手慣れているのか、嘘をつき続けるのが難しくなったから。


 ニクラスは「ふうん」とだけ言って金槌に目を戻した。前世の記憶について深く聞いてこない。信じているのか疑っているのかも分からない。ただ、私が蜂を上手に扱えるという事実だけを受け入れている。


 その淡白さが心地いい。


「ニクラスさんは、なぜ養蜂を続けているんですか」


 聞いてから、余計なことを言っただろうかと少し後悔する。でもニクラスは金槌を止めて、考えるように天井を見上げた。


 小屋の天井は低い。梁が剥き出しで、そこに乾燥したハーブの束がいくつもぶら下がっている。ハインツが虫除けに吊るしたもので、ラベンダーとタイムの匂いがかすかに漂う。


「じいさんが好きだから」


「蜂が?」


「じいさんが、蜂を好きなのが。……分かりにくいか」


「いえ」


 分かる。とても。


 ニクラスは養蜂そのものが好きなのではなく、蜂を愛するハインツのそばにいたいから養蜂を続けている。両親を早くに亡くして、ハインツに育てられたニクラスにとって、養蜂場はハインツとの絆そのものなのだ。


「じいさんが蜂を見てるとき、安心する」


 金槌を置いて、ニクラスが言った。こんなに長く話すのは珍しい。


「蜂を見てるじいさんは機嫌がいい。機嫌がいいと、飯がうまくなる」


「あはは、そこなんですか」


「重要だろ」


 真面目な顔で言うから余計におかしい。でも、分かる。大切な人の機嫌がいいことは、何よりも重要だ。前世で父が養蜂場から上機嫌で帰ってくると、夕飯の味が変わらないはずなのに美味しく感じた。あの感覚と同じもの。


「シャルロッテは」


「はい?」


「なぜ養蜂を」


 同じ質問を返された。しばらく考える。蜜蝋に芯糸を浸して引き上げ、蝋が固まるのを待つ間に。


「蜂といると、余計なことを考えなくていいからです」


 追放されたこと。伯爵家を失ったこと。ヴィルヘルミーネに嵌められたこと。そういう記憶が、蜂の羽音の中では溶けていく。巣箱を開けて、蜂の状態を見て、適切な処置をする。やるべきことがはっきりしている時間は穏やかだ。


「……それと、蜂蜜が好きなので」


「知ってる。パンに塗りすぎだ」


「塗りすぎてません」


「マーヤが言ってた。瓶の減りが早いって」


 マーヤ。余計なことを。でもニクラスの口元がわずかに動いている。笑っている、のだと思う。


 沈黙が戻る。


 蜜蝋キャンドルがだいぶ太くなってきた。きれいな飴色。光に透かすと蜂蜜みたいな金色が浮かぶ。


 コン、コン。ニクラスの金槌の音が再開する。


 蜜蝋の匂い。木を打つ音。それだけの空間。


 でもさっきよりずっと温かい。言葉を交わしたあとの沈黙は、交わす前とは違う。知らなかったことを一つ知って、見えなかったものが一つ見えて、その分だけ隣にいる意味が増す。


 キャンドルの芯に火を灯してみる。蜜蝋の炎は明るくて穏やかで、ほんのり甘い匂いを立てる。


「きれい」


 思わず呟くと、ニクラスが手を止めてこちらを見た。炎が揺れて、ニクラスの瞳に小さな光が二つ灯る。


「ああ」


 ニクラスは炎を見ていたのか、私を見ていたのか。


 聞けなかった。聞く勇気がなかったのではなく、聞かなくてもいい気がした。この沈黙のまま、もう少しだけこの時間を壊さずにいたい。


 窓の外では、冬の風が養蜂場の枯れ枝を鳴らしている。春はまだ遠いはずなのに、この小屋の中だけ季節が違う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ