その欲望は、本当に自分のものか
欲しい。なりたい。手に入れたい。
そう思うこと自体は、自然なことだ。
問題は、その「欲しい」が、どこから来たのか分からなくなることだ。
本当に自分の中から出てきた願いなのか。
それとも、比較の中で刺激された不足感なのか。
焦りの中で、とりあえずつかみたくなった出口なのか。
その境目は、思っているほどはっきりしていない。
たとえば、急に何かが欲しくなることがある。
稼ぐ力。発信力。誰かに認められる感覚。
今まで特に必要だと思っていなかったのに、何度か見かけるうちに気になってきて、気づけば「欲しい」に変わっている。
そのとき人は、自分の意思でそう思ったように感じる。
外からの影響がすべて偽物だとは言わない。
誰かの影響を受けて何かを好きになることはある。
人に教えられて、自分の願いに気づくこともある。
問題は、影響を受けることそのものではない。
現代は、その外からの働きかけが余りにも多く、あまりにも巧妙だということだ。
不足を感じさせる。比べさせる。遅れている気分にさせる。
その上で、「これを手に入れれば埋まる」と差し出す。
この流れが何度も繰り返されると、人は自分の欲望と、刺激された不足感とを区別しにくくなる。
欲しいのではなく、不安なだけかもしれない。
必要なのではなく、置いていかれたくないだけかもしれない。
目指したいのではなく、今の自分を否定したくて飛びついているだけかもしれない。
本当に自分のものなら、少し時間を置いても残る。
一度離れても、なお気になる。
比較の場から離れても、やはり自分の中に残る。
されど、刺激の熱が冷めると一緒に弱くなるものもある。
その差は大きい。
だから、欲望を守るというのは、何も欲しないようにすることではない。
それが本当に自分の願いなのかを、少し疑ってみることだ。
一度距離を置いても、なお欲しいと思えるのか。
そう問い直すことで、欲望は少しずつ自分の手元に戻ってくる。




