第1話 少女と酔いどれ冒険者
最後に迷宮へ潜ったのは、いつだったか。もう思い出せねェ。
5年。たった5年のはずなのに、昔話みてェに遠い。
迷宮の空気を思い出す。湿った岩肌。肺の奥に入り込む魔素混じりの匂い。壁の向こうから聞こえる魔物の気配。
道中で出会った冒険者どもと交わす、どうでもいい自慢話。誰がどの魔物を仕留めたとか、どこの階層で死にかけたとか。
そんな話をしながら酒を飲むのが好きだった。迷宮帰りの酒は妙にうまく、生きて帰ってきた実感が喉を通る気がした。
朝、目を覚ます。
最初に探すのは剣じゃねェ。酒だ。飲まねェと手が震える。飲まねェと妙に静かなンだ、この世界は。
迷宮の音がしねェ世界は気味が悪い。胸焼けと一緒にゴミみてェな気分を蹴飛ばして起き上がる。
胃が焼けるみてェに痛ェ。昨日も吐いた。最近は胃液しか出ねェ。それでも飲む。飲まねェと眠れねェからだ。
鏡を見る。
そこにいるのは33の男じゃねェ。40過ぎの負け犬みてェなツラだ。髭は伸び放題。目の下は黒い。全く魔物みてェなツラだ。
なのに毎朝、冒険者みてェな格好だけはする。革鎧を着る。剣を吊る。手入れだけは欠かさねェ。もう迷宮に入ることすらできねェ負け犬の癖に。
革の匂いが消えるのが怖かった。俺が“冒険者だった”証拠まで腐っちまいそうで。
迷宮が消え始めたのは10年前ぐらいからだ。だが全部が終わったのは5年前。最後に残った迷宮が封鎖され、上級冒険者しか入れなくなった。
その瞬間、この国の冒険者は2種類になった。迷宮へ行ける奴と、行けねェ奴だ。俺たちみてェな中途半端な連中は一気に腐った。仕事を失って、酒場で昔話して、安酒飲んで、過去だけ食って生きるようになった。
「オニキス、また朝から飲んでんのかい」
酒場のマスターが呆れた声を出す。
「うるせぇなァ……」
昼前だってのに酒場は薄暗い。カウンターに突っ伏したまま、手を振る。
「どうせ仕事なンてねェンだ……飲むしかねェだろォ……」
笑う。自分でも気持ち悪ィ笑い方だと思う。酒が回ってるクセに頭だけ妙に冴えてる。だから余計にタチが悪い。
剣を握れば分かる、剣のスピードが遅ェ。昔なら見えてた動きが半拍ズレる。踏み込みも鈍い。朝起きると関節が軋む。戦ってもねェのに体だけが死ンでいく。
(戦ってねェから鈍ってるだけだ)
そう思う。いや、そう思いてェだけだ。
(バカが……魔物どもをあんなに殺して、奪っておいて楽に暮らせると思ってンのか?)
すぐ別の声がする。
(これは罰だ。お前に与えられた罰なンだよ)
その言葉を飲み込むためにまた酒を流し込む。3杯目ぐらいまでは味がしねェ。5杯目でやっと喉が焼ける。8杯目あたりで、ようやく頭が鈍くなる。そこまで行ってやっと落ち着く。
「……クソが」
誰に言うでもない、自分に向けて、喉の奥で声が潰れる。
本当なら、俺も迷宮にいるはずだった。申請が面倒で後回しにしてた上級試験。迷宮封鎖が決まって、慌てて受けた試験。
そこでミスった。試験の相手はクォーツだった。俺の剣に迷いがあった。
だから踏み込みが遅れた。
そこで俺は落ちた。
だがその直後、ギルド長のオブシディアナが現れた。
「その試験、しばし待て。オニキス・ロカ。まだ試験を受ける気はあるか?」
そう言われた時、正直、嬉しかった。最強の冒険者と真正面から戦える。しかも勝てば上級入りだ。こンなチャンス、2度とねェ。あの時の俺はまだ、自分が終わるなんて思ってなかった。
だが、現実は違う。強すぎた。話にならなかった。
迷宮で培った勘も、経験も、読みも、全部潰された。剣を振るたびに、“最適解”で叩き返される。まるで俺のダメなところを教えるかのように。
結局、俺は地面に転がされた。クォーツの前で。周りの冒険者どもの前で。オブシディアナは何か言っていた気もする。
だが覚えてねェ。耳鳴りしかしてなかった。覚えてるのは、自分が負けたって事実だけだ。それだけで充分だった。
嫌な記憶を思い出し、カウンターに突っ伏す。
「マスター、酒だ……」
記憶を洗い流すかのように、俺は酒を飲む。
飲ンでも飲ンでも、足りねェ。
飲ンだ後は死ンだように再び突っ伏す。
肩を揺すられた。
「マスター、そこに置いておいてくれ……」
どうせ新しい酒だろう。
だが俺に手を当てている奴は再び肩をゆすった。
(……しつけェなァ)
ぼんやりと顔を上げる。
焦点が合うまで少し時間がかかった。
金髪の女が横に立っていた。年は10代後半ぐらいか。上等な服。真っ直ぐな姿勢。どう見てもこの酒場にいる人種じゃねェ。
「……本当にこの方が、かつて魔物退治で名を馳せた方ですの?」
妙に綺麗な言葉遣いだった。マスターが苦笑する。
「昔はねぇ。今じゃただの酔っ払いさ」
「うるせぇなァ……」
頬を机に押し付けたまま、俺はぼやく。
「俺だって本当は上級になれたンだよ……酒くれ……」
女はしばらく俺を見ていた。俺を値踏みするみてェに。
やがて口を開く。
「あなたに依頼がありますわ」
「……あン?」
「“魔物の動物園”を作りたいのです」
酒場の空気が止まった。
「……は?」
頭がおかしいのかと思った。
「迷宮の魔物を、人々が見て、知って、学べる場所にしたいのですわ。ただ討伐され、素材として扱われるだけではなく、“生き物”として見てもらえる場所を」
女の言葉に笑っちまう。
そんな仲良し動物園なんかできるわけねェだろ。おままごとやってンじゃねぇンだぞ。
「ハハハ……バカかお前。魔物だぞ?」
椅子に身体を預ける。
「まず生きたまま運べねェ。次に外で長く生かせねェ。最後に、そんなもン維持するより解体して素材にした方が遥かに儲かる」
そう言いながら指を3本立てる。
「つまり……無理だな、分かったか?お嬢ちゃン」
だが女は引かなかった。
「それでもですわ」
真っ直ぐこっちを見る。
「わたくしにはとっておきの秘策があります」
「……なんだそりゃァ」
「わたくし、東の国で、魔物の研究をしていましたの。最新鋭の研究機関で迷宮について学んできましたわ。わたくしならきっと迷宮を復活させられ……いえ、させられるかもしれませんわ!」
女はあえて断言せずにかもしれない、と言った。
「だから、確かめたいのです。魔物は本当に“絶滅していい存在”なのかを」
コイツはイカれてる。
「……迷宮を復活させられるなら、なンで今更出てきた。迷宮が封鎖された5年前に言えよ。それに今は俺らは迷宮に入れねェ。俺らじゃなく、上級冒険者様に頼めばいいだろ」
女はそこで、一瞬だけ眉を寄せた。
次の瞬間、静かに右手を上げる。
そしてニヤリとして、俺に指を3本立てた。さっき俺がやったのと、まるっきり同じ仕草だった。
「理由は3つありますわ」
……あァ?思わず眉が動く。こいつ、今わざとやったな。
「1つ目、わたくしが帰国したのは最近だからですの。2つ目、上級冒険者には頼めませんわ。彼らは魔物を守る者ではなく、“効率よく処理する者”ですもの」
立てた指を1本ずつ折りながら、淡々と返してくる。まるでこっちの否定を、そのまま突き返してくるみてェだった。
「3つ目」
最後の1本指を俺に向けて指したまま、女は俺を見る。
「あなたが、昔の迷宮を知っているからですわ」
目の前に女の指が突き付けられる。心臓が妙にうるせェ。喉が渇く。
「……知った風な口を聞くンじゃねェ」
「ええ、わたくしは知りませんわ」
即答だった。
「ですが、あなたは知っている。人に管理される前の迷宮を。魔物が管理されず生きていた頃の迷宮を」
記憶が蘇る。
昔、迷宮で見た魔物たち。縄張り。繁殖。喰らい合い。
「……で?」
心臓を落ち着けて、わざと興味なさそうに肩をすくめる。こういう話に瞬時に乗っかって良いことなんか無かったからだ。
「俺が協力すると思ってンのか」
「思っておりませんわ」
女は首を振る。
「ですが、あなたにはわたくしの夢を”否定する資格”があると思ったのです」
「否定する資格だァ?」
「やってもいないことを無理だと言う人間と、やった上で無理だと言う人間は違いますもの」
淡々と言い切る。
「あなたは後者ですわ」
沈黙。
酒の臭いが鼻につく。
「……チッ」
舌打ちが漏れる。
「気に入らねェな、その言い方」
立ち上がる。少しふらつく。
「だがまァ…」
頭を掻く。
「偶にする散歩も、酔い覚ましにはちょうどいいかもしれねェな」
銀貨を投げる。
「ツケはなしだ」
マスターは黙って受け取った。
「俺が付き合うのは1回だけだ。それで無理なら諦めろ」
「ええ、それで構いませんわ」
即答だった。迷いがねェ。こういうタイプは嫌いだ。自分が正しいと信じてる目をしてる。
昔のクォーツを思い出して、腹が立つ。
「お嬢ちゃン、名前は」
「エスメラルダ・アントーニオですわ」
その瞬間、酒場の空気が揺れた。数人の酔っ払いが顔を見合わせる。アントーニオ家。迷宮で成り上がった貴族。知らねェ冒険者はいねェ名前だ。
当主のツァボリータは有名だった。魔物を素材じゃなく“生き物”として見てる頭のおかしい貴族。失踪した時は迷宮の奥で死ンだとか、自殺したとか、色んな噂が飛ンでいた。
「……あァ、そうかよ」
興味なさそうに返す。
扉を押し開ける。
昼の光が目に刺さった。酒が回った頭にはキツい。
「まァ、アンタの夢には悪ィが...…“現実”ってやつを教えてやるよ」
背後からコツコツと靴音が続いた。
久しぶりに歩く、王都の通りは昔より静かだ。
もちろん、人がいねェ訳じゃねェ。商人も荷車も通ってはいる。
だが冒険者が減ったな。雑多な熱気が消えた。武器屋の呼び込みも弱ェ。解体屋の臭いも薄い。
昔はもっと血と金の匂いがしてたがなァ......。
「まず確認しておくが」
歩きながら口を開く。
「アンタ、魔物見たことあンのか」
「ありませんわ」
即答だった。
「……はァ?」
「本物は見たことありませんの。資料と標本だけですわ」
思わず笑う。
「ハハハ!じゃあ何だ、生きているのを見たこともねェのに動物園作ろうとしてたのか!」
「ええ、おっしゃる通りですわ」
平然としてやがる。笑い飛ばしても悔しがりもしねェ。
「魔物は動物が魔素に適応して変化した存在ですもの。でしたら生態系として理解できる可能性がありますわ。それに……」
エスメラルダのもしかしたらの話を話半分で聞きつつ、俺たちは王宮へ続く坂道を登る。
遠くに白い城壁が見えた。
あそこに最後の迷宮がある……と言われている。
俺は見たことが無いが。
もちろん、俺のような不審者が許可なく近づくだけで衛兵が飛んでくる。
「で、どうやって入る気なンだ?」
俺は鼻で笑う。
「見学でもして帰るか?最後の迷宮は上級しか入れねェぞ」
「問題ありませんわ」
エスメラルダはそう言って、胸元に手を入れた。
取り出したのは、黒い金属板だった。
王家の紋章。迷宮入域許可証。
上級冒険者用と同じ黒金仕様。
俺が手に入れたくても手に入らなかった物。
一瞬、思考が止まる。
思わず足も止まった。
「なんで、アンタが、それを、持ってンだ……」
エスメラルダは得意そうに胸を張る。
「王宮より正式に許可をいただいておりますの」
「チッ……貴族様の特別権限か?」
「半分正解ですわ。迷宮生態系研究のため、特例として認可されましたの。王宮直属の扱いですわね」
そこまで聞いて、もう1つ、気になった。
コイツがどこまで考えているのか。
「アンタ、迷宮枯渇の原因はどこまで知ってる?いや、なンだと思ってる?」
エスメラルダは少し黙った。俺の顔をジッと見つめる。
「迷宮が減っている原因は、おそらく貴方たちの魔物の乱獲だけではありませんわ」
通りに風が吹く。
「わたくしの母は、迷宮について独自研究をしておりましたの。そして祖父ツァボリータもまた、迷宮研究で“何か”に辿り着いていた」
ツァボリータ・アントーニオ。あの狂人の名前が再び頭をよぎる。
「まだ確証はありませんわ」
そう言いながらも、その目は真剣だった。
「ですが、実際に迷宮は無くなり、貴方は仕事を失った。私はその原因である”何か”を知りたいのです」
俺は再び、黙る。
「まだ確証はありません。ですがわたくしの仮説が正しければ……遠くない将来に迷宮は”絶滅”します」
冗談みてェな話だった。だが笑えねェ。
10年前から、誰もが薄々感じてることだったからだ。迷宮は減った。理由は分からねェ。
だから皆、考えねェようにしてた。最後の迷宮まで消えたら、この国は終わる。
そンなこと、考えたくもなかった。
「……だから迷宮を調べるための動物園か」
「はい」
俺は前を向いたまま言う。
「アンタ、ただ魔物が好きなだけじゃねェな。迷宮全てが好きなンだな」
エスメラルダは微笑む。
「……やはり、あなたに依頼して正解でしたわ」
嬉しそうに言うな。
「勘違いすンなよ」
吐き捨てる。
「俺は”まだ”協力するなんて言ってねェ」
だが俺の足は止まらない。
王宮の門が近づいてくる。門を守る衛兵たちがこちらに気づき始める。
その時だった。
「__オニキス先輩?」
聞き覚えのある声がした。
振り向く。
白銀の鎧。無駄のねェ姿勢。腰には上級冒険者の証。
クォーツ・ゴラッソが立っていた。
……あァ、最悪だ。




