第二章 北辰の冥影 【3.未逢の縁】
【3.未逢の縁】(みほうのえにし)
その夜、秀郷は、軒の片隅で弓の弦を張り替えていた。
太い指が弦を引くたび、低く重い音が響く。その音は、都の雅な楽器とは異なる、荒野の風のような響きだった。
そこへ、将門が通りかかった。
「その弓……都のものとは少し違うのですね。」
秀郷はゆっくりと顔を上げた。
月明かりが、彫り深い顔の陰影を際立たせる。
「陸奥では、こういう弓を使う者も多い。……其方は?」
「相馬小次郎と申します。寄人として出入りしております。」
(・・・相馬・・・小次郎・・・?)
秀郷は、将門の名を聞いた瞬間、わずかに眉を動かした。
「・・・其方、鎮守の若君ではないか。」
「私をご存じなのですか」
「坂東で、鎮守の偉丈夫を知らぬ者はない。」
その声音には、羨望とも、嘲りともつかぬ響きがあった。
蝦夷の血を引く自分とは違う、皇統正統な名門の血筋――秀郷の胸に、複雑な影がよぎる。
「御弓を拝見してもよろしいでしょうか」
将門がそう言うと、秀郷はしばらく黙って見つめ、やがて弓を差し出した。
将門が弓を手に取ると、秀郷はその動きを注意深く観察した。
握りの深さ、腕の角度、足の開き――
どれもが、十五歳とは思えぬほど整っている。
(……これは驚いた。)
秀郷の胸に、奇妙な感情が芽生えた。
それは、かつて自分が京に上った日の記憶と重なるものだった。
「其方、弓に相当な自信があるようだ。」
「はい。坂東では、弓馬の道を極めることも身を立てる道ですので」
秀郷は弓を受け取り、月に向かって弦を軽く鳴らした。
その音は、張り詰めた空気を震わせるように響いた。
「覚えておけ。腕前だけでは生き残れぬ」
「……どういう意味でしょうか」
秀郷は答えず、ただ将門を見つめた。
その眼差しには、蝦夷の血に宿る野性と、追われる身の陰と、復権を誓う執念が、静かに燃えていた。
「いずれ分かる」
そう言い残し、秀郷は闇の中へと消えていった。




