第18話「手伝いに来る頻度」
マーヤに指摘された。
「ニクラスさん、最近シャルロッテさんのところに毎日来てない?」
パン屋の厨房で、焼き上がったパンに蜂蜜を塗る作業を手伝っていたときのこと。マーヤは生地をこねる手を止めずに、にやにやとこちらを見ている。
「毎日じゃないわ。三日に一回くらい」
「先週は月曜と水曜と木曜と土曜に来てたよ。パン屋の窓からシャルロッテさんの養蜂場、見えるんだよね」
四日。週に四日。それは三日に一回ではない。算数を間違えていた。元伯爵令嬢の教育水準が疑われる計算ミス。
「越冬の見回りを手伝ってくれているだけよ」
「見回りって、二人でやる必要ある?」
ある。巣箱の重さを確認するとき、片方が持ち上げて片方が下から覗く。一人だと効率が悪い。そう説明しようとしたけれど、マーヤの目が完全に「そういうことじゃない」と言っている。
「ニクラスさんって、他の人の養蜂場を手伝うことあるの?」
「……ないと思う」
「だよねえ」
マーヤがパンをオーブンに入れながら歌うように言う。小麦粉が舞い上がって、厨房の空気が白く霞む。
「マーヤ、変な意味じゃないから」
「うんうん、わかってる。変な意味じゃないよね。蜂のためだもんね」
絶対わかっていない。マーヤの「わかってる」は「全然わかっていないけれど面白いから話を合わせる」の意味だ。パン屋の娘は商売人だけあって、人の機微に敏い。困る。
パン屋を出て、村の通りを歩く。冬の空は低い。灰色の雲が重なって、また雪が降りそうだ。吐く息が白い。
養蜂場に帰ると、案の定ニクラスがいた。マーヤの予言が的中している。恐ろしい子だ、パン屋の娘。
柵の前ではなく、中にいた。私の巣箱の前にしゃがみ込んで、藁の状態を確認している。自分の家のように自然に。
「あ、ニクラスさん」
「巣箱の藁がずれていた。直した」
「ありがとうございます」
「風が強かったからな。縄を二重にしておいた」
「助かります」
ニクラスが立ち上がる。ズボンの膝に土がついている。藁くずが肩に乗っている。長いことしゃがんでいたのだろう。
「あの、いつからここに?」
「一刻ほど前」
一刻。私がマーヤのところにいる間、ずっと私の養蜂場で作業していた。
「そんなに長く……すみません、いないときに」
「蜂は待たない」
それはその通りなのだけれど。
ニクラスは私の養蜂場を自分の養蜂場の延長のように扱っている。藁がずれていたら直す。巣箱の様子がおかしければ見る。それが当然のような顔をして。
「ニクラスさん」
「なんだ」
「ご自分の養蜂場の手入れは大丈夫ですか? こっちばかり来ていただいて」
ニクラスが少し間を置いた。
「うちは爺さんがいる」
「だからこっちに来てくださっている?」
「……蜂の数はおまえのほうが少ない。見回りの手間も少ない」
つまり、効率の問題だと言いたいらしい。ハインツさんの養蜂場は巣箱が二十以上。私は六つ。確かに私のほうが見回りは楽だ。
でもそれなら、わざわざ来なくても私一人でできる。
「おまえは巣箱の底板の確認を忘れる」
「え?」
「先週も先々週も、底板の結露を拭いていなかった。俺が来て拭いた」
言われて初めて気づいた。底板の結露。蜂が出す湿気が底に溜まると、カビの原因になる。前世では温暖な地域だったから気にしたことがなかった。
「すみません……」
「謝るな。覚えろ」
厳しい。でもハインツさんの厳しさとは種類が違う。ハインツさんは「知らないなら教えてやる」という厳しさ。ニクラスは「俺がやるから気にするな」を無理やり「覚えろ」に変換しているような。
不器用だなあ、この人。「手伝いたいから来ている」と言えばいいのに。いや、ニクラスがそんな台詞を口にしたら私のほうが驚いて倒れそうだけれど。
「わかりました。明日から底板も確認します」
「ああ」
ニクラスが帰ろうとする。
「あ、ニクラスさん」
「……なんだ」
「肩に藁くずがついてます」
手を伸ばして、肩の藁くずを取った。指先にニクラスの外套の硬い布地が触れる。冷たいかと思ったけれど、体温が移ったのか少しだけ温かい。
ニクラスが固まった。
一秒。二秒。
「……行く」
短く言って、早足で柵を越えていった。振り返らない。でも耳が、ほんの少し赤かった。
寒さのせいかもしれない。冬だし。耳は冷えるし。風も強いし。そうに決まっている。
でもマーヤの声が頭の中でリフレインする。明日パン屋に行ったら絶対にこのことを報告してしまいそうな自分がいる。いや、しない。しないぞ。マーヤに話したら最後、村中に広まる。
でもマーヤの声が頭の中でリフレインする。「ニクラスさん、最近シャルロッテさんのところに毎日来てない?」
毎日じゃない。週に四日。
――……四日は、多いのかもしれない。




