忘れられた町
翌朝。
俺は少女に案内されて、町を歩いていた。
「名前、まだ聞いてなかったな」
「あ……」
少女が振り返る。
「そうでしたね」
少し照れたように笑った。
「私はフィアです」
「フィアか。俺はレオン」
「知っています」
「……知ってる?」
「昨日、町の人から聞きました」
「ああ」
俺は頷いた。
昨日のうちに、俺が冒険者だという話が町中に広まったらしい。
噂というのは早い。
「それで、今日はどこへ?」
「次は鍛冶屋です」
「パン屋の次は鍛冶屋か」
「はい。昨日から様子がおかしくて」
町の端に、小さな鍛冶屋があった。
扉を開ける。
「こんにちは」
フィアが声を掛ける。
返事はない。
奥から金属を叩く音だけが聞こえてくる。
カン、カン、と一定の間隔。
俺たちは奥へ進んだ。
大柄な男が、一心不乱に剣を打っていた。
「おじさん」
フィアが声を掛ける。
男が振り返った。
「ああ?」
「昨日のこと、覚えていますか?」
「昨日?」
男は首を傾げた。
「何だったかな」
「剣を作っていました」
「そうだな」
「どうして剣を作っているんですか?」
「……」
男の手が止まった。
「どうして?」
「はい」
男は自分の手を見る。
「分からん」
昨日のパン屋と同じだった。
覚えている。
けれど、その記憶と自分自身が繋がっていない。
「剣を作ること自体は覚えている?」
「ああ」
「でも、理由が分からない」
「そうだ」
俺は男を見た。
「何か変わったものは?」
「変わったもの?」
「最近、誰かが店に来たとか」
「……そういえば」
男が考え込む。
「三日前くらいに、知らない男が来た」
「どんな男?」
「顔は覚えている」
「じゃあ――」
「でも、何を話したかは覚えてない」
俺は黙った。
「ただ」
男が続ける。
「帰ったあとから、何か変だった気がする」
「何が?」
「この店を見ても、前ほど大事だと思えなくなった」
フィアが小さく息を呑む。
俺は店内を見回した。
壁に掛けられた大量の工具。
何度も使われた金槌。
年季の入った炉。
ここには、この男が積み重ねてきた時間がある。
それなのに。
本人だけが、それを大切にしていた理由を失っている。
俺は金槌を手に取った。
ずしりと重い。
表面には細かな傷がいくつもある。
指を滑らせる。
――熱い。
炎。
若い頃の男。
父親らしき人物。
初めて金槌を握った日。
失敗して、怒られて。
それでも笑っていた。
そして最後に。
この金槌を渡されたときの、嬉しさ。
俺は手を離した。
「……やっぱり」
「何か分かりましたか?」
フィアが聞く。
「記憶そのものは残ってる」
「え?」
「ここに残ってる」
金槌を見せる。
「この男がどうして鍛冶屋になったのか。誰に教わったのか。何を大切にしてきたのか。全部、消えてない」
「じゃあ、どうして本人は……」
「分からない」
俺自身にも、まだ説明できなかった。
俺は外へ出た。
フィアが隣を歩く。
「レオンさん」
「何だ?」
「あなたは、触れたものの記憶を見ることができるんですか?」
「……物に残っているものなら、ある程度は」
「昨日、パン屋さんの木箱に触れていましたよね」
「ああ」
「何が見えたんですか?」
俺は少し考えた。
「見えた、というより……感じた」
「感じた?」
「俺の場合、ただ記憶が見えるわけじゃない。その時の感情も、温度も。自分が体験したことのように取り込むことができる。」
俺は自分の手を見る。
「記憶喰いだからな。食べたものは、俺の中に残る」
第一部の旅でも、何度も経験してきたことだった。
ただ読み取るだけなら、そこに残ったものを知るだけだ。
けれど、記憶を喰えば、その記憶は自分の中へ入ってくる。
その違いは、俺自身が知っている。
「だから、必要がなければ食わない」
「……分かりました」
フィアはそれ以上聞かなかった。
町の中央へ戻る途中だった。
町の向こうから、鐘の音が響いた。
フィアが顔を上げる。
「またです」
「何が?」
「誰かが、何かを忘れた時に鳴る鐘です」
「そんな鐘があるのか?」
「最近、鳴るようになりました」
鐘がもう一度鳴る。
カン――。
町の人々が、一斉に足を止めた。
そして。
誰もが不安そうに、自分の手や家を見つめ始めた。
俺は鐘の方向を見た。
「……この町で、一体何が起きてるんだ」
まだ、この町には何かが隠れている。
そう思った。




