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白い光

 地下を出ると、冷たい風が頬を撫でた。

 鐘楼へ続く階段を、俺たちは黙って上っていく。

 後ろを歩いていた男が、途中で足を止めた。


「ここから先は、俺がやる」


 フィアが振り返る。


「何をするんですか?」


「鐘を止める」


 男はそれだけ言って、再び歩き始めた。

 鐘楼の最上階へ出る。

 大きな鐘が、そこに吊られていた。

 これまで何度も町に響いていた音の正体。

 けれど、今は静かだった。


 男は鐘の前まで歩いていくと、懐から小さな金属片を取り出した。

 薄い板のようなものだった。

 表面には、細かな文字が刻まれている。


「それは?」


「術式の核だ」


 男は鐘を見上げる。


「俺がここに仕掛けた」


 男が金属片を鐘の脇にある石台へ近づける。

 すると、薄く光が浮かび上がった。

 鐘の表面にも、同じような文字が現れる。


「この術式が鐘を鳴らしていたんだ」


「……これを止めれば?」


「鳴らなくなる」


 男は金属片を石台の溝へ差し込んだ。

 カチリ、と小さな音がした。

 それから、刻まれていた文字を指でなぞっていく。

 最後の一つに触れたところで、男が目を閉じた。


「解除する」


 短く呟く。

 次の瞬間。

 鐘に浮かんでいた文字が、一つずつ消えていった。

 光も弱くなっていく。

 最後の文字が消える。

 同時に、金属片の表面に刻まれていた文字も消えた。

 男がそれを取り外す。

 もう、何も起こらない。


「……これで終わりだ」


 男は小さく息を吐いた。

 俺は鐘を見る。

 何も変わっていない。

 ただ、もう鳴ることはない。

 地下にあった装置も、鐘から送られてくる魔力によって動いていた。

 なら、鐘が止まれば装置も止まる。


「止まったみたいですね」


 フィアが言う。


「ああ」


 けれど、俺は鐘を見上げたままだった。

 これで終わりじゃない。

 それは分かっていた。

 鐘を止めても。

 地下の装置を止めても。

 町の人たちから切り離されたものが、勝手に戻るわけじゃない。


「……これからだ」


 俺は自分の胸に手を当てる。

 ここには、まだ大量の記憶が残っている。

 町の人たちが大切にしてきた時間。

 誰かと笑ったこと。

 誰かを心配したこと。

 家族と過ごした日々。

 仕事を始めた日のこと。

 子供の頃のこと。

 その一つ一つが、俺の中に残っている。


「……返す」


 俺は呟いた。


「本当に、できるんですか?」


 フィアが聞く。


「分からない」


 正直に答える。


「でも、やるしかない」


 俺は目を閉じ、手のひらを前に掲げた。

 胸の奥に意識を向ける。

 たくさんの記憶が、そこにある。

 それを一つずつ思い浮かべる。

 パン屋の女性。

 鍛冶屋の男。

 子供たち。

 家族。

 友人。

 町で暮らしてきた人たち。

 その人たちが大切にしていたもの。


 俺はゆっくり息を吸った。

 そして――

 吐き出した。


 手のひらから、白い小さな光がこぼれた。


「……!」

 

 一筋。

 それが空へ伸びていく。

 続いて、いくつもの光が俺の身体から離れていった。

 光は鐘楼の上で集まり、ゆっくりと広がっていく。

 まるで、夜空に浮かぶ星のようだった。

 けれど、それは空へ消えていかない。

 上へ昇った光が、今度はゆっくりと降り始める。


「……綺麗」


 フィアの声が聞こえた。

 俺は目を開けた。


 鐘楼の上から、白い光が町へ降っていく。

 屋根へ。

 道へ。

 家へ。

 店へ。

 町のあちこちへ、静かに広がっていく。


 立ち止まり、空を見上げる人。

 誰かが家族の名前を呼んでいる。

 店の前では、パン屋の女性が自分の店を見つめていた。

 鍛冶場では、男が手にしていた道具を握りなおしている。


 この町の繋がりが、戻っていく。


「……終わったのかな」


 フィアが呟いた。


「たぶんな」


 俺は鐘を見る。

 もう何も起きない。

 静かな鐘楼。

 静かな町。

 あれだけ鳴り響いていた鐘が、今はただそこにある。

 男は町を見下ろしていた。

 しばらくして、男が口を開く。


「……すまなかった」


 小さな声だった。

 俺は振り返る。


「町の人たちにも」


 男は一度、言葉を詰まらせる。


「お前たちにも」


 俺は男を見る。

 許すとか、許さないとか。

 俺が決めることじゃない。

 ただ。


「……もう、同じことをしなければいい」


 そう言うと、男は黙って頷いた。

 俺は町へ視線を戻す。

 白い光は、もう見えない。

 けれど、町には少しずつ声が戻っている。

 笑う声。

 誰かを呼ぶ声。

 それを聞きながら、俺は思った。

 記憶は、なくなるだけじゃない。

 時間が経てば、感じ方が変わることもある。

 それでも。

 残っているものまで、消えるわけじゃない。

 俺は鐘楼の階段へ向かった。


「行こう」


 フィアが頷く。


「はい」


 俺たちは鐘楼を下りていった。

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