第31話:それでも、俺は戻らない。
夕方。今日も、俺は、屋台の開店準備をしていた。
俺は上機嫌だった。いいヒラメが、手頃な価格で仕入れることが出来た。今日のおすすめは、ヒラメのお造りである。
オヤジさん直伝の煮込みも、いい感じに仕上がっていた。
「……お時間、よろしいですか?総料理長」
突然、声をかけられた。今の俺のことを「総料理長」などと呼ぶ人間は、碌でもない人物に決まっていた。
振り返ると、あのホテルの総支配人が、目の前に立っていた。
「これはこれは、総支配人。お久しぶりです」
俺の声は、慇懃無礼だった。意図せずとも、あのホテルの関係者――特に経営層――に対して、普段通りに対応できるほど、俺の心は寛大ではなかった。
「総料理長。ホテルの厨房に戻ってきてくれませんか。あなたの腕と、あなたの教育が、今のホテルには必要なんです。あなたの方針は正しかった。我々の目が節穴だった。お願いですから――」
「どんなことを言われたって、俺は戻らないよ」俺は冷たく言い放った。
「――この条件でも、ですか?」
総支配人は、待遇と雇用条件を提示した。正直、放逐される前以上の高待遇だった。
それでも、俺は首を横に振った。
「待遇の問題じゃない。俺は、あの社長の下では働けない。働く気にもなれない。どんなに金を積まれても、その気持ちは変わらない。わかったら、帰ってくれ。そして、二度と、俺の前に現れるな」
俺は、総支配人に告げると、屋台の開店準備に戻った。
開店前、総支配人の姿はそこにはなかった。今回は、大人しく引き下がったらしい。
――まぁ、これで簡単に諦める連中とも思えないけどな……
一抹の不安を覚えつつ、今日も、俺は、屋台を開店するのだった。
次回予告:
ホテルの社長は、経営陣を呼び出した。
ホテル経営の歯車が、さらに狂っていった。




