第16話:仕込みに嘘はつけない――職人の朝。
ある日の早朝。俺は、オヤジさんと、魚市場にいた。今日の料理の仕込みのためだった。
場内を歩くもの、総料理長時代にはなかったことである。久しぶりの市場だった。
――俺の目利きは、落ちてはいないだろうか?
一抹の不安を俺は覚えた。
市場を歩く。いろんな魚介・食材に目を奪われる。その場で、料理が思いつく。
しかし、それは、「総料理長時代」の考えだった。金に糸目をつけない考え方だった。
今は、屋台の客のための料理を作るのである。質は高く、かつリーズナブルな物を見つけなければならなかった。
ふと、俺の目に、一尾のオコゼが飛び込んできた。立派なオコゼだった。でも、卸値が安い。
「……このオコゼ、なんでこんなに安いんですか?」
俺は市場の店主に聞いた。
「大きさは立派なんだが、荷上げの時に傷つけちまってね。味は悪くないと思うんだが、まぁ、訳アリってわけさ」
俺はその話を聞いて、オヤジさんへ振り向いた。
「今日は、このオコゼを使っちゃダメですかね?」
オヤジさんは笑っていた。
「好きにするがいいさ。あの屋台は、お前さんの屋台なんだから」
そう言って、ホッホッホと笑ったのだった。
その態度から、オヤジさんの目から見ても、このオコゼの品質に問題はないらしい。俺は、早速、そのオコゼを購入したのだった。
今日のおすすめが決まった。
オコゼのお造り、唐揚げ、肝刺し、赤だしのあら汁。オコゼを使った一品料理の数々。
これも、「訳アリ」を見つけたからこそ出来ることだった。
「総料理長」時代だったら、このオコゼは購入していなかったかもしれない。自分の目利きの変容に、我ながら驚くのだった。
早速、屋台に戻り、オコゼの仕込みを行う。オコゼの一品料理をオヤジさんに試食してもらった。
「……やっぱり、オコゼは美味いのう。このあら汁とか、客に出すのが勿体無いくらいじゃ」
オヤジさんの合格点を得た今日のオコゼ料理は、その日の常連客にも、大変好評だった。
「今日は特別いいのが手に入ったんでね。次はいつになるかわかりませんよ」
おひとり様一品でお願いします、と、俺は、おかわりを要求する客にそう伝えるしかなかった。
オコゼに負けない、いつでも手に入る食材を見つけないと、と、俺は気を引き締めるのだった。
次回予告:
屋台が少しずつ噂になり始める。
だが、それは、静かな波紋の始まりだった。




