ブレインハックが設計された社会の中で
ここまでお読みいただき、まずは心から感謝したい。
同時に、少し意地の悪いことも書いておきたい。
ここまで読み進めてくださったことが、あなた自身の主体的な選択だったのか。
それとも、私がこの本の中に仕掛けたブレインハックの結果だったのか。
そこには、大いに議論の余地がある。
第10章で書いたように、これからも技術革新は進んでいく。
ブレインハックの手法は、より巧妙になっていくだろう。
これまでは、年齢、性別、職業、興味関心、悩みといった大まかなペルソナ設定で十分だった。けれどこれからは、それだけでは終わらない。
その人がどんな傷を抱えているのか。
どんな劣等感に反応しやすいのか。
何に救われたいと思っているのか。
どんな葛藤や自己矛盾を抱えながら、それでも前に進もうとしているのか。
そうした心の奥行きまで含めて、言葉は設計されていく。
実際、私自身もこの本を書くにあたって、読者の表面的な悩みだけを想定したわけではない。
情報に振り回されている自覚がある。
けれど、スマホやSNSを完全に否定したいわけでもない。
不安や焦りに反応してしまう自分を責めている。
でも本当は、自分の人生をもう少し自分で選びたいと思っている。
そんな読者の姿を想像しながら書いてきた。
これは、ある意味では危ういことだ。
人の傷や葛藤に触れる言葉は、使い方を間違えれば、簡単に操作の道具になる。
けれど私は、そこに一つの希望も見ている。
他者のシャドウ、心の傷、矛盾、言葉にならない痛みに目を向けることは、人を操るためだけの技術ではない。
本来は、他人へ少し優しくなるための入口にもなりうるはずだ。
相手がなぜ怒っているのか。
なぜ不安になっているのか。
なぜ同じ場所で立ち止まってしまうのか。
そこに目を向けることができれば、私たちはもう少しだけ、他人を雑に扱わずに済むかもしれない。
私が次に考えているのは、そこだ。
人の心を奪うためではなく、照らすために設計を使うこと。
反応を操るためではなく、理解と寛容を広げるために知識を使うこと。
社会に、少しでも寛容を実装していくこと。
それが、今の私の願望であり、これから研究していきたいテーマでもある。
伊藤計劃の『ハーモニー』には、優しさや倫理が過剰に広がった社会の息苦しさが描かれていた。
私が願うのは、優しさで人を逼塞させる世界ではない。
優しさや寛容が、人の心を管理するのではなく、そっと照らす世界だ。
選ばされる社会で、それでも自分で選ぶために。
そしていつか、その選択が、自分だけでなく誰かを少し楽にするためにも使われることを願って。
この本を閉じた後のあなたの日々に、ほんの少しでも静かな余白が戻ることを祈っている。




