第36話:屋台に、新しい一杯が生まれた日。
「……」
いつもは饒舌な常連客が、今日は妙に静かだった。
「……何かありましたか、お客さん」
俺は、その常連客に声をかける。
「……美味い。ここの肴は、確かに美味いんだが……」
常連客は、腕を組んでいた。
「店主。もうちょっと『気楽に食べられる』、『軽い料理』を増やせないかね?」
「軽い料理、ですか……糠漬けやだし巻き卵だけじゃ品数が足りない、そんな感じでしょうか?」
常連客はうんうんと頷いた。
「そうだな……例えば、『いぶりがっこチーズ』とか、知ってるかい?」
「……名前だけは。実際に食べたことは……」
「そうだろう、そうだろう。店主の料理はお上品だから、なかなかジャンクなモノは知らないだろう」
常連客は話を続けた。
「秋田名物いぶりがっこで、クリームチーズを挟んだものさ。簡単なんだが、これがなかなか日本酒に合う」
「そうなんですか」俺は知らなかった。そういう食べ方もあるのか。
「あと、広島の料理なんだが、ウニクレソン、なんてのもある。これは流石にウニを使ってるから、気軽な料理じゃなくなるけどね」
「そんなのも、あるんですね」
「そういった料理があってもいいんじゃないかと思うんだ。屋台ってのは、もっとジャンクで、手軽に食べられる料理があってもいい。その方が、一見の客も気楽に入れるってもんだ」
常連客は酔ってきたのか、鼻息荒く、俺に料理のバリエーションのアイデアを話すのだった。
──確かに、オヤジさんにも、似たようなことを言われたっけ。「もっと、安くて満足してくれる料理を目指してみてくれんか」って。
常連客の言葉を聞きながら、とりあえず、いぶりがっこチーズを試してみるか。俺はそう思ったのだった。
翌日。屋台開店前。
俺は、スーパーに寄ってから、屋台の開店準備に取り掛かった。
スーパーの袋から、いぶりがっこと、クリームチーズを取り出す。
いぶりがっこを切り、間にクリームチーズを挟んだ。
味の想像がつかなかった。思い切って、食べてみる。
──ほう。これは、意外といけるな。確かに、日本酒にも合いそうだ。クリームチーズの量と、いぶりがっこを切る厚さを詰めていけば、店で出してもいいかもしれない。
昨日の常連客がやってきた。二軒目なのか、程よい良い酔い加減だった。
「日本酒と……ええと、何か軽いものを頼むよ」
「じゃあ、これ、試してもらえますか?お試しなんで、お代は結構です」
そう言って、俺は、いぶりがっこチーズを差し出した。
「お、いぶりがっこにクリームチーズかい。早速、試してくれたのかぁ」
赤ら顔の常連客が嬉しそうに言った。
いぶりがっこチーズをつまむと、一口、口の中に放り込む。いぶりがっこをポリポリと噛む音が聞こえてきた。
「いいねぇ。こういう軽いものがあると、いいんだよ。いつもの肴も絶品だけど、軽く一杯って気分の時には、こういうのがあるといい。これがあるなら、毎日でも寄りたくなるな」
常連客は、二切れ目をつまんで、日本酒をあおった。満足げな表情だった。
「高い店ほど、こういうのを出さないんだよな。勿体無い」
「……そうですね……色々教えていただき、ありがとうございました」
俺は、常連客に、頭を下げるのだった。
次回予告:
何気ない常連客の言葉。
それは、俺の気持ちを和らげるには、十分すぎる言葉だった。




