21/52
広告は、なぜ感情にまで入り込むのか
広告は、本来ただの案内でもありうる。
こういう商品がある。こういうサービスがある。必要なら見てください。
それだけなら、話は単純だ。けれど今の広告は、ただ知らせるだけでは終わらない。
視線を止めさせる。気分を動かす。不足感を刺激する。
そうした働きを、かなり精密に担うようになっている。
特にネット広告はそうだ。興味を持ちそうなものが出る。検索したものが追いかけてくる。一度見たものが、別の場所でも出てくる。
広告はもう、街角に貼られた静かなポスターではない。
生活の流れに割り込み、判断の途中に何度も現れるものになった。
しかも今の広告は、「欲しいものを見せる」だけでなく、「足りないものを意識させる」方向にも強い。
今のままでは遅れる。これがないと損をする。もっと良い自分になれる。
そうした不足感をつくり、その出口として商品を置く。
ここまで来ると、広告は案内ではなく、感情の流れに介入する装置になる。
広告は、独立した問題ではない。
ここまで見て来た全てが、より日常的な形で再配置されているだけなのだ。




