夜明け前 Ⅴ
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迷いの果てに、約束の再確認をするお話です
——何が正解だったのか。
医務室を退室した後も、同じ問答を頭の中で繰り返している。
先ほど、自身が所属する第六小隊の隊長から告げられた新たな任務。
——国境線の防衛
すなわち帝国との戦争だ。
「アストレア様、ソルスティス様、テラリア様……」
王国民たちが日々の祈りを捧げる王宮聖堂
王宮の南に位置する白亜の建造物には、二人の影しかない。
朝の祈りの時間には些か早いのだろう。
聖堂の主たる神父も今は席を外しており、静謐な建物内にはエルンの静かな祈りだけが響いている。
左膝を立てて右膝を床に突き、胸の前で手を組むエルンとは違い、俺は長椅子に深く腰かけていた。
いつもなら三女神に慈悲を乞い、額、胸、両肩へと十字を切っていたのに。
——神に祈ったところで、何も変わらない。
何故ここまで、心が乱されているのか?
レンを逃がしたことか? 剣で彼を止められなかったことか?
どれも正しく、どれも間違っている。
無意識に、手のひらをグッと握りしめた。
治癒魔術を受けたことで貫かれた傷は塞がったものの、完治には至らず手のひらには丁寧に包帯が巻かれている。
安堵していた。
油断していた。
「問題ない」と高を括っていた。
レンの麻薬の副作用による症状は、共に過ごす上で和らいでいると勝手に思い込んでいた。
狂乱したのはあの夜だけ。
その後もリリアン医務官の定期検診を受けていたし、毎日の体調も良さそうで——
——…………いや、違う。
《ベルモデス山》で行われた演習、その五日目の訓練終了後。
合宿所へ帰る道中の、レンの様子。
————誰だ。
お前は、誰だ。
突如放たれたあの言葉はきっと——
「……気付けなかったのは……俺の——責任」
「……ラバ先輩?」
思わず後悔の念が零れていたらしい。
片膝を突いたままエルンが振り返り、ヘーゼルの瞳が心配そうに揺らぐ。
あれだけ同じ時間を過ごして、教育係だと豪語していながら——
「俺は、何も……何も見ていなかった」
彼は内心、麻薬の副作用で苦しんでいたんじゃないか。
衝動のまま、王国に剣を向けるくらい追い詰められていたんじゃないか。
俺は結局——演習を無事合格することしか考えていなかったのだ。
口ではレンを気にかけるような言葉をかけつつも、余裕がなかった。
後輩に追い抜かれることに焦りを感じて
俺は【騎士】なのだから、と。
「ラバ先輩…………」
エルンの涙を堪えたような小さな声が、心臓に刺さったように痛かった。
こんな顔をさせたいわけじゃない。
いつも毅然とした態度で、後輩に頼られるような——
強い騎士になりたかった。
大切な人を護れるような、騎士に。
「まだ俺は——探し物ばかりだ」
握りしめた拳が熱く、痛い。
まるで「お前のせいだ」と責められているような疼き。
振り返れば、レンと過ごした日々は得難いものに変わっていた。
三女神を象徴する美しいステンドグラスを通して、静かな聖堂の床に淡い光と影を落としている。
その光が二度と戻れない日々を思い起こさせるようで、深い後悔の念が一層深まるのを感じた。
正直、帝国の捕虜の教育係を団長から命じられた時は、不安で堪らなかった。
だって、あの帝国だ。
騎士団に迎え入れることが決まったと聞いて衝撃を受けたし、何かの冗談かと思った。
第一印象は——「可哀想」
そう、「可哀想」だった。
生まれた時から麻薬を強制的に投与され、食事をはじめとする劣悪な生活環境。
加えて、命が簡単に使い捨てられる日常に、酷く
慣れていた。
騎士団の当たり前の食事に驚きながらも手を伸ばした時。
王宮の日常に激情や不安、苛立ちを覚えた時。
無感情、冷徹に見えてその実、どこまでも「人間らしい」
その事実を知った時から、レンに対する感情は同情ではなくなっていた。
騎士団に入団したから「仲間」なのではない、と気付いた。
一人の人間として、彼を知りたいのだと思ったのだ。
でも、結局——
「見ているようで、何も見ていなかった……ッ!!」
「…………先……輩」
この状態で、迷いを抱えたままで。
——俺はレンを斬れるのだろうか?
前線に立つ以上、レンと交戦する可能性は十分にある。
仮に遭遇しなくとも、迷ったまま剣を握ればその剣は重くなる。
その結果は、同胞に死を招くかもしれない。
ふと、かつての師の言葉が脳裏を過る。
——騎士は「王国の盾」だ。
「半端な気持ちで『盾』は務まらない……」
——なら、このまま引き下がって後悔を残したまま生きるのか?
そして戦いが終わった後、上官の口から「彼は死んだ」と告げられるのを黙って聞くことを望むのか?
——違う。
きっと、それだけは違うのだ。
「でも…………」
「……せんぱ——」
エルンの小さな手がいつの間にか俺の肩に添えられ、彼女が口を開こうとした、その刹那。
「……おい、ラバック。客だ」
どこか懐かしい声が、思考の海から強引に引き揚げるように届いた。
不機嫌な声色。
けれど、どこかこちらを案じているような——不思議な感覚。
「カルロス……」
「……いつもの能天気な顔はどうした」
声をかけてきたのは、カルロス・クレイニだった。
彼は面倒そうに聖堂の入り口に立っている。
見習いを示す騎士服を着崩し、顔には深い苦労の皺が刻まれている。
予想だにしなかった人物の登場に俺はあっけにとられ、しばらく反応を返すことができなかった。
「……まぁいい。それより客の相手をさっさとしろ」
俺が未だに反応を見せないことに苛立ったのか、彼はぶっきらぼうに告げると聖堂を後にした。
次いで、カルロスと入れ替わるように一人の男が前に出た。
自然と視界に入る形になり——
「————し、師匠……!?」
「よぉ、ラバ! なんだぁ? そのしけた面!」
脳髑まで響きそうな大きな声に、先ほどまでの悩みを一瞬忘れてしまった。
隣で驚きの声を上げるエルンの声さえ、力任せに塗り替えていくような豪快さ。
それくらい、うるさくて。
それくらい、俺の人生を変えた人の声だった。
「な、何でここに……?」
「たまには故郷に帰ろうと思った。んで、久しぶりに弟子の顔を見に来た。それだけだ!」
「連絡くらいしてよ……」
相変わらず、行動が読めず自由奔放な人だと思う。
俺が迷っていることを知る由もないはずなのに、タイミングも良すぎる。
「あ……初めまして! 私は第六小隊所属の——」
エルンが騎士の一礼と共に名乗ろうとするが、師匠は片手でそれを制した。
予想外の反応だったのだろう、エルンは初対面の男の様子に戸惑っているようだった。
無理もない……だが、いちいち指摘するのも面倒なのだ。
これがこの男の通常運転なのだから。
「あ、挨拶は大丈夫だ! ラバから聞いてるからな! 初めまして!お前がエルンだろ?」
「は、はい……」
あっけにとられるエルンに満面の笑みで応える師匠に、俺は自分の気が沈んでいたことも忘れ、声を荒げていた。
「ちょっと師匠! エルンが困ってるだろ!?」
「え、そうか? すまんな! つい」
「そういうとこ!!」
「それより聞いたかラバ?! 第二会議室で痴話喧嘩だ! 隊の編成を決めるはずが、何故だか浮気が発覚して別れ話に発展した挙げ句、家賃と生活費をどちらが多く負担するか揉めて、会議どころじゃないらしいぞ!!」
「えっ! それはほん…………いや、違くて!!」
突然連絡もなく現れたかと思いきや、どこからこんなゴシップを仕入れてくるのか……
そもそもこの男は既に騎士を退役しているのに、平然と会議室付近に近づけるのがおかしい。
王宮の警備はどうなっているんだ!! ザル衛兵が……! 団長に怒られろ!!
「なんか悩んでるんだろ?」
「————分かる、の?」
「当たり前だ」
瞬時に、確信を突くような言動と表情に変化する。
状況をイマイチ掴めないエルンは空気を読んでくれたのか、再び三女神に祈りを捧げるために小さな会釈と共に離れていった。
「——……どうすればいいのか、分からないんだ」
レンのことも、彼が王国に剣を向けたことも、麻薬のことも何も説明せずに、俺は無我夢中で自身の気持ちを吐き出していた。
「どうすればよかった……?! 何が正解だったんだよ!! ——追いかければよかった? 斬ればよかった? ……できるわけがない……できるわけがないだろッ!!」
慟哭だった。
こんなに声を上げて、くしゃくしゃになりながらみっともなく泣いたのは、いつ以来だろう?
思わず、師匠の胸ぐらを叩いていた。
目の前の男からすれば、理不尽で俺の行動に思考が追い付かないかもしれない。
でも、相手の感情や思考を考える余裕なんて、既に無かった。
「友人だと思った!! 同じ部隊の仲間ってだけじゃなくて……! もっと——別の……!」
師匠が僅かに息を吐いたのが分かったが、激情と激しい後悔の波は止まらない、止められない。
「楽しかった……楽しかったんだ。敵国なんて関係ない……だって、あいつ——『ありがとう』って、『俺が本物の【騎士】になるまで待ってろ』って言ったんだ……!!」
——約束したんだよ。
叶わない約束を結ぶのが怖くなった俺に。
もう一度、約束を——
「なのに……なのに、俺は見ていなかった!! 気付けなかった! 自分のことに必死で!! だから、俺は——」
——斬れないんだ。
「斬れないんだよ……」
「騎士としては『不正解』だ」
ずっと黙って聞いていた師匠の声が重く、心臓を突き刺した。
彼の胸ぐらを掴んでいた手が震え、絶え間なく溢れた涙が聖堂の磨かれた床を濡らしていく。
否定されたわけではない、師匠は正論を語っただけ。
しかし、その後に続く言葉が——
「だが、『人間』としては当然の感情だ! それでいい!!」
「————は?」
言葉を完全に理解するのに数秒を要した。
今しがた「騎士」としての不正解を指摘されたはずだったのに……
「『斬れない』と思うなら斬るな。斬る以外の方法で向き合え」
「で、でも——」
戦争だ、戦場で遭遇すれば自ずと剣を交わすことになる。
それは「斬る」ことに繋がるのではないだろうか?
「ラバ、【騎士の剣】とは何だ?」
その真っ直ぐで真剣な問いに。
霧が晴れたようだった。
——騎士の剣とは、対話である。
「……対話、です」
師匠は先ほどの真剣な様子を微塵も感じさせない笑顔で語る。
「なんだ、分かってるじゃないか。そいつを『見てなかった』なら、今から『見ればいい』殺す、殺せない、以前にしっかり話し合え。ついでに——」
師匠は俺の頭に自分の倍もある大きな手を置いた。
そして、ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしるように動かす。
「一回ひっぱたいてこい! それで仲良く雑居房行きだ!!」
斬るのではなく、対話を通じて。
—— 一緒に、帰る。
「——必ず」
「約束だ!! お前ら全員揃って顔を見せに来い!!」
その言葉は、少し離れたエルンにも向けられた言葉だった。
聖堂の外からは、朝を告げる雲雀の美しい鳴き声が聞こえてくる。
長かった夜が明ける。
結末は未だ不透明。
——それでも。
重かった腰の愛剣が、少し軽くなった気がした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きがあらんことを
星詠 にしみん




