8話 己の剣は己で握れ
八月五日。
その日の練習は、スタメン組の十一人で、攻撃の組み立てをくり返していた。
キーパーの鉄平先輩から、ディフェンスへ。ディフェンスから、中盤へ。中盤から、前線へ。
ボールを奪われずに、相手のゴール前まで運ぶ練習だ。
相手役は、控え組の西村、小日向、吉野、堀の四人。
乾いたグラウンドでボールがはねるたび、細かい砂ぼこりが舞い上がる。
たった四人なのに、スタメン組は一度もゴール前まで行けなかった。
理由は、はっきりしていた。
「我に任せよ!」
ボールが最終ラインに来るたびに、ローデリックが一人でドリブルを始めてしまうのだ。
一人目の小日向は、かわした。
二人目の吉野も、肩でふき飛ばした。
三人目の西村が、体を張って前に立つ。ローデリックは強引に突破しようとして――ボールが足から離れた。
こぼれたボールを、堀が拾って、そのままがら空きのゴールに蹴りこんだ。
「よっしゃあ! 一年が点取ったぞ!」
小日向が、堀に飛びついて喜んでいる。
ローデリックは、ゴールに転がったボールをにらみつけていた。
くるりと振り返った。
「ボルグ! おまえの立つ場所が悪い! 我の左にいれば、あの者は止められた!」
ボルグは、きょとんとした。
「……俺は、言われたとおりの場所にいた」
「ミロ! おまえもだ! なぜ、我のうしろを守らなかった!」
ミロは肩をすくめて、両手を広げた。
「えー。だって、団長が一人で行っちゃうから。追いかけるの、めんどくさいじゃん」
「何だと!」
ローデリックが、ミロにつめよった。
ミロは、にやにや笑いながら、するりと横によけた。
グラウンドの空気が、とげとげしくなっていく。
俺は、その様子を、ただ見ていた。
止めなきゃ。
キャプテンなんだから。
わかっているのに、足が動かなかった。
◇ ◇ ◇
「――ローデリック」
静かな声がした。
サフィールだった。
彼は、ローデリックの前に立って、まっすぐに見上げた。
「鉄の国の、第一の掟を言ってみろ」
ローデリックの動きが、止まった。
「……なぜ、今それを」
「言ってみろ」
ローデリックは、しばらく黙っていた。
こぶしを、ぎゅっとにぎっている。
低い声で言った。
「――己の剣は、己で握れ」
その言葉は、ふだんの大きな声とはまるでちがっていた。
重くて、静かで、どこか痛そうだった。
「負けを他人のせいにする者は、自分の剣を他人に握らせているのと同じ。剣を他人にあずけた騎士は、もはや騎士ではない」
ローデリックは、そう言ってから、自分の手のひらを見つめた。
「……わたしは、騎士団の新兵に、何百回もこの言葉を教えてきた」
声が、かすれていた。
「それを、今、わたしが忘れていた」
ローデリックは、ボルグとミロのほうを向いて、深く頭を下げた。
「すまぬ。今の失点は、わたし一人の責だ」
ボルグは、首をかしげたまま、「……気にするな」と言った。
ミロは、ばつが悪そうに、そっぽを向いた。
◇ ◇ ◇
練習が終わったあと、俺はローデリックに声をかけた。
彼は、ゴール裏の木かげで、一人でスパイクのひもを結び直していた。
フェンスの向こうには、午後の海が広がっていた。強い日差しで水平線が白くかすみ、どこまでが海で、どこからが空なのか、わからなかった。
木かげに入ると、ふっと空気が冷たくなった。頭の上で、葉っぱがさらさらと鳴っている。
「さっきの、掟ってやつ」
「ああ」
「ほかにも、あるのか」
ローデリックは、ひもを結ぶ手を止めて、俺を見上げた。
「わたしたちの……故郷には、七つの国がある。それぞれの国に、一つずつ、古くから伝わる掟がある。七つを合わせて、〈七星の掟〉と呼ぶ」
「七星の、掟」
「我ら七人は、それぞれの国の掟を、一つずつ背負ってここに来た。わたしは、鉄の国の第一の掟。――己の剣は、己で握れ」
ローデリックは、立ち上がった。
見上げるほど背が高い。でも、その顔は、少しだけ幼く見えた。
「ミナト。わたしは、騎士団長として、何十もの戦を率いてきた。だが、この儀式では、いつも一人だ。誰も、わたしについてこない。それを、わたしは仲間のせいにしていた」
俺は、何も言えなかった。
ローデリックの言葉が、まるで鏡みたいだったから。
――父さんに、才能がないと言われたから。
――三年生が、本気じゃなかったから。
――航平が、怒るから。
――菅野先生が、サフィールの案を選んだから。
俺は、ずっと、自分の剣を誰かに握らせていた。
キャプテンなのに、指示を出さなかった。
航平が来なくなっても、追いかけなかった。
ローデリックが一人で走っても、「パスを出せ」と叫ぶだけで、どこに出せばいいのかは言わなかった。
できないことを、全部、誰かのせいにしていた。
「……ローデリック」
「なんだ」
「さっき、誰もついてこないって言ったけど」
俺は、木かげからグラウンドを見た。
「ついていけないんだよ。どこに行くのか、わからないから。……それを伝えるのは、俺の仕事だった」
ローデリックは、目を少し見開いた。
「明日から、俺が声を出す。右に出せとか、待てとか、下がれとか。うるさいくらい言う。だから、俺の声を聞いてくれ」
ローデリックは、しばらく俺を見つめていた。
右のこぶしを、左胸に当てた。
騎士が、誓いを立てるときのしぐさだと、あとで知った。
「承知した、我が将よ」
「いや、将じゃなくて、キャプテン」
「キャプテン」
ローデリックは、その言葉を、大切そうにくり返した。
◇ ◇ ◇
その夜、俺はスマホを手に取った。
網戸の向こうで、虫が鳴いている。扇風機が首を振るたび、かたん、かたんと小さな音を立てた。
航平とのトーク画面。
最後のメッセージは、一週間前の『八月の試合、行かねーかも』で止まっている。
何度も文字を打っては、消した。
ごめん、と書いて消した。
戻ってこい、と書いて消した。
おまえがいないとダメなんだ、と書いて――それも、消した。
どれも、本当だった。
でも、どれも、航平の言葉じゃない気がした。
菅野先生は言っていた。航平は、くやしさの言葉で話している、と。
だったら。
俺は、ゆっくりと打ちこんだ。
『来週の合宿、最終日に紅白戦やる。日本人チーム対、あの七人』
『日本人チームのフォワード、いない』
『おまえの二年間、あいつらに見せてやれよ』
送信ボタンを押す指が、少しふるえた。
既読は、すぐにはつかなかった。
俺はスマホを机に置いて、戦術ノートを開いた。
新しいページに、大きく書く。
『日本人チーム対七人 作戦』
ペンを走らせながら、思った。
自分の剣は、自分で握る。
たとえ、その剣が、どんなに細くて頼りなくても。
日付が変わるころ、スマホが一度だけ、ふるえた。
『考えとく』
たった五文字。
それだけで、俺は、ノートのページを一枚、また一枚とめくることができた。




