表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「スマホ脳」のその先へ~高度洗脳社会を生きる~  作者: 三津朔夜
第9章 それでも、自分で選ぶために――実存としての自由

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/57

思想は補助具にすぎない

 本編では、様々な知識や概念を使ってきた。

 ブレインハック。高度洗脳社会。ドーパミン。間欠強化。習慣ループ。

 マーケティング心理学。認知的不協和。カリギュラ効果。アドラーの課題の分離。


 目的論と原因論の中庸。仏教が説く縁起と感情の波。ツァイガルニク効果。

 ジャーナリング。生成AI。


 これだけ並べると、何か大きな体系があるように見えるかもしれない。

 だが、正直に言っておきたい。

 これらはすべて、補助具にすぎない。


 アドラー心理学が正解なのではない。仏教が答えなのではない。ニーチェの哲学が真理なのではない。生成AIが万能なのでもない。


 それぞれは、自分という実存を理解し、定義していくための道具だ。

 道具は、使う人間があってはじめて意味を持つ。

 道具に使われる側になった瞬間、それはまた別の縛りになる。


 私自身の経緯を振り返ると、これがよく分かる。

 感情の原因論から出発した。アドラーの目的論に激しく拒否反応を示した。数年後、ChatGPTを経由して再び接触し、腑に落ちた。今は原因論と目的論の中庸に立っている。


 これは「アドラーが正しかった」という話ではない。

 自分の経験と照らし合わせながら、使える部分だけを取り入れた、という話だ。

 思想や哲学や心理学は、自分に合った形にカスタマイズして取り入れるものだ。

 妄信するものでも、全否定するものでもない。


 手に取って、試して、合わなければ置いて、また別のものを試す。

 その繰り返しの中で、少しずつ自分の輪郭が見えてくる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ