第三章 童殿上 【2.御簾の向こうの孤独】
【2. 御簾の向こうの孤独】
春の夕影が清涼殿の北廂を淡く染めていた。
御簾を透かす光は金の糸のように揺れ、その下で、ひとりの皇女が静かに座していた。
だがその瞳には、少女らしい無邪気さよりも、長い祈りの歳月が刻んだ陰が宿っていた。
女房たちは皇女を敬い、慈しんだ。
「姫宮さまは、まことにお美しくなられました」
そう言われるたび、皇女は微笑み返しながら胸の奥でそっと呟いた。
「わたくしの心を知る人は、どこにいるのだろう」
皇女は幼い頃から教えられてきた。
「涙は祈りの内に沈めよ。心は御簾の奥に隠して生きよ。」
その言葉は、誉れではなく、“見えない枷”となって彼女の胸を締めつけた。
庭を駆けることも、同年代の少女と笑い合うことも許されない。
彼女の世界は、祈りと儀式と沈黙でできていた。
―― 十四歳
成人の儀である“着裳”を控えたこの年、
自分の未来は、自分のものではない。すべてが“決められる側”だった。
「わたくしは……どこへ流されていくのだろう」
その不安は、夜の静けさの中で大きく膨らんだ。
更衣であった生母は、三年前に亡くなった。
夜、寝所でひとりになると、胸の奥がひりつくように痛んだ。
「母上の温もりを、わたくしは一つとして覚えていない……」
その思いは、誰にも言えぬ秘密だった。
乳母の妙子は、皇女が三歳の頃から育ててきた。
夜泣きのたびに抱きしめ、背を撫で、熱を出せば一晩中手を握っていた。母を求めて泣き叫ぶ皇女を、その手で抱きしめながらも、「母親ではない自分」に苦しんだ夜。
だが――皇女が六つを過ぎた頃から、宮中のしきたりは妙子に告げた。
皇女が成長するにつれ、妙子は“母の代わり”であることを許されなくなり、ただ“仕える者”として距離を置かねばならなくなった。
「姫宮さまは、もう泣いてはならぬお立場です。」
その日から、皇女は妙子の胸で泣くことをやめた。
妙子は、皇女の涙を奪ったのは自分ではなく“宮中”であることを知りながら、それでも胸が裂けるような思いを抱えていた。
(母の温もりを知らぬまま、大人になってしまった・・・)
その事実が、妙子の胸を締めつけた。




