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「スマホ脳」のその先へ~高度洗脳社会を生きる~  作者: 三津朔夜
第5章 反応させられる社会で、何を守るのか

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注意はもう、奪い合われている

 気になる音がすればそちらを見る。動くものがあれば目で追う。新しい情報があれば反応する。

 それ自体は、人間として自然なことだ。


 けれど今は、その自然な揺れやすさが、ただの性質では済まなくなっている。

 注意は、放っておけば散るものではない。今では、奪い合われるものになっている。


 1969年、ハーバート・サイモンは、情報が増えすぎた社会では、人々の「注意」そのものが希少な資源になると述べた。

 半世紀以上前の見通しは、いまではかなり現実的なものになった。


 総務省の情報通信白書も、プラットフォーム企業が利用者の時間と注意をできるだけ長く引きつけるために、データを使って「最も反応しやすいもの」を予測していると指摘している。


 要は注意はただ散りやすいものではなく、価値を生む資源として扱われている。

 誰かに長く見てもらえれば得になる。途中で離れられなければ利益になる。もう一度戻ってきてもらえれば価値になる。


 だから、放っておいても守られることはない。価値があるものは、取りに来られる。

 その変化は、目に見えにくい。 お金のように手元からなくなるわけではない。


 しかし実際には、注意を向けた分だけ、他のことに向ける力は削られていく。

 何かを見たあと、頭の中にその残りが居座る。 一つのことに戻ろうとしても、さっき見た刺激が邪魔をする。


 集中したいのに落ち着かない。考えたいのに、思考が浅いところで切れてしまう。

 注意が奪われるというのは、ただ目を引かれることではない。


 そのあとに使うはずだった思考の力まで、少しずつ削られていくということでもある。

  見落としたくないのは、注意を奪うものの多くが、必要な情報や楽しいものの顔をして現れることだ。


 役に立ちそう。少しくらいなら大丈夫。今見ておいたほうがいいかもしれない。

 そう思わせるものほど、強く入り込んでくる。

 ここで重要なのは、注意が足りない自分を責めることではない。


 大事なのは、注意がいまや価値を生むものとして扱われていると知ることだ。

 注意は、ただ散りやすいものではない。

 いまでは、囲い込まれ、価値に変えられ、奪い合われるものになっている。

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