第12話:偏頭痛の魔術師ロディンと、奇跡の鎮痛ドロップ
鍛錬場での「スキンケア・パニック」と、ジルヴェスタ様による不器用極まりないバーム要求事件から数時間後のこと。
無骨で傷だらけの公爵の手に、丹念に蜜蝋バームをすり込んで差し上げ――耳まで真っ赤にして満足げに部屋へと引き上げていった主を見送った後、私は再び城の奥深くへと足を運んでいた。
「師匠! こちらです、こちらでございますぞ! ああ、まさかあの頑固な第一部隊の猛者どもが、小豆大の軟膏ひとつで揃って手入れされた子羊のように大人しくなるとは……! 皮膚の保護被膜、湿潤療法、生体バリアの再建……! 不肖オットー、長年の医学観が音を立てて粉砕される快感に震えております!」
「オットー先生、声のボリュームを落としてください。ここは病室が並ぶ静粛区画でしょう?」
白髪を振り乱して興奮気味に先導する老侍医をたしなめながら、私は薄暗い石造りの廊下を進んでいた。
城の西翼、日当たりが悪く、ひときわ冷え冷えとした一角。
そこにある重厚な木製扉の前で、オットーがピタリと足を止め、苦々しげに眉をひそめた。
「……ここです。我が北方守護騎士団において、閣下の武勇を支えるもう一つの要――専属治癒魔術師ロディンの私室兼、特別療養室でございます」
「治癒魔術師……。怪我人を魔法で癒やす専門職ですね?」
「左様でございます。ですが……あやつは今、己自身の肉体に巣食う病魔によって、完全に使い物にならぬ状態に陥っております。いや、今回ばかりではありません。大きな防衛戦のたび、兵たちの傷を癒やしては、その後何日もこの暗闇に蹲り、獣のように呻き続けるのです。『治癒術師の宿命』『魔素酔い』などと呼ばれ、本人も周囲も諦めきっておりますが……師匠、もしやあやつのあの苦しみも、理の力で解き明かせるものなのでしょうか?」
オットーのすがるような眼差しに、私は静かに頷いた。
「診てみないことには確定診断は下せません。ですが、原因のない痛みなどこの世に存在しませんよ」
私はドアノブに手をかけ、金属が軋む音を極力立てないよう、細心の注意を払って扉を数センチだけ押し開けた。
その瞬間、部屋の隙間から漏れ出てきたのは――重苦しく淀んだ冷気と、胃液の微かな酸臭、そして、耳を塞ぎたくなるような痛切な呻き声だった。
「……あ……ぐ、ぅ……ッ……頼むから……消えてくれ……」
部屋の中は、昼間だというのに深夜のように真っ暗だった。
窓という窓には何重もの分厚い遮光カーテンが隙間なく引かれ、暖炉の火すら小さく絞られている。
部屋の中央、粗末な寝台の上に、一人の青年が頭を抱え込んで丸くなっていた。
ロディン。二十四歳。
暗がりの中でも目を引く、波打つ亜麻色の柔らかな長髪と、中性的な美しい顔立ち。
細身の身体には白と銀を基調とした魔導士のローブを纏っているが、その襟元は激しい苦悶によって乱れ、胸元は浅く速い呼吸で波打っていた。
両手で自らの頭蓋骨を万力で締め付けるかのように強く圧迫し、額を枕に擦り付けて脂汗を流している。
「ロディン殿……オットーだ。王都から参られた新しい調合師のエレナ様をお連れしたぞ」
オットーが控えめに声をかけた、その瞬間だった。
「――喋るなッッッ!!!!」
寝台の上の青年が、獣のように喉を掻きむしりながら絶叫した。
激痛に歪んだその顔には、青白い皮膚に血管が浮き上がり、目を見開くことすらできずに固く瞼を閉じている。
「音を……立てるな……! 息をする音すら、頭の奥で教会の鐘のように響いて……頭蓋骨を金槌で叩き割られているんだ……! あっちへ行け……! 誰が来ようと治り配分などない……! 光を当てるな、声をかけるな……! 頭が……頭が爆発する……ッ!!」
ロディンは激しく嘔吐くように胸を押さえ、空嘔吐を繰り返した。
胃の中はとっくに空っぽなのだろう、喉を詰まらせて黄色い胆汁の混ざった唾液をシーツに吐き散らす。
オットーがおろおろと後退る。
「ヒィッ……! す、すまぬロディン、儂はただ……! 師匠、見ての通りでございます。魔力を行使した後は、いつもこうして光と音を異常に嫌い、水すら飲めずにのたうち回るのです。王都から取り寄せた最高級の精神安定ポーションを飲ませようとしたこともございますが、口にした瞬間に激しく吐き戻して悪化するばかりで……」
「当然です。そんな状態で高浸透圧の液体ポーションなど飲ませたら、嘔吐中枢を直接刺激して悪化させるに決まっています」
私はオットーを背中で制し、音を立てずに部屋の中へと足を踏み入れた。
革靴の踵を浮かせ、忍び足で寝台へと近づく。
私の頭の中では、すでにあらゆる臨床データが高速で照合され、パズルのピースが組み合わさりつつあった。
(暗がりを好む高度の羞明(光恐怖)、わずかな話し声にも激昂する音恐怖、強い悪心・嘔吐……。そして何より、あの頭の抱え方)
ロディンは頭全体を押さえているのではない。
右のこめかみから眼窩の奥にかけて、指先を強く押し当て、脈動を必死に抑え込もうとしていた。
私は寝台の脇に膝をつき、彼の耳元へと顔を寄せた。
声のトーンを極限まで落とし、空気の振動を最小限に抑えた、囁くような周波数の声で語りかける。
「……ロディン様。私の声がうるさかったら、首を横に振るだけで構いません。……痛みは、心臓の拍動に合わせて、ズキン、ズキンと波打つように響いていますね?」
ピクリ、とロディンの肩が震えた。
青年は固く目を閉じたまま、微かに、信じられないものを見るように息を呑む。
私はさらに、静かに問いを重ねた。
「痛みが始まる前……視界の端に、チカチカとした光の波や、ギザギザした稲妻のようなものが見えませんでしたか? 視野の一部が欠けたり、歪んで見えたりしませんでしたか?」
「…………っ!」
ロディンの喉から、掠れた息が漏れた。
図星だった。
彼は震える顎を、コクンと、縦に小さく一度だけ動かしたのだ。
「動くと、頭を傾けるだけで痛みが跳ね上がりますね? 右のこめかみを強く押さえている間だけ、ほんのわずかに楽になる気がしませんか?」
再び、小さく頷く青年。
その目尻から、激痛と、初めて痛みの本質を言い当てられた衝撃の涙が、一筋こぼれ落ちた。
「……な、ぜ……それを……。誰も……信じてくれなかった……。視界が光るなど、魔力の暴走による妄想だと……気合いが足りないから、魔力酔いに負けるのだと……皆が……」
「妄想でも、気合いの不足でもありません。……典型的な『片頭痛(偏頭痛)』、それも閃輝暗点を伴う重症発作です」
私は確信をもって診断を下した。
異世界の人々が「魔力酔い」と呼んで片付けていた持病の正体。
それは、治癒魔法という極めて高度で繊細な術式を行使する際、過剰な魔素刺激によって三叉神経が異常興奮を起こし、神経伝達物質(CGRPなど)が放出されて引き起こされる、生化学的な神経血管性炎症だったのだ。
「オットー先生。よく聞きなさい」
私は後ろで息を呑む老侍医に、囁くような小声で告げた。
「片頭痛の本態は、脳の血管の『急激な過剰拡張』と、それに伴う周囲の神経炎症です。魔力を行使した直後、反動で脳血管が異常に拡張し、血管の壁が心臓の拍動に合わせて周囲の三叉神経を内側から殴りつけているのです。だからこそ、脈打つような激痛が走り、血流が増える動作――頭を動かしたり、温めたりすると痛みが爆発するのです」
「な……の、脳の血管が拡張……!? では、冷やさねばならんのか!?」
「ええ。ですが、外側から冷やすだけでは深部の血管には届きません。そして何より、片頭痛発作の最中は、胃腸の蠕動運動が完全にストップする『胃不全麻痺』が起きています。だから激しい吐き気に襲われ、どんな内服薬やポーションを飲ませても、胃に留まったまま吸収されずに吐き戻してしまうのです」
前世の現代医学であれば、トリプタン製剤の点鼻薬や自己注射、あるいはCGRP関連抗体薬を用いて一発で血管を収縮させ、炎症を鎮めるところだ。
だが、ここは注射器も合成医薬品もない異世界。
ならば、どうやって『胃を通さず』に、かつ『瞬時に脳血管を収縮させる成分』を血中へ届けるか?
「……ふふ。薬剤師を舐めないでいただきたいわね」
私の唇の端が、不敵に吊り上がった。
この日のために、王都を出発する前から仕込み、調合トランクの中で大切に眠らせていた「切り札」が存在した。
私は腰のポーチから、小さな平たい銀の小箱を取り出した。
パチンと蓋を開けると、中には琥珀色の美しい結晶――直径一センチほどの、平たい円盤状の飴玉が、油紙に包まれて整然と並んでいた。
蓋を開けた瞬間、部屋の重苦しい空気を切り裂くように、ツンとしたメントールと、香ばしい焙煎茶葉の深いアロマが漂い出る。
「師匠……それは、お菓子……飴玉ですかな?」
「ただの飴玉ではありません。口腔粘膜および舌下からの急速吸収を狙った、特製ドラッグデリバリー製剤――『高濃度カフェイン・生薬配合鎮痛ドロップ』です」
私は銀のピンセットで、琥珀色のドロップを一粒つまみ上げた。
「この中には、北方の自生茶葉から極限まで濃縮抽出したカフェイン類似アルカロイドと、ヤナギ科樹皮のサリチル酸配糖体、そして血管の痙攣を鎮めるナツシロギク類似ハーブ(パルテノライド様成分)が、純度の高いブドウ糖とともに高密度で結晶化されています」
片頭痛発作の初期・極期において、カフェインが持つアデノシン受容体拮抗作用は、拡張しきった脳血管を強力に「収縮」させる特効薬となる。
そして最大のポイントは、その「投与経路」だ。
「噛み砕いて飲み込んでは駄目です。胃が動いていない以上、胃に落としても意味がありません。舌の下――舌下ヒダの周囲や、歯茎と頬の間の粘膜に貼り付け、唾液でゆっくりと溶かすのです。口腔粘膜の下には、無数の毛細血管が網の目のように走っています。そこから直接静脈叢へと成分を吸収させれば、胃を完全にバイパスし、肝臓の初回通過効果も受けず、わずか数分で脳循環へと高濃度の有効成分が到達します!」
私は寝台の脇へさらに身を寄せ、震えるロディンの右肩にそっと手を置いた。
「ロディン様。痛みを止めます。……少しだけ、お口を開けていただけますか?」
「……む、りだ……吐き気が……何も……入れないで……」
「吐き気止めのアロマも配合してあります。私を信じて。絶対に噛んではいけませんよ。舌の上で、転がすように……」
私の静かで揺るぎない声に、ロディンは抵抗する気力を失ったのか、微かに乾いた唇を開いた。
私はピンセットを滑り込ませ、琥珀色のドロップを、彼の舌の裏側――舌下小帯の脇へとそっと滑り込ませた。
「はい、そのまま口を閉じて、唾液を飲み込まずに、ゆっくりと溶かしてください。……いい子です」
「…………っ」
ドロップが粘膜に触れた瞬間、ロディンの端正な顔がわずかに強張った。
舌下に広がるのは、生薬特有のピリリとした心地よい刺激と、焙煎茶葉の深い苦味、そしてメントールの清冽な冷気。
甘酸っぱいブドウ糖の糖解とともに、濃縮された薬理成分が、唾液に溶け出して口腔粘膜の毛細血管へと急速に吸い込まれていく。
――一分。
ロディンは荒い息を繰り返しながら、痛みに耐えるようにシーツを握りしめていた。
私は彼の側頭動脈――こめかみの血管の上に、氷水で絞った冷たい濡れタオルをそっと添え、過剰な血管の拍動を物理的にも冷却・圧迫してサポートする。
「焦らないで。薬が血管へ届くまで、あと少しです」
――二分。
口腔粘膜から頸静脈を経て、心臓、そして内頸動脈へと送り込まれた高濃度のカフェイン様成分が、脳循環系へと到達した。
過剰に拡張し、周囲の神経を圧迫していた脳硬膜および軟膜の毛細血管壁の平滑筋が、アデノシン受容体を遮断されたことによって、キュッと力強く収縮を開始する。
同時に、サリチル酸成分が三叉神経周囲で燃え盛っていた局所炎症の火種を、冷水で叩き消すかのように鎮静化させていく。
そして――三分が経過した時だった。
「……あ……」
ロディンの喉から、掠れた声が漏れた。
万力で頭蓋骨を締め付けるように握りしめられていた彼の両手が、ふっと力を失った。
強張っていた肩の筋肉から、急速に緊張が抜け落ちていく。
「……あれ……? ドクンドクンと……頭の中で鳴っていた……あの鐘の音が……」
ロディンが、恐る恐る自らのこめかみに手を当てた。
脈打つたびに脳を剃刀で抉られるようだった、あの耐え難い激痛の波。
それが――まるで引き潮のように、スーッと急速に引いていく。
ズキン、ズキンという暴力的な拍動が、トクン、トクンという穏やかで静かな鼓動へと変わっていた。
胃の奥をひっくり返そうとしていた強烈な吐き気も、メントールと生薬の清涼感によって綺麗さっぱり消え去っている。
「……痛みが……引いていく……? 嘘だろ……? いつもなら、二日二晩は暗闇で吐き続けなければ収まらなかった発作が……?」
「血管の異常拡張が収束し、神経の炎症がブロックされました。もう強い光を見ても、頭が割れることはありませんよ」
私が優しく告げると、ロディンは恐る恐る、何重にも閉ざされていた瞼を開いた。
パチ、パチと、長い睫毛が震える。
薄暗い部屋の光ですら針のように刺さっていたはずの彼の青い瞳が、しっかりと開かれた。
視界を歪ませていたチカチカとした閃輝暗点の残像は消え失せ、澄み切ったクリアな世界が広がっている。
そして――。
ロディンの瞳の真正面に映ったのは。
寝台の脇に寄り添い、冷たい濡れタオルを優しく彼のこめかみに当てながら、聖母のように柔らかく微笑んでいる――エプロン姿の私の顔だった。
「……あ……」
ロディンの息が止まった。
その陶器のように白い美貌が、見る間にカッと朱に染まっていく。
頭の奥を支配していた激痛の霧が晴れ渡ったその空間に、突如として、猛烈な勢いで別の感情が雪崩れ込んできたのだ。
(な……何だ、この人は……?)
幼少期から類まれなる治癒魔法の才能を見出され、神童と持て囃されてきたロディン。
だが、人を癒やすたびに襲い来るこの地獄の激痛を、誰一人として理解してくれる者はいなかった。
王都の高名な医師たちも、「治癒術師の宿命だ」「精神を鍛えろ」と冷たく突き放すだけだった。
誰も自分の頭の中の痛みを信じてくれず、ただ戦力として消費され、孤独に暗闇で蹲るしかなかった自分の人生。
その、誰にも救えなかった暗闇を。
この小柄な女性は、一切の否定もせず、すべてを言い当て、たった一粒の琥珀色の飴玉で、鮮やかに救い出して見せたのだ。
「……神、だ……」
「はい?」
「あなたこそが……私の、真の癒やし手だ……ッ!」
ガバッッッ!!!!
「ひゃっ!?」
突然、ロディンが寝台から身を乗り出してきた。
長い亜麻色の髪を振り乱し、その彫刻のような美貌に熱烈な陶酔の光を宿した青年は、私の白衣の裾を、まるで命綱であるかのように両手で固く握りしめたのだ。
そのまま、ベッドから滑り落ちるようにして床へと膝をつき、私を見上げるようにして跪く。
「ロ、ロディン様!? 急激に動いては駄目です、まだ血管が――」
「エレナ様……! ああ、エレナ様……!!」
ロディンは私の制止など耳に入らない様子で、潤んだ青い瞳で私を熱っぽく見つめつづけた。その吐息は熱く、頬は上気し、先ほどまでの死にかけの青年とは完全に別人の、情熱的な詩人のようなオーラを全身から放ち始めている。
「私の頭を覆っていたあの忌まわしい呪いの霧を、あなたが払ってくださった……! 痛くない……世界が、こんなにも美しく見えたことはない……! 今まで私が使ってきた治癒魔法など、あなたの奇跡の御業の前にはただの児戯に等しい! ああ……我が光、我が女神……! 私の魂も、この魔力も、この命のすべてを、今日この瞬間からあなたに捧げます……!!」
「ちょ、ちょっと待ってください! ただの生薬ドロップです! 女神とか魂とか捧げられても困ります!!」
私が必死に白衣の裾を引っ張って回収しようとするが、ロディンの細身ながら魔導士特有のしなやかな指先は、決して離そうとしない。
それどころか、ロディンはうっとりと目を細めると、私の自由になっていた左手を、両手で恭しく掬い上げたのだ。
「エレナ様。どうか、私をあなたの専属の僕としてお側に置いてください……。あなたの処方箋のためなら、私はどんな魔力でも紡ぎ出してみせましょう。……まずは、この奇跡を授けてくださった尊き御手に、感謝の誓いを――」
ロディンが中性的な美貌を近づけ、私の手の甲へと、熱い唇を落とそうと顔を寄せた――。
まさに、その刹那だった。
ドガァァァァァァァァンッッッッ!!!!
主寝室の扉すら生ぬるい、爆発音のような轟音が響き渡った。
ロディンの部屋の重厚な樫の扉が、蝶番ごと弾け飛ぶかのような勢いで蹴破られたのだ。
「ヒィッ!?」
オットーが悲鳴を上げて壁に激突する。
部屋の中に雪崩れ込んできたのは――吹雪の吹き荒れる北方山脈の頂上すら生ぬるい、絶対零度の冷気と、物理的な質量を持った濃密すぎる漆黒の覇気だった。
蹴破られた扉の前に仁王立ちになっていたのは。
漆黒の毛皮外套を翻し、抜身の大剣こそ手にしていないものの、その拳をギリギリと音を立てて握りしめた――北方守護騎士団総長、ジルヴェスタ・フォン・ハーディン辺境伯その人だった。
「…………」
ジルヴェスタの紫の双眸は、完全に光を失い、ドス黒い怒りの深淵と化していた。
その視線は、エレナの前に跪き、彼女の手の甲に唇を寄せようとしていたロディンの首元へと、寸分の狂いもなく突き刺さっている。
部屋の温度が、一瞬にして氷点下まで叩き落とされ、暖炉の残り火がプツンと音を立てて鎮火した。
ジルヴェスタが一歩、足を踏み出す。
床の絨毯が、彼の踏みしめた足元からパリパリと凍りついていく。
そして――地獄の底から響くような、地脈を震わせる絶対零度の声音が、静まり返った療養室に叩きつけられた。
「……ロディン」
ヒュッ、とロディンの喉が鳴る。
ジルヴェスタは、エレナの手を握るロディンの細い指先を冷酷に見下ろし、青筋を浮かべた額をわずかに傾けた。
「貴様……私の許可なく、誰の手にその薄汚い唇を近づけようとしている?」
部屋の空気が、完全に凍結した。




