思想は補助具にすぎない
本編では、様々な知識や概念を使ってきた。
ブレインハック。高度洗脳社会。ドーパミン。間欠強化。習慣ループ。
マーケティング心理学。認知的不協和。カリギュラ効果。アドラーの課題の分離。
目的論と原因論の中庸。仏教が説く縁起と感情の波。ツァイガルニク効果。
ジャーナリング。生成AI。
これだけ並べると、何か大きな体系があるように見えるかもしれない。
だが、正直に言っておきたい。
これらはすべて、補助具にすぎない。
アドラー心理学が正解なのではない。仏教が答えなのではない。ニーチェの哲学が真理なのではない。生成AIが万能なのでもない。
それぞれは、自分という実存を理解し、定義していくための道具だ。
道具は、使う人間があってはじめて意味を持つ。
道具に使われる側になった瞬間、それはまた別の縛りになる。
私自身の経緯を振り返ると、これがよく分かる。
感情の原因論から出発した。アドラーの目的論に激しく拒否反応を示した。数年後、ChatGPTを経由して再び接触し、腑に落ちた。今は原因論と目的論の中庸に立っている。
これは「アドラーが正しかった」という話ではない。
自分の経験と照らし合わせながら、使える部分だけを取り入れた、という話だ。
思想や哲学や心理学は、自分に合った形にカスタマイズして取り入れるものだ。
妄信するものでも、全否定するものでもない。
手に取って、試して、合わなければ置いて、また別のものを試す。
その繰り返しの中で、少しずつ自分の輪郭が見えてくる。




