第2話 白銀と負け犬と
クォーツの声を聞いた瞬間、胃の奥から胃液が迫り上がってきた。
酒が足りねェのか、それとも別の何かなのか、自分でも分からねェ。
「……オニキス先輩?」
昔と変わらねェ声だった。
いや、違う。
声そのものは変わってねェ。変わったのは俺の立場だ。
冷や汗が背筋を伝う。咄嗟に握りしめた手の中も汗を感じる。最後に面と向かって会ったのは試験の時だったか。
クォーツ・ゴラッソ。
白銀の軽鎧。磨かれた剣。無駄のねェ姿勢。浮かべた微笑。
いかにも“上級冒険者”ってツラだ。
その後ろには、同じく上級冒険者の連中が数人。
全員、統率された兵士みてェな空気を纏っている。
クォーツの目が俺と合う。
そして一瞬だけ、眉が揺れた。
すぐに消えたが、俺は見逃さなかった。
「……お久しぶりです」
丁寧な口調。
だが妙に距離がある。
昔みてェな“先輩!”って感じじゃねェ。
まるで壊れ物に触るみてェな声だった。
「なンだァ?」
俺はフン、と鼻を鳴らす。
「上級冒険者様がわざわざ酔っ払いにご挨拶か?」
「ええ、一応は」
一応、ねェ......。
「最近は酒場から出ないと聞いていましたので。……外を歩ける程度には体調が戻ったんですね」
周囲の冒険者がニヤケ面で俺を見る。
あァ、そういう言い方をするようになったか。
直接殴る代わりに、柔らかく刺してくる。
「心配してくれてありがとよ」
「いえ。元教官が路上で死なれても寝覚めが悪いだけです」
慇懃な口調のまま、微笑みを浮かべてやがる。
だがその目だけは笑ってねェ。
むしろ__見たくないものを見てるかの様なツラだった。
クォーツの視線が、俺の横へ向く。
「そちらの方は?」
エスメラルダが1歩前へ出た。
「エスメラルダ・アントーニオですわ」
その名前を聞いた瞬間、クォーツの表情がわずかに変わる。
「……アントーニオ家」
後ろの冒険者たちもざわついた。
当然だ。
あのツァボリータの家系だからな。
クォーツはすぐに平静へ戻る。
「それで、アントーニオ家の方が、どうしてオニキス先輩と?」
「この方と“魔物の動物園”を作りますの」
沈黙。
後ろの冒険者の1人が吹き出しかけ、隣に肘で止められる。
クォーツだけは逆に微笑みを消して、険しい顔になっている。
「……なるほど」
ため息混じりに呟く。
「随分と、故ツァボリータ卿を思い出させる発想ですね」
クォーツはやれやれ、とお手上げのようなジェスチャーをしつつ、言った。
「エスメラルダ嬢、現在の迷宮状況はご存知ですか?」
「もちろんですわ」
「でしたら、今の迷宮にそんな余裕がないことも理解されているはずですが」
口調は丁寧だ。
あくまで口調だけだが。
内容は完全に否定だった。
「魔物は保護対象ではありません。国家資源です。現在は生態維持より供給維持が優先されています」
「だからこそ、生態調査が必要なのですわ」
「その理屈は理解できます。ですが、すでに迷宮は手遅れです。最後の1つが急に増えることなどあるはずがありません」
クォーツはエスメラルダに対し、速攻で返す。
「現在、迷宮はギリギリの均衡で成り立っています。未知の研究に割く余力はありません」
「未知だからこそ、調べる価値がありますわ。分からないものは調べないと解明できません」
「調べてどうなると言うのです。資源は使う為にあるのですよ?民が飢えてもいいと言うのですか?」
「討伐を続けてもいずれ枯渇して飢えますわ。その前に対抗策を考えるのが王宮の考えです」
ああ言えばこう言う。クォーツの言い分もエスメラルダの言い分もどちらも正解だ。
正解が故にこの議論は不毛だなァ。
何度かの攻防の末、クォーツはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐く。
酒場の喧嘩なら黙ったら負けだ。
「……オニキス先輩」
急に俺の方を見る。エスメラルダの説得は諦めたらしい。
「……あァン?」
「あなた、本気で彼女に付き合うつもりですか?」
「知らン」
即答する。
「俺は散歩してるだけだ」
「フフッ、そうですか。酒場からは随分と遠くまでのお散歩ですね」
クォーツは鼻で笑った。
「安心した顔してンじゃねェよ」
「していますよ。酒浸りのあなたと会うようになるとこちらの品位まで下がります」
悪意をストレートにぶつけてきやがった。
「正直に言えば、僕はもうあなたには金輪際、迷宮に関わってほしくない」
淡々とした声だった。
「今の先輩を見ていると……」
そこで言葉が止まる。
クォーツがわずかに視線を逸らした。
先程と同じく、ほんの一瞬。
「……見ていると?」
隙をついて俺が聞く。
「……昔を思い出すんです」
静かな声だった。
「非効率で、感情論で、運任せで、それでも迷宮に夢を見ていた頃を」
それは完全に俺への嫌味だった。
「今の迷宮に必要なのは、そういう幻想じゃない」
「効率ってやつか」
「はい」
迷いなく頷く。
「迷宮はもう冒険の場所ではありません。国家の生命線です」
クォーツの後ろにいる冒険者たちも頷いている。
あァ、そうだろうなァ。
今の冒険者連中は、みんなそうやって育てられてる。
合理的に。
効率的に。
無駄なく。
まるで迷宮を解体するためだけの機械みてェに。
「フン……面白ェな」
気づけば笑っていた。
クォーツが眉をひそめる。
「何がです?」
「昔、夜光草程度に噛まれて半泣きだったガキが、今じゃ迷宮語ってやがるとはねェ」
クォーツの表情が凍った。周りの冒険者はクォーツを驚愕の表情で見ている。
「おっと。上級冒険者様方には意外な過去だったかなァ?」
「……先輩」
クォーツは軽く咳払いをして、周りを牽制した後、声が低くなった。
「それ、今言います?」
「事実だろォ?」
「ええ、事実です。ですが……」
クォーツは頷く。
「アンタとやってた時みたいな甘い考えは捨てたんですよ……!」
拳を握りしめて、俺を睨む。
「今の迷宮でやっていくには、アンタみたいに、テキトーにやってるだけじゃダメなんだよ!僕は......アンタみたいな負け犬とは違う!」
その言葉は俺たちの時間差を象徴していた。
俺は何も返さなかった。
俺はクォーツを無言で見つめる。
沈黙は負けだとしても……言葉を返せなかった。
なぜなら——
クォーツは、多分俺よりも、正しいからだ。
___ゴォォォン。
鐘の音が響く。
クォーツはハッとして、先程の微笑みを浮かべた表情に戻る。
「……失礼。任務がありますので」
一礼をした後、他の冒険者どもを引き連れて、去っていく。
だが去り際、エスメラルダへ視線を向ける。
「エスメラルダ嬢」
「はい?」
「もし本当に迷宮へ入るなら」
クォーツの視線が俺へ向く。
「この人では役に立たないので冒険者ギルドを頼ることをオススメしますよ」
その言葉を残し、クォーツは去っていく。
白銀の鎧が遠ざかる。
俺はその背中を黙って見送った。
昔はもっと必死な背中だった。
……いや。
奴は多分、今も必死なンだろうな。
ただ、必死になる方向が変わっただけで。
「……知り合いでしたの?」
隣でエスメラルダが聞く。
「ただの顔見知りだ」
「嘘ですわね」
「うるせェな」
吐き捨てる。
だがエスメラルダは妙に嬉しそうだった。
「ですが、少し安心しましたわ」
「何がだよ」
「あの方は人を見る目が無いです。あのような方が幅を利かせている程度なら冒険者ギルドを訪ねなくて良かったですわ」
ウフフ、とエスメラルダは笑った。
それに、と続けて、
「普通、本当にどうでもいい相手には感情を露わにしないものです。あの方は今のあなたに何か思うところがあるのではないですか?」
と言った。
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
そして。
「……貴族ってのは、無駄に人を見る目があるなァ」
そう呟きながら、俺は再び歩き出した。
さァ、いざ迷宮へ。




