第20話:私の研究室は診察室じゃありません! 男たちの好意大渋滞
ハーディン城の最上階、東翼フロアを丸ごと改装して完成した特注の「新薬学研究室」。
南と東に連なる巨大なアーチ窓からは、北方の澄み渡った青空と、雪化粧をまとった雄大な山脈が一望できた。
朝の光が降り注ぐ白大理石の作業台の上では、特注の水晶硝子で作られた蒸留器が、チチチ……と微かな熱の音を立てていた。還流冷却器の管を通って、琥珀色に輝く清らかな生薬エキスが一滴、また一滴とフラスコへと滴り落ちていく。
部屋中に漂うのは、清冽なハッカの香りと、甘酸っぱい果実、そして幻の薬草「月光花」の微細な燐光を伴う神秘的なアロマ。
「ふふっ……素晴らしいわ。抽出効率が王都の調合室の三倍以上出ている……! 温度のブレが一切ないし、気圧調整用の水銀柱も寸分の狂いもない!」
私は白衣のポケットに両手を突っ込み、頬を緩ませていた。
足元の円形ラグの上では、聖獣の仔テオが、ふかふかの腹を上に向けて「くぅ……ん……」と心地よさそうに喉を鳴らして寝息を立てている。城の屋上テラスを改装した隣接の温室からは、温水パイプによって温められた土と若葉の匂いがそよ風に乗って流れてくる。
静かだ。
誰にも邪魔されず、納期に追われることもなく、理不尽な上司に手柄を横取りされることもない。
前世の総合病院時代にも、王立薬草院の下っ端時代にも決して手に入らなかった、研究者としての一世一代の理想郷。
「よし、次は筋肉疲労を迅速に回復させる、高純度クエン酸とアミノ酸の配合比率の実験ね。乳鉢に秤量済みの粉末を――」
私が乳棒を手に取った、まさにその至福の瞬間だった。
ドタドタドタドタッッッ!!!!
重厚な静寂を木っ端微塵に粉砕する、地響きのような乱暴な足音が廊下の向こうから轟いてきた。
直後。
バァァァァァンッッ!!!!
「エレナ様ァァァッッッ!! 緊急事態でありますッ!!」
白樺の頑丈な両開き扉が、まるで怪獣の体当たりでも食らったかのように勢いよく跳ね上がった。
飛び込んできたのは、第一部隊長バルツ・ケルドだった。
全身から湯気のような猛烈な汗を立ち上らせ、金髪の短髪を激しく乱し、肩で息をしている。
しかも――あろうことか、部屋へ雪崩れ込むなり、着ていた革ベストの留め金をバリバリと引きちぎるように外し、汗で張り付いた麻のシャツを頭から豪快に脱ぎ捨てたのだ。
「バルツッ!? な、何を脱ぎ散らかしているのですかッ!?」
私の悲鳴など耳に入らない様子で、バルツは丸太のように太い腕を振り回し、筋骨隆々の分厚い上半身をこれ見よがしに突き出してきた。
胸板の筋肉がピクピクと波打ち、鎖骨から大胸筋にかけて玉のような汗が光っている。
「エレナ様! 今朝の新人シバき……じゃなくて、特別模擬戦で大剣を千回素振りしたんですがね! なんだか右の大胸筋と前鋸筋がパツパツに張っちまって、今にもピキリと攣りそうなんです! ほら、ここ! ここを直接触って、エレナ様のその柔らかい手でググッと揉みほぐしてください! 触診が必要でしょ、触診がァッ!!」
「大胸筋を突き出しながら迫ってこないでください! 汗が作業台に飛び散るでしょうが!」
私が思わず乳棒を構えて後退ると、開け放たれた扉の向こうから、涼やかで、だが底知れぬ嘲笑を帯びた美声が滑り込んできた。
「おやおや、朝から野蛮な獣が吠えていると思えば……。相変わらず下品ですね、バルツ隊長」
「あぁん!? 誰が獣だコラ――」
バルツが振り返った隙間に、音もなく優雅に滑り込んできたのは、治癒魔術師ロディンだった。
銀糸で繊細な刺繍が施された魔導士のローブを翻し、波打つ亜麻色の長髪をさらりと耳にかける。陶器のように白い美貌には、どこか退廃的で熱っぽい笑みが浮かんでいた。
ロディンは半裸のバルツを一瞥して鼻で笑うと、私に向かって流れるような所作で歩み寄り、机に手をついて至近距離まで顔を近づけてきた。
「エレナ様……あの筋肉馬鹿の汗臭い肉体など、視界に入れる価値もありませんよ」
「ロ、ロディン様?」
「聞いていただけますか……? 先ほど、あなたのために開発していた新しい広域結界術の構築中、過剰な魔力循環のせいで、私の『魔力脈』がひどく乱れてしまったのです」
ロディンは艶やかに目を細めると、ローブの袖をゆっくりと捲り上げた。
白くしなやかな手首が、私の目の前へと差し出される。
そして、胸元のボタンをわざと一つ外し、鎖骨のくぼみを覗かせながら、吐息交じりに囁いたのだ。
「触れてください、エレナ様。あなたのお指で、私の橈骨動脈を……いえ、頸動脈を直接深く押さえて、私の乱れた脈を診ていただきたいのです。……ほら、体の芯がこんなにも熱くて、あなたの冷たい手で鎮めてもらわなければ、今にも倒れてしまいそうなんですよ……?」
「お、おいロディンてめえ! 何色目使ってんだ! 脱ぎかけの胸元を見せつけてんじゃねえぞ詐欺魔導士!」
「うるさいですね、これは正当な医療相談です。あなたのように脳みそまで筋肉でできた単細胞と一緒になさらないでいただきたい」
「んだとテメエッ! 表へ出ろ、そのすました顔を大剣の腹で叩き割ってやる!」
「ふふ、野蛮人はこれだから困る。エレナ様を驚かせないでいただけますか?」
大男と美青年が、鼻先が触れ合うほどの至近距離で睨み合い、火花を散らす。
バルツの大胸筋が威嚇のためにピクピクと怒張し、ロディンの周囲にはバチバチと威嚇の青い火花が散っていた。
完成したばかりの私の神聖なる研究室が、一瞬にして猛獣たちの縄張り争いの檻へと変貌していく。
「あ、あの……二人とも、落ち着いて――」
私が止めに入ろうとした、まさにその時。
「――お二人とも。そこまでにしていただけますか」
カツン、カツンと、冷徹に研ぎ澄まされた靴音が響いた。
現れたのは、仕立てのいい紺青の軍服に身を包み、腕に分厚い革表紙の帳簿を抱えた副団長カイエンだった。
銀縁眼鏡の奥の瞳は完全に絶対零度。
胃潰瘍から完全復帰した知性派副団長は、部屋に漂う汗と魔力火花を扇子で払うような仕草をしながら、冷え切った視線で二人を一瞥した。
「勤務時間中の鍛錬場で騒ぎ立てる第一部隊長に、術式演習を放棄して私室を抜け出す筆頭術師。……職務怠慢として給与査定に響かせてもよろしいのですよ?」
「けっ、出やがったな眼鏡! テメエこそ、執務室で書類に埋もれてる時間だろ!」
「私は正当な公務です」
カイエンはバルツを綺麗に無視すると、すっと私の前へと進み出た。
そして、抱えていた帳簿を机の上に音もなく置くと、懐から小さな銀の缶を取り出したのだ。
「エレナ様。先日開設いたしました『エレナ薬局』の医薬品流通ルート、および領内各地からの生薬買い付け予算に関する、極めて重要かつ至急の決裁書類をお持ちいたしました。……つきましては」
カイエンは眼鏡をクイと押し上げ、完璧な笑みを浮かべた。
「この件は非常に複雑多岐にわたるため、じっくりとお茶でも飲みながら、二人きりで精査する必要がございます。王都から極上のノンカフェイン・カモミールブレンドを取り寄せました。あちらの奥の私室で、カルテの整理と併せて、私とゆっくり相談いたしましょう。……あちらの粗暴な輩やペテン師は、衛兵を呼んで叩き出しておきますので」
「誰がペテン師ですかカイエン副団長! 書類を口実にして二人きりでお茶を啜ろうだなんて、浅ましいにも程がありますよ!」
「そうだそうだ! てめえが一番腹黒いじゃねえか! エレナ様、あんなインテリの言うこと聞いちゃ駄目です! 俺の筋肉を診てください!」
「私の魔力脈が先です!」
「どきなさい、領地の公務が最優先です!」
「俺だ!」
「私です!」
「公務です!」
ギャアギャア、ワーワーと、男三人が大理石の作業台を挟んで押し合いへし合いを始めた。
バルツの汗ばんだ腕が迫り、ロディンの香油をつけた指先が伸び、カイエンが書類を盾にして割って入る。
大男たちの吐息と熱気が、密室に充満していく。
世の令嬢たちが見れば、帝国最強の美青年軍団による「私のために争わないで」状態――夢のような逆ハーレムのシチュエーションに見えたかもしれない。
――だが。
彼らは致命的に忘れていたのだ。
目の前にいる元臨床薬剤師エレナ・ノールという女が、恋愛偏差値ゼロの超絶仕事人間であり、前世で数え切れないほどの「面倒な患者」を相手にしてきた歴戦の医療従事者であるという事実を。
(……はぁぁぁぁぁ……)
私の胸の奥で、氷のように冷え切った臨床判断のスイッチが、カチリと音を立てて切り替わった。
私の目は、彼らの整った顔立ちや引き締まった筋肉など、一ミリたりとも見ていなかった。
見ているのは――彼らのバイタルサインと、その行動の背後にある「病態心理」だけだった。
(……これ、前世の地域医療や門前薬局で死ぬほど見てきたやつだわ)
脳内カルテが、冷徹にページをめくっていく。
医学的に明確な器質的疾患(目に見える異常)がないにもかかわらず、やたらと些細な不調を訴えて頻繁に医療機関を受診したがる心理状態――いわゆる「受診行動の過剰(Frequent Attender)」および「不定愁訴」。
独居老人や構ってほしい患者が、「先生、ここが痛くて」「話を聞いてほしくて」と診察室に居座る、あの典型的なパターン。
バルツは「筋肉が攣りそう」、ロディンは「魔力脈が乱れた」、カイエンは「書類の相談」。
それぞれの主訴は異なるが、生化学的・病理学的に見れば、彼らの言っていることなど――。
(ただの『構ってちゃん』じゃないのよッ!!)
プツン。
私の頭の中で、何か細い神経が音を立てて切れた。
パシィィィィィィィィンッッッッ!!!!
大理石の作業台に、硬質な樫の木の乳棒が、凄まじい力で叩きつけられた。
耳朶を劈く破裂音が、研究室の壁に幾重にも跳ね返る。
「「「…………っ!?」」」
言い争っていた男三人の動きが、一瞬にしてピタリと止まった。
作業台の上で、テオが「わふっ」と目を覚まし、前足で顔を洗っている。
静まり返る部屋の中。
私は乳棒を構えたまま、仁王立ちになって、眼前の男たちを絶対零度の眼差しで見下ろした。
その背後から立ち上るプレッシャーは、ジルヴェスタの覇道とはまた質の異なる、総合病院の修羅場を仕切ってきた「鬼の婦長」のオーラそのものだった。
「――全員、服を着て自分の持ち場へ戻りなさいッッッ!!!!」
鼓膜を震わせる一喝。
百戦錬磨の戦士たちが、ビクンと肩を跳ねさせて硬直した。
「エ、エレナ様……?」
「『エレナ様』じゃありません! ここは私の大切な研究室であって、暇を持て余した男たちの健康相談所でもサロンでもありません!!」
私は乳棒の先端を、まず上半身裸のバルツの眉間へと突きつけた。
「バルツ隊長! 大胸筋が攣りそう? 触ってほぐせ? ふざけるのもいい加減にしなさい! 他覚所見:局所の腫脹なし、熱感なし、皮下出血なし! それは筋膜炎でも筋断裂でもなく、単なる運動前の『ウォーミングアップ不足』と、鍛錬後の『ストレッチ不足』です!!」
「ぎくっ……!」
「昨日、あれほど『急激に大剣を振る前に、肩甲骨の可動域を広げる体操をしなさい』と指導したでしょうが! 自分の不摂生を棚に上げて、人に触診をおねだりする暇があるなら、鍛錬場の隅で壁に手をついて胸筋を三十秒間じっくり伸ばしなさい! それから水分とマグネシウムを補給すること! はい、服を着る!」
「う……へ、へいっ……!」
バルツは小さく悲鳴を上げ、慌てて脱ぎ捨てたシャツを頭から被った。まるで母親に叱られた小学生のような素早さだった。
続いて、私の冷徹な乳棒は、白目を剥きかけたロディンの鼻先へとピタリと静止した。
「次、ロディン様!」
「は、はいっ!?」
「魔力脈が乱れた? 頸動脈に触れ? 笑わせないでください! 先ほど視診させていただきましたが、頚静脈の怒張なし、呼吸数毎分十六回、橈骨動脈の拍動は規則正しい七十二拍! 整です! 心因性の頻脈すら起きていません!」
「えっ……あ、いや、でも体の芯が熱くて……」
「それは新術式を夜遅くまでいじくり回していたことによる、単なる『睡眠剥奪』と『眼精疲労』からくる交感神経の一過性興奮です! 要するに、ただの寝不足! 治癒術師なら、自分の生体リズムくらい自分で管理しなさい! 部屋に戻って遮光カーテンを引いて、温めた濡れタオルを目元に乗せて、三時間昼寝をしなさい! はい、胸元のボタンを留める!」
「うぅ……エレナ様の仰る通りです……」
妖艶な魔導士の仮面は完全に剥がれ落ち、ロディンはシュンと項垂れて、震える手で胸元のボタンを上まで留めた。
そして――最後に、私の刃のような視線が、平然とお茶の缶を持っていたカイエンへと突き刺さった。
「そしてカイエン副団長!」
「……私ですか? 私は正当な領地経営の公務で――」
「公務を言い訳にして、休養をサボろうとしないッ!!」
「ぐっ……!?」
カイエンが言葉を詰まらせ、眼鏡をカタカタと震わせた。
「胃潰瘍の活動期を脱したばかりの患者が、何を考えているのですか! 潰瘍底の肉芽形成期において、最も重要なのは胃酸分泌を抑えるための精神的安静です! それなのに、難解な予算書類を持ち込んで頭を使い、その上、ハーブティーとはいえ温かい水分を短時間でガブ飲みしようとするなど、胃壁への物理的刺激以外の何物でもありません! 帳簿のチェックは夕方、私の調剤が一段落してから事務室で十五分だけ行います! お茶を飲んでいる暇があるなら、自室のベッドで横になり、胃血流を確保しなさい!」
「あ……はい……誠に、申し訳ございません……」
知性派副団長までもが、完璧な正論の前にぐうの音も出ず、深く項垂れた。
部屋の中には、完全な沈黙が広がっていた。
脱ぎ散らかしていた筋肉巨漢も、妖艶に迫っていた美貌の魔導士も、怜悧な眼鏡の副団長も、全員が背筋を正し、怒られた犬のように小さくなって並んでいる。
色気も、駆け引きも、アピール合戦も、この元臨床薬剤師の絶対的な「科学的問診力」の前には、ただの不摂生と不定愁訴として一刀両断されたのだ。
「……はぁ。全く、手のかかる患者たちばかりね」
私は大きく息を吐き、乳棒を作業台へと置いた。
だが、医療従事者としての私の仕事は、ただ叱りつけて追い払うことでは終わらない。
彼らが過労と興奮の極限にあることは事実なのだ。心身の緊張を解きほぐし、安全に持ち場へ送り返すための「処方」を出さなければならない。
「オットー先生」
「は、ハッ! ここに!」
部屋の隅で「師匠の問診、容赦なさすぎて痺れる……!」とメモを取っていた老侍医が飛び上がった。
「湯を沸かしなさい。葛根類似の乾燥塊根、生姜、桂皮、甘草、そして微量の薄荷をブレンドした、特製の『発汗解表・筋弛緩ハーブティー』を三人分淹れます」
「ハハッ、直ちに!」
わずか数分後。
湯気を立てる三つの陶器のカップが、小さくなっていた男たちの前に差し出された。
立ち上るのは、ショウガとシナモンのスパイシーな温もりと、薄荷の清涼感。
前世の漢方処方において、筋肉の強張り(項背部の緊張)を解き、血流を促し、初期の自律神経の乱れを整える「葛根湯」の薬理構成を、現地のハーブで再現した一杯だ。
「これを、一口ずつゆっくり飲んでください。葛根に含まれるプエラリンなどのイソフラボン配糖体が末梢血管を広げ、筋肉の強張りを和らげます。ショウガのジンゲロールが胃腸を内側から温め、副交感神経を優位にしてくれますから」
「エレナ様……」
男たちが、恐る恐るカップを受け取った。
一口啜った瞬間、三人の表情が、ふわりと蕩けるように緩んだ。
「……美味え……。喉の奥から、じんわりと温けえ血が巡ってくる……」
「頭の芯の熱が……すっと引いて、肩の力が抜けていくようだ……」
「胃が……全く痛まない。優しい甘みですね……」
三人はカップを両手で包み込み、まるで幼子のように大切そうにお茶を飲み干した。
叱られた後に出された温かい一杯。
その優しさに、男たちの胸の奥底には、先ほどまでの張り合いとは比べ物にならないほど深く、甘い崇拝の念が染み渡っていた。
「はい、飲んだら定時退勤! それぞれの持ち場へ解散!!」
私の号令に、男たちは「はいっ!」と声を揃えて立ち上がり、名残惜しそうにしながらも、素直に扉へと向かった。
……そう。
このまま、平和に解散するはずだったのだ。
――その、瞬間までは。
ピキ……ッ。
突然、世界からすべての熱が奪われた。
窓から差し込んでいた柔らかな陽光が、一瞬にして鉛色に曇ったかのような錯覚。
暖炉の薪が爆ぜる音すら凍りつき、部屋の隅の観葉植物の葉先が、目に見えて白く霜をまとい始める。
「「「…………ッ!?」」」
カップを持ったまま扉へ向かっていたバルツ、ロディン、カイエンの三人が、同時に雷に打たれたように足を止めた。
男たちの背筋の毛が、本能的な恐怖によって一斉に逆立つ。
(な……何だ、この凄まじい殺気は……!?)
私が肌を粟立たせて視線を向けた、その先。
開け放たれていた研究室の扉の前に――一人の男が立っていた。
漆黒の毛皮外套を羽織り、抜き身の刀剣のように引き締まった長身。
乱れのない黒髪の下から覗くその面輪は――この世のあらゆる温もりを拒絶する、絶対零度の氷壁と化していた。
ジルヴェスタ・フォン・ハーディン辺境伯。
その紫の双眸は、ドス黒い深淵の光を宿し、部屋の中にいた男たち――服を着直したばかりのバルツ、ボタンを留めたロディン、お茶の缶を持ったカイエンを、一人残らず射抜いていた。
男の手袋をはめた拳が、ギリギリと骨のきしむ音を立てて握り締められている。
「…………」
ジルヴェスタが一歩、部屋の中へと踏み入れた。
パキリ、と床の絨毯が凍結する音が響く。
そして――。
地脈を砕き、城全体を底から揺るがすような、低く、ドスの利いた声音が、静まり返った研究室に叩きつけられた。
「……貴様ら」
ヒュッ、と三人の男たちの喉が同時に鳴った。
ジルヴェスタの視線は、エレナが彼らに淹れてやったハーブティーのカップへと、ナイフのように突き刺さっていた。
「私の執務室へも顔を出さず……誰の許可を得て、私のエレナの部屋で、そのように茶を啜っている?」
完全復活を遂げたスパダリ辺境伯の、重すぎる、あまりにも重すぎる独占欲の嵐が――逃げ場のない研究室に、吹き荒れようとしていた。




