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将門炎舞記 上巻  作者: 浮島太郎


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第四章 影を孕む春雷 【1.震盤、天の惑いを映す】

【1.震盤、天の惑いを映す】


夕つ方、陰陽寮の庭には、昼の名残と夜の気が入りまじり、風さえも息をひそめるようであった。竹の葉はかすかに鳴り、どこからともなく漂う沈香の煙が、まるで天の気配を呼び寄せるかのように揺らめいていた。


賀茂忠行は、式盤を前に静かに座し、香炉に沈香じんこうを焚いた。

立ちのぼる香煙は春の湿り気と混じり、鋭く鼻を刺す。

その匂いは、まるで“何か”を呼び寄せるかのようであった。


――やがて、滝口の小次郎、平将門が姿を現した。

濃紺の直垂に浅葱の指貫、背は高く、歩むたびに衣が風を切る。

夕光を受けたその左眼は、金色の二つの光が宿っているかのように僅かに揺れた。

忠行の胸が、ぞくりと震えた。

(やはり……重瞳ちょうどう。天命を負う者にのみ現れる異相……)


将門は無造作に腰を下ろした。

「忠平卿に言われて来た。占いなどに興味はないが……好きにせよ。」

その声音には、若武者の傲りではなく、“己の運命など知るまでもない”という静かな諦観が潜んでいた。


忠行は式盤に手を置き、低くしゅを唱えた。

風がぴたりと止み、庭の竹がざわりと鳴った。

式盤の針が、ひとりでに震え始める。


忠行の顔色が変わった。

「……これは……」

将門が眉をひそめる。

「どうした」

忠行は震える声で言った。

「吉……大吉……そして――凶。

どちらにも振り切れ、どちらにも定まらぬ……」


そのうち、忠行は何かに取り憑かれたように語り出した。

揺光ようこうを示しております……

北天を仰げば、ひときわ明るく輝く星がございます。

北辰……それは天帝の座、その周りを巡る北斗は帝車、

七曜の星は天帝の七つの力……七元君を示すと申します。

貴方様の星は、揺光の星……破軍星はぐんせい

――破壊と戦禍、そして再生と変革……新しき時代を拓く宿命…」

忠行の声は震え、式盤の針はなおも狂ったように揺れていた。

「まるで天が、貴方様をどう扱うべきか迷っているような……

いや、恐れているのかも知れませぬ」


将門は鼻で笑った。

「天が迷う? そんなことがあるか。汝が風に揶揄からかわれただけだろう。

あるいは、天が汝をあざけって愉しんでいるのかも知れん。」

だが忠行は、式盤から目を離せなかった。

「英雄の相……覇者の相……だが同時に、国を揺るがす厄災の相……

貴方様は、天に愛され、同時に、天に恐れられてもいる。」


将門はしばらく黙し、やがて静かに立ち上がった。

「占いは占いだ。天が俺などを怖れるはずがあるまい。汝の怖れが盤に映っただけだ。」

そして、ふと低く呟いた。

「だが――もし天が答えをはぐらかすなら、それは天が隠しておきたいことだ。」

その言葉は、春の空気を裂くように鋭かった。


忠行は、その大きな背に深い影を見た。

将門が去ったあと、忠行は式盤の前に膝をついた。針はまだ震えている。

「……あの御方は天命を知る者……だが、その命は短い……」


陰陽頭おんみょうのかみが、静かに言った。

「忠行よ。いずれ国を揺るがすやも知れぬ御方。

英雄となり楽土をもたらすか、国難を呼び国を割る逆賊となるか

……今はまだ、天も決めかねておる。」

忠行は唇を噛んだ。

(あの御方は今はまだ炭櫃。ひとたび火焔となれば全てを呑み、焼き尽くす)

春の風が吹き、式盤の針が最後にひとつ震え、止まった。


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