新たな旅
町を出てから、三日が経った。
振り返れば、あの旅は短かったようにも、ずっと昔のことのようにも思える。
王都を離れたあと、俺たちはそれぞれ別の道を選んだ。
また会う約束をしたわけでもない。
もう会わないと決めたわけでもない。
ただ、それぞれが自分の行きたい場所へ向かうことになった。
それだけだった。
俺は街道を一人で歩いている。
背中には荷物。
腰には剣。
そして、右手には――俺の固有スキル。
記憶喰い。
昔なら、この名前を聞いただけで嫌な気分になった。
戦えない。
魔法も使えない。
何の役にも立たない。
そう思われて、五年間所属していた冒険者パーティーから追放された。
けれど今は違う。
俺の力が、ただ物に残った記憶を読むだけのものではないことを、俺自身が知っている。
古い剣。
壊れた道具。
誰かが残した本。
そこに残された記憶を辿ることで、俺は世界から忘れられていたものを知った。
その先にあったのが、三百年前の英雄たちと魔王。
そして、長い間隠されていた歴史だった。
あの旅を終えてからも、俺は何度も自分の力について考えていた。
記憶を読む。
記憶を食う。
言葉にすれば、それだけだ。
けれど、その力が何を見せてくれるのか。
どこまでのものを俺は知ることができるのか。
それについては、まだ分からないことが多い。
「……分からないな」
小さく呟く。
返事をする相手はいない。
以前なら、隣には誰かがいた。
歩く速さを合わせたり、くだらない話をしたり。
何か見つければ、自然と声を掛けていた。
今は、静かだった。
寂しいと言えば、寂しい。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
一人で歩くことにも、少しずつ慣れてきている。
街道の先に、小さな町が見えてきた。
石造りの門。
その向こうには、いくつもの屋根が並んでいる。
「今日はあそこで休むか」
町へ向かって歩き出した。
門をくぐると、思ったより人が多かった。
商人が荷車を引き、子供たちが走り回っている。
平和な町だった。
少なくとも、入り口から見た限りでは。
「……ん?」
視線を感じた。
振り返る。
少し離れたところに、十六、七歳くらいの少女が立っていた。
茶色の髪を肩のあたりで切り揃えている。
俺と目が合うと、慌てたように視線を逸らした。
そして、またこちらを見る。
「……何か?」
声を掛けると、少女は少し迷ったあと、こちらへ歩いてきた。
「旅の方ですか?」
「ああ」
「冒険者?」
「一応」
「なら……お願いがあります」
「依頼?」
「はい」
少女は頷いた。
だが、依頼書を持っているわけでもない。
むしろ困ったような顔をしている。
「お金は、あまり払えません」
「別にいいけど」
そう答えると、少女は少し驚いたように瞬きをした。
「本当に?」
「内容を聞いてからだけどな」
「あ……はい」
少女は周囲を見回した。
まるで誰かに聞かれたくないようだった。
「実は、この町で最近……変なことが起きているんです」
「魔物?」
「違います」
「盗難?」
「それも違います」
少女は少し声を落とした。
「みんな、忘れてしまうんです」
「……何を?」
「自分の、持っていた心を」
意味が分からなかった。
少女は続ける。
「自分の家も分かります。家族の名前も分かります。仕事も覚えています。でも……自分の気持ちだけ、分からなくなるんです」
「それって、記憶喪失じゃないのか?」
「違うと思います」
少女は首を横に振った。
「具体的には?」
「昨日、私の隣に住んでいる人が、自分の奥さんのことを『名前は知っている。でも、どうして一緒にいるのか分からない』って言ったんです」
「……」
「その人だけじゃありません。店をやっている人が、自分の店を見て『ここで何をしていたんだっけ』って言ったり」
少女は俯いた。
「だから、怖くて」
俺は町を見回した。
さっきまで普通に見えていた風景。
けれど、そう言われると妙に違って見える。
店の前に立つ男。
荷車を押す女。
笑いながら走る子供。
誰もが何かを覚えている。
なのに、その意味だけが抜け落ちていく。
「……いつから?」
「一週間くらい前です」
「原因は?」
「分かりません」
「被害者は?」
「少しずつ増えています」
少女が俺を見る。
「だから、調べてもらえませんか」
俺は少し考えた。
普通なら断っていたかもしれない。
けれど。
記憶。
それに関係する事件なら。
俺の力が役に立つ可能性がある。
「分かった」
少女の顔が少し明るくなる。
「本当ですか?」
「ああ。ただし、俺にも分からないことはある」
「それでも構いません」
「じゃあ、まず被害に遭った人のところへ案内してくれ」
「はい」
少女が歩き出す。
俺もその後を追った。
町の中央から少し離れた場所に、一軒の小さな店があった。
看板には、パン屋と書かれている。
少女が扉を開ける。
「おばさん。連れてきたよ」
「ありがとう」
店の奥から女性が出てきた。
四十代くらいだろうか。
笑顔を浮かべている。
けれど、その笑顔はどこか不自然だった。
「この人が?」
「はい」
「冒険者さん?」
「ああ」
「じゃあ、聞いてください」
女性は店内を見回した。
「私は、ここでパンを売っているんです」
「……はい」
「それは分かります」
女性は自分の胸元に手を当てた。
「でも、どうして私がパンを売っているのか分からないんです」
俺は黙って店を見た。
焼きたてのパン。
木の棚。
古い包丁。
壁に掛けられた小さな時計。
どれも普通のものだ。
俺は一歩、店の奥へ進んだ。
そして。
棚に置かれた古い木箱に、手を触れた。
瞬間。
頭の奥に、かすかな感覚が走った。
焼けた小麦の匂い。
幼い子供の笑い声。
誰かの手。
そして――。
この店を大切に思う感情。
俺は手を離した。
記憶は消えていない。
「もう少し調べる」
そう言うと、少女が頷いた。
「お願いします」
窓の外では、夕暮れが始まっていた。
俺は町を見た。
この町で、何が起きているのか。
まだ、その答えは見えなかった。
ここから、第二章の始まりです。
第一章を読み直し、分かりづらかったな、読みにくいなと感じたところは少し修正をしています<(_ _)>
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