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追放された悪役令嬢に、無口な養蜂家が蜂蜜で求婚してきます  作者: 夜凪 蒼


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第16話「冬が来る前に」

朝、息が白くなった。


 養蜂場に出ると、蜂たちの動きがいつもより鈍い。花を求めて飛び回る数が減っている。巣箱の入口でうろうろと歩いている蜂が目立つ。


 秋が深まっている。冬が近い。


 前世の記憶が警鐘を鳴らす。蜂の越冬は甘くない。準備を間違えれば春に巣箱を開けたとき、群が全滅していることもある。


 父がそれで泣いたのを覚えている。三つの群を失った冬。母が父の背中をさすっていた。あの光景だけは、二つの人生を経ても色褪せない。


「まず蜜の確認ね」


 独り言が増えた。養蜂場にいると蜂に話しかけ、蜂がいないときは自分に話しかけている。人に見られたら怪しい人だと思われるだろう。でも養蜂家はみんなこうだと前世の父が言っていた。嘘かもしれない。


 巣箱を一つずつ開ける。越冬に必要な蜜の量は、巣箱一つにつき十五キロが目安。足りなければ砂糖水で補う。蜂を冬に飢えさせるわけにはいかない。


 一番の巣箱。蜜は十分。女王蜂も元気で、働き蜂がしっかり巣枠を覆っている。


 二番。やや少ない。秋口に採蜜しすぎたかもしれない。反省点として手帳に書き込む。


 三番を開けたところで、背後から声がかかった。


「越冬準備か」


 ニクラスだった。煙燻器を片手に持っている。自分の養蜂場の手入れの途中らしく、袖をまくった腕に蜜蝋のかけらがついていた。


「はい。三番の蜜が少し足りなくて」


「いくつ足りない」


「三キロくらい」


「砂糖水を作れ。濃度は二対一。冬前は薄いと蜂が貯蔵しない」


「二対一、ですね。ありがとうございます」


 ニクラスはうなずいて、そのまま立っている。帰らない。


「あの、何か?」


「……巣門を狭めろ」


「巣門?」


「冬はネズミが入る。巣門を板で半分塞げ。隙間は蜂が通れる幅だけ残す」


「ネズミ!」


 思わず声が裏返った。蜂の巣にネズミ。想像するだけで背筋がぞわりとする。蜂は怖くないのにネズミは怖い。元伯爵令嬢として育った十七年間の功罪がこんなところに出る。


 前世では父の養蜂場にネズミが出たことはなかった。温暖な地域だったからだ。この辺境の冬は前世より厳しいはず。


「板、ある?」


「えっと……端材なら少し」


「足りるか。見せろ」


 なぜかニクラスが私の物置小屋に入ってきて、端材の山を確認している。板を一枚取り出し、手に持ってサイズを測る。許可を求めない。でも嫌な感じはしない。ニクラスの「見せろ」は「俺がなんとかする」と同義なのだと、最近ようやくわかってきた。


「足りない。うちの端材を持ってくる」


「あ、悪いです。自分で買いますから」


「買う必要がない。うちにある」


 反論を許さない口調。短い言葉なのに有無を言わせない。ニクラスはそのまま自分の養蜂場に戻って、五分後に板を四枚抱えて帰ってきた。


「ここと、ここ。巣門の幅に合わせて切る」


 ニクラスが鋸を持ち出す。私の物置小屋の鋸だ。勝手に使っているけれど、手際が良すぎて文句を言う隙がない。


 板を切る音が養蜂場に響く。がりがりと低い音。木屑が飛んで、松の匂いが鼻をくすぐる。


「押さえろ」


「はい」


 私が板を押さえて、ニクラスが切る。二人で作業をすると、思ったより早い。九つの巣箱の巣門ガードが、一時間ほどで完成した。


「これを釘で留める。緩くていい。春に外すから」


「わかりました」


 金槌を振る。一本目の釘がまっすぐ入った。二本目は少し曲がった。


「力を入れすぎだ」


 ニクラスの手が私の手に重なった。


 一瞬。


 金槌の柄を握る手の角度を直されて、すぐに離れた。ニクラスの手は冷たかった。秋の朝の空気と同じ温度。


「手首だけで振れ。腕ごと振ると曲がる」


「……はい」


 三本目。まっすぐ入った。


 全部の巣箱に巣門ガードを取り付け終わったとき、太陽が真上に来ていた。


「ニクラスさん、帰る前にもうひとつだけ。来年の蜜源、増やしたくて」


 ハインツさんに言われていた。花を増やせば蜜も増える、と。巣箱を増やすのと両輪で、来年の春に向けて種を蒔いておきたかった。物置から出してきたクローバーの種袋を振ると、中で乾いた粒がさらさらと鳴る。ニクラスは黙って袋を受け取り、手のひらに少し出して、それを養蜂場の南向きの斜面に指で示した。「ここがいい。日が当たる。霜が降りる前に蒔いておけば、雪の下で根が張る」。冷えた土に膝をついて、二人で種を撒いていく。指先の土はもう冬の冷たさで、爪の間に黒い湿りが入り込む。蒔き終えた斜面はただの土にしか見えなくて、本当にここから花が咲くのか少し不安になったけれど、ニクラスは「春になればわかる」とだけ言って、土を軽く踏んでならした。


「ニクラスさん、お茶でも飲みませんか。お礼に」


「……いい」


「遠慮しないでください。蜂蜜入りの紅茶、おいしいですよ」


「遠慮じゃない。爺さんの昼飯を作らないといけない」


 そう言って帰ろうとするニクラスの背中に、つい声をかけた。


「あの、また教えてくれますか。越冬のこと」


 ニクラスが振り返る。


「……寒くなったら、巣箱に藁を巻く。そのときにまた来る」


「来る」と言った。自分から。聞いてもいないのに次の予定まで提示してくれている。ニクラス比で考えると、これは長演説に等しい。


「ありがとうございます」


 ニクラスの背中が柵の向こうに消える。松の匂いが残っている。木屑が地面に散らばっていて、それが妙に嬉しかった。


 誰かが自分の場所のために手を動かしてくれた痕跡。掃くのがもったいなくて、結局その日は木屑をそのままにしておいた。


 ――冬が来る。でも不思議と、怖くない。

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