第31話:爛れる美貌。ミレーヌの狂乱と「もっと強い光を!」
ヒュル、と乾いた音を立てて、黒いシルクのベールが血に汚れた医務室の石床へと落ちた。
その瞬間、大広間を満たしていた騎士たちの苦悶の呻き声すら、まるで氷の刃で切り落とされたかのようにピタリと途絶えた。
そこに現れた異形を目にした全員の呼吸が、同時に凍りついたのだ。
「ひ……」
中央騎士団長ヴァルター卿の喉から、掠れた悲鳴が漏れ出た。
歴戦の猛将として数々の凄惨な戦場を渡り歩き、魔獣に引き裂かれた死体すら見慣れていたはずの男が、本能的な恐怖に顔を引き攣らせて二歩、三歩と後退る。
老軍医たちは息を呑んで胸元で十字を切り、若い衛生兵たちは持っていた包帯の束を取り落として腰を抜かした。
そこに立っていたのは、かつて「社交界の至宝」「白皙の美姫」と謳われ、数多の貴族子弟を傅かせていた侯爵令嬢、ミレーヌ・フォン・サルムの姿ではなかった。
「あ……ああ……ミ、ミレーヌ様……? 貴女の、そのお顔は……」
ユルゲンの青い瞳が、恐怖のあまり限界まで見開かれた。
顎の関節が外れたかのようにガタガタと震え、唇から血の気が完全に引いていく。
ミレーヌの顔面は――まさに、地獄の業火で内側から焼き焦がされたかのように、完全に崩壊していた。
かつて自慢だった雪のように白い陶器肌など、どこを探しても欠片すら残っていない。
額から両頬、顎先に至るまで、皮膚全体がどす黒い赤紫色に腫れ上がり、ところどころが破裂した風船のようにパンパンに浮腫んでいる。毛細血管が限界まで拡張して網の目のように浮き彫りになり、数え切れないほどの黄色い膿疱がブツブツと群生していた。
それだけではない。
激しい炎症によって角質層が完全に剥離した皮膚の表面からは、濁った黄色い浸出液(血清)が絶え間なくジュクジュクと滲み出し、顎を伝って真紅のドレスの胸元へとポタポタと滴り落ちていた。
皮膚が乾いて引き攣れた部分には無数の亀裂が走り、裂け目からは生々しい真皮の肉が赤く露出して、血と膿が混ざり合っている。
鼻の頭は火傷のように皮が剥がれ、唇は乾燥とただれで通常の倍近くに腫れ上がっていた。
部屋の中に漂うのは、高価な香油ではもはや覆い隠すことのできない、腐敗した生体組織特有の生臭い悪臭――そして、焦げ付いた薬品の強烈な化学臭だった。
「ふふ……あははははっ! 驚いた? 驚いたでしょう、ユルゲン!」
ミレーヌは狂乱の笑い声を上げながら、血走った両目でユルゲンを凝視した。
その瞳には、かつての傲慢な令嬢の気品など微塵も残っていない。激痛と狂気に脳を焼かれた、哀れな亡者の光だけがギラギラと渦巻いていた。
「見てよ! 私のこの顔を! 貴方がくれた、あの素晴らしい『奇跡の美容ポーション』のおかげで、私の顔はこんなにも素晴らしいことになったのよ!!」
「そ、そんな……馬鹿な……! 私の調合した美容液は、最高濃度の魔力光を凝縮した至高の逸品のはずだ! なぜ……なぜそんな姿に……!?」
「なぜですって!? 貴方が言ったんじゃないの!!」
キィィィィィッ! と鼓膜を劈くような金切り声が響いた。
ミレーヌは泥まみれの爪を振り上げ、ユルゲンの胸ぐらを掴みかからんばかりに詰め寄った。
「『誰よりも白く輝く肌になれる』って! 『エレナの作った地味な泥水のような化粧水など捨てて、私の光のポーションを塗り重ねれば、即座にどんな傷もシミも消え去る』って、貴方が自慢げに渡してきたんじゃないのよッ!!」
「ひっ……!」
ユルゲンが悲鳴を上げて後ずさる。
医務室にいた全員が、その言葉の裏にある「恐るべき事実」を悟り、戦慄した。
エレナを王立薬草院から追放した後、社交界の頂点に君臨しようとしたミレーヌは、美への執着からユルゲンに「即効性のある最高の美白薬」を要求したのだ。
そしてユルゲンは、自らの調合の正しさを証明しようと、軍用の高濃度ポーションの抽出液をさらに濃縮し、発光魔力を極限まで添加した「超高濃度・即効性美容ポーション」を作り上げた。
ミレーヌはそれを、朝に晩に、原液のまま自らの顔面に塗りたくっていたのである。
最初は、確かに白くなったように見えた。
だがそれは、美肌になったのではない。
高濃度の魔力刺激によって皮膚の毛細血管が異常に収縮し、血流が途絶えたことによる「死人のような蒼白」に過ぎなかったのだ。
そして、急激な細胞破壊に対する生体の防御反応として、皮膚組織に水分が溜まり、パンパンに張ったことで、一時的に小じわが消えたように錯覚しただけだった。
しかし――その欺瞞は、長くは続かなかった。
「最初は……少しピリピリするだけだったわ! でも、三日も経つと、顔全体に火がついたように熱くなって、痒くて、痛くて……! 夜も眠れずにシーツに顔を擦り付けるようになったのよ! 朝起きるたびに、顔から黄色い汁がシーツに張り付いて、剥がすたびに皮膚がベリベリと破れて血が吹き出すの!!」
ミレーヌは自らの両手で、爛れた頬を掻きむしりそうになりながら絶叫した。
その指先は血と膿で汚れ、爪の間には剥がれ落ちた自らの皮膚の残骸が挟まっている。
「怖くなって、貴方に相談したわよね!? そしたら貴方は何て言った!? 『好転反応だ』って! 『体内の不浄な毒素が表面に噴き出している証拠だ、もっと高濃度の光のポーションを原液のまま塗り重ねて、無理やりにでも細胞を縫合させろ』って言ったじゃないのよぉぉぉっ!!」
「あ……あわ……」
ユルゲンの喉が、カチカチと音を立てて痙攣した。
弁解の言葉など、何一つ出てこない。
なぜなら、彼がミレーヌに指示した言葉は、まさに彼自身が信奉していた「即効性至上主義」の狂気の教義そのものだったからだ。
医学的に見れば、それは「自殺行為」以外の何物でもなかった。
――接触皮膚炎の劇症化(重度ケミカルバーン・化学熱傷)。
――ステロイド潮紅・酒さ様皮膚炎の最悪の末期病態。
皮膚の最表面にある角質層は、厚さわずか〇・〇二ミリ。
その薄い膜が、水溶性成分や外部の毒素を跳ね返すための鉄壁の生体バリアを形成している。
だが、高濃度のアルコールや過剰な浸透圧を持った魔力抽出液を原液のまま塗り続ければ、角質層の細胞間脂質は完全に融解し、生体バリアは粉々に破壊される。
バリアを失い、無防備になった真皮層には、痛覚を感知する自由神経終末や、無数の毛細血管が剥き出しになっているのだ。
そこへ、さらに「もっと強い光のポーション」を塗り重ねるなど――。
擦りむいて肉が露出した傷口の上に、毎日、濃硫酸と劇薬アルカリをぶちまけ続けているのと完全に同義だった。
皮膚は激しい急性化学熱傷を起こし、表皮細胞は壊死。
過剰な異物刺激に晒された免疫系は狂乱状態に陥り、大量のヒスタミンや炎症性サイトカインを放出して、顔面全体に劇症型アレルギー反応を巻き起こした。
血管は拡張しきって鬱血し、組織液がダムの決壊のように溢れ出して黄色い浸出液となり、毛穴の常在菌は全滅して黄色ブドウ球菌が繁殖し、全身性の蜂窩織炎へと突き進んでいたのだ。
「エレナが……あいつがいた時は、こんなことにならなかった……!」
ミレーヌの喉から、血を吐くような悔恨と狂気の叫びが漏れ出た。
「あいつが作っていたあの地味な茶色いクリームをつけていた時は……こんな痒みも、痛みも、一度も起きなかった! あいつは『ゴシゴシ擦っては駄目です』『お肌には水分と油分のフタが必要です』って、口うるさく私に言っていたわ! それを……それを貴方が『あんな光りもしない泥水は無価値だ』って笑って捨てさせたんじゃないのよ!!」
かつて、ミレーヌの肌が美しさを保てていたのは、エレナが陰で彼女の肌質に合わせ、蜜蝋とカモミール、植物油を配合した低刺激の保護バームを調合し、こっそりと渡していたからだった。
地味で、光らず、即効性はないが、皮膚のバリア機能を守り育てる誠実なケア。
それを「無能の泥水」と嘲笑い、自らの手で踏みにじった結果が――この、顔面全体の壊死という哀れな末路だったのだ。
「ユルゲン……! 痛いのよ! 痒いのよ! 顔が……顔の奥で、無数の虫が這いずり回って、肉を食い破っているみたいに熱いのよぉぉぉっ!!」
ミレーヌは両膝を床につき、ユルゲンの純白のローブの裾に縋り付いた。
その顔から滴る黄色い膿と血が、豪奢な白布へとベッタリと塗りつけられていく。
「早く……早く治しなさいよ! 貴方は天才錬金術師なんでしょう!? 王立薬草院の筆頭なんでしょう!? もっと強い光を出しなさい! 私の傷を、この爛れた皮膚を一瞬で塞ぐ、奇跡の最高濃度ポーションを今すぐ塗りなさいよォォッ!!」
「ひ、ヒィィッ! は、離せ! 離れろミレーヌ様! 私の服を汚すな!」
ユルゲンは恐怖と嫌悪のあまり、自らの裾を力任せに引き抜こうとした。
だが、狂乱状態のミレーヌの力は凄まじく、爪が食い込んで離れない。
周囲を見渡せば、倒れた騎士たちを介抱していた老軍医や衛生兵たち、そして騎士団長ヴァルター卿までもが、冷え切った、底知れぬ軽蔑と嫌悪の眼差しでユルゲンを見下ろしていた。
(み、皆が私を見ている……! この私が、無能だと……私のポーションが毒だと、そう思っているのか!?)
プライドの崩壊。
保身の暴走。
追い詰められたユルゲンの脳内で、理性のタガが完全に吹き飛んだ。
「わ、分かった! 分かったから静かにしろ!!」
ユルゲンは叫びながら、自らの腰の特製革ホルダーから、一本の硝子瓶を乱暴に引き抜いた。
それは、中央騎士団に配備した「ハイ・エーテルポーション」の、さらに三倍以上の魔力抽出物を封入した、王立薬草院の試作最高濃縮原液――青白く、毒々しいまでに激しく明滅する、液体魔力の塊だった。
「ユ、ユルゲン殿、待て!」
老軍医が青ざめて叫んだ。
「皮膚の角質層が完全に壊死して真皮層が露出している患部に、そんな高浸透圧の魔力原液を塗布するなど言語道断だ! 強酸を浴びせるようなものだぞ! 即座の激しい急性化学熱傷と劇症型アレルギーショックで、命に関わる!!」
「黙れヤブ医者が! 私の調合を疑う気か!!」
ユルゲンは軍医の警告を怒鳴り散らして一蹴した。
現実から目を逸らし、自らの理論が正しいと証明したい一心で、狂気の沙汰へと手を伸ばす。
「見せてやる……! 私の最高傑作の光が、どんな重傷をも一瞬で癒やす奇跡の神薬であることを、今ここで貴様らの目に焼き付けてやる!! ミレーヌ様、お顔を上げなさい! この光を浴びれば、貴女の肌は一瞬で塞がりますぞ!!」
ユルゲンは瓶の蓋を歯で噛みちぎって吹き飛ばすと、青白く発光する原液を、ミレーヌの爛れ果てた顔面目掛けて――ドボドボと、直接振りかけたのだ。
「あ……光……私の、美しい肌が……」
ミレーヌが恍惚とした表情で顔を上げた、まさにその刹那。
ジュウウウウウウウウウウッッッッ!!!!
耳を塞ぎたくなるような、肉が焼ける凄まじい音が医務室に響き渡った。
高濃度の魔力原液が、剥き出しになった真皮層の毛細血管と痛覚神経に触れた瞬間――急激な浸透圧差によって、露出していた生体細胞から水分が一瞬にして強奪され、タンパク質が熱変性を起こして白く凝固したのだ。
立ち上る、肉を焦がしたような酸っぱい白煙。
そして――。
「――ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!
ああああああっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっあああああぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
その部屋にいたすべての人間が耳蓋を覆うほどの、この世のものとは思えない叫び声だった。
ミレーヌは顔面を両手で覆い、まるで頭蓋骨を万力で万力で締め上げられたかのように身悶えながら、床の上を転がり回った。
白大理石の床に高級なドレスが擦れ、爪が石の隙間をガチガチと引っ掻く。
「ミ、ミレーヌ様!?」
「あづい! あづい、あづい、あづいぃぃぃっ! 顔が……顔が焼けるぅぅっ! 火を……顔に油をかけられて火をつけられたわ! 皮膚が……溶ける、皮膚が剥がれ落ちるぅぅぅっ!!」
のたうち回るミレーヌの手が、自らの顔を激しく掻きむしる。
バリッ、と皮膚が裂けるおぞましい音。
ただでさえ炎症を起こし、薄皮一枚で繋がっていた真皮の表面が、彼女自身の鋭い爪によって無残に引き裂かれ、鮮血と黄色い浸出液が混ざり合って噴き出した。
顔面は完全に原型を失い、赤黒い肉塊のように爛れ爛れていく。
「ひ、ひぃぃぃぃっ! な、何だこれは……! なぜだ!? 私のハイ・エーテルポーションは、細胞を急速再生させる奇跡の神薬のはずだ! なぜ傷が塞がらん!? なぜ爛れるんだッ!?」
ユルゲンは持っていた薬瓶を取り落とし、ガシャンと甲高い音を立てて床で粉々に砕け散った。
飛び散った青白い液体が、床の血だまりと混ざり合って、不気味にジクジクと泡を立てている。
「お、愚か者めが……ッ!!」
老軍医が怒りで顔を真っ赤にして叫んだ。
「皮膚のバリアが失われた無防備な組織に、そんな高浸透圧の劇薬を流し込めば、生体細胞の水分が極限まで引き抜かれ、脱水と壊死を起こすに決まっておろうが! しかもその薬液……強烈な魔力残渣で強酸性に傾いておる! 傷口に塩と酢と焼けた油を同時に擦り込んだようなものだ!!」
「そ、そんな……馬鹿な……! 私の薬学が……私の理論が、間違っているというのか……!? 私は天才だ……! 光こそが正義だ……! 光らない薬など、泥水以下のゴミ屑のはずだぁぁぁっ!!」
ユルゲンは頭を抱え、後ずさりながら叫んだ。
床ではミレーヌが、もはや人語にならない獣のようなうめき声を上げながら、痙攣を繰り返している。
その顔は、もはや貴族の令嬢としての面影などどこにもなく、誰が見ても直視に耐えない、ただの焼け爛れた肉の塊だった。
自らの美への執着と、即効性という甘い毒に溺れ、地道な養生を嘲笑い続けた女の、あまりにも無残で、あまりにも救いのない自業自得の末路。
「……衛兵」
ヴァルター卿の、絶対零度の冷え切った声が下された。
「ミレーヌ様をただちに別室の隔離病床へ運べ。……水で顔を洗い流し、これ以上の薬物の塗布は一切禁ずる。それから、サルム侯爵家へ急使を送れ。『令嬢が自らの不摂生と劇薬乱用により、再起不能の重態に陥った』とな」
「は、ハッ!」
屈強な衛兵たちが、血と膿まみれになって失神したミレーヌを毛布で包み込み、運び出していく。
引きずられていく真紅のドレスの裾が、床に長い血の線を引いていた。
残された医務室には、吐血して倒れ伏す数百人の騎士たちと、震えながら立ち尽くすユルゲン、そして怒りと軽蔑に満ちた軍医たちの視線だけが残されていた。
「ユルゲン殿」
ヴァルター卿が、大剣の柄に手をかけたまま、一歩、また一歩とユルゲンへと歩み寄る。
その瞳に宿るのは、戦場で行軍を乱した裏切り者を処刑する時の、冷酷無比な光。
「貴殿の納入したポーションによって、中央騎士団の二割が戦闘不能に陥り、侯爵令嬢の顔面が壊死した。……この事態の責任を、どう取るおつもりだ」
「ひ、ひぃ……っ!」
「『好転反応』だと? 『兵の根性不足』だと? ……戯言を抜かすな。貴様が作っていたのは、兵を強化する神薬などではない。人を内側から腐らせ、焼き尽くす……ただの『光る猛毒』ではないか!!」
「ち、違う! 私は……私は悪くない! 誰かが私を陥れようとして、薬に細工をしたんだ! そうだ、そうに決まっている!!」
ユルゲンは取り乱し、叫びながら後ずさった。
だが、その背中は冷たい石壁へと激突し、もはや逃げ場はどこにもなかった。
老軍医が、冷ややかに告げる。
「言い逃れは見苦しいぞ、ユルゲン殿。貴殿のポーションを飲んだ兵たちの尿からは、高濃度の魔力変性ミオグロビンと、破壊された肝細胞の残渣が検出されておる。完全に、貴殿の薬物による急性中毒だ。……もはや、隠蔽など不可能だぞ」
「う……あ……ああああっ……!」
退路を断たれたユルゲンの脳裏に、真っ黒な絶望が押し寄せる。
国王への報告。
軍法会議。
爵位剥奪、資格剥奪、そして――処刑台。
今まで自分が踏みつけ、見下してきたすべての人間たちから、今度は自分が嘲笑われ、石を投げられる未来が、ありありと網膜に焼き付いた。
(死ぬ……! このままでは、私は処刑される……! どうすればいい!? どうすればこの副作用を消せる!? 兵たちの尿を元に戻し、内臓の爛れを止める方法はないのか!?)
パニックで過熱するユルゲンの脳髄の奥底で――ふいに、一つの光景がフラッシュバックした。
王立薬草院の、薄暗い調合室の片隅。
いつもみすぼらしい麻のエプロンをつけ、流行のドレスも着ず、泥臭いハーブの根を熱心にすり鉢で擂り潰していた、あの女の姿。
『ユルゲン様、過剰な魔力刺激を中和し、臓器の壊死を防ぐための基礎データをまとめました! この処方比率なら、肝臓のクリアランスを維持しながら、副作用を最小限に抑えられます!』
そう言って、分厚い手帳を必死に差し出してきた、エレナの真剣な翡翠の瞳。
(あいつだ……!)
ユルゲンの瞳に、狂気じみた希望の光が点火された。
(あの女だ! エレナだ! あいつは、私のポーションの欠陥を最初からすべて見抜いていた! ということは……あいつの残した研究ノートの中に、この副作用を打ち消す『解毒の処方』が、絶対に書き残されているはずだ!!)
あいつのデータを奪えばいい。
あいつの知識を、今度こそ完全に自分のものとして盗み出し、「私が開発した副作用中和薬だ」と偽って発表すれば、この窮地を脱することができる!
手柄はすべて私のものだ。あいつは私のために使い潰される道具に過ぎないのだから!
「あ、あの女だ……ッ!!」
ユルゲンは突然、奇怪な叫び声を上げた。
ヴァルター卿や軍医たちが眉をひそめて身構える中、ユルゲンは床に散らばったガラス片を踏みにじり、突き飛ばすようにして医務室の出口へと突進した。
「おい、待てユルゲン!」
背後から響くヴァルター卿の怒声を完全に無視し、ユルゲンは白いローブを乱気流のように翻しながら、王宮の回廊を、王立薬草院の地下資料庫目掛けて――狂った獣のように疾走していったのだった。




