6話 スタメン発表
七月の最後の金曜日。
練習のはじめに、菅野先生が全員を集めた。
夕方なのに、空気はまだ昼の熱をたっぷりふくんでいた。グラウンドの向こうで、野球部の金属バットの音が、カーンと高く響いた。
「みんなに、二つお知らせがあります」
先生は、手もとの紙を見ながら言った。
「ひとつめ。部員が十六人になったので、サッカー部は同好会にならずにすみます。秋の選手権予選にも、正式にエントリーしました」
小日向が、「よっしゃあ!」と叫んで、隣のボルグの背中をたたいた。ボルグは、何のことかわからないまま、まねをして小日向の背中をたたき返した。小日向は三メートル吹っ飛んだ。
笑い声の中で、俺はカバンの中の封筒のことを考えていた。
七月末まで。十一人そろったら、破って捨てろ。
鉄平先輩は、ゴールの前で黙ってグローブのひもを結んでいた。
「ふたつめ」
菅野先生の声に、みんなが静かになった。
「八月の終わりに、練習試合が決まりました。相手は、県立緑ヶ浜高校。去年の県大会で、ベスト32に入ったチームです」
緑ヶ浜。
俺たちが、去年の練習試合で1対5で負けた相手だ。
「その試合に向けて、今日から練習を、スタメン組と控え組に分けます。……先に言っておくと、うちは十六人しかいないから、全員が登録メンバーです。試合には、交代でみんな出てもらうつもりです」
先生は、そこで少し息を吸った。
「でも、最初にピッチに立つ十一人は、決めなきゃいけない」
グラウンドの空気が、ぴんと張りつめた。
◇ ◇ ◇
実は、その三日前。
俺は菅野先生に呼ばれて、職員室でこう言われていた。
「早瀬くん。スタメンの案を、出してくれないかな。キャプテンとして」
俺は、一晩かけて考えた。
戦術ノートを広げて、十六人の名前を書いた。体力テストの数字も、昨日までの練習も、全部思い出して、何度も消しては書いた。
そうしてできた十一人は――。
キーパーは、鉄平先輩。
ディフェンスに、大吾、西村、ローデリック、ボルグ。
中盤に、俺、奏太、タリク。
前線に、航平、ゼノ、それから小日向。
日本人が八人。七人の中からは、四人。
数字だけで選べば、七人を全員入れたほうが強いのは、わかっていた。
でも、それはできなかった。
航平を外したら。
小日向を外したら。
二年間いっしょに負けてきたやつらを、ベンチに座らせたら。
チームが、こわれる。そう思った。
俺はその紙を、菅野先生にわたした。
先生は、「ありがとう」と言って受け取った。
そのとき、先生の机の上に、もう一枚の紙があるのが見えた。
きれいな、整った字だった。
いちばん上に、名前が書いてあった。
『サフィール・オルド』
◇ ◇ ◇
「それでは、発表します」
菅野先生が、紙を読み上げ始めた。
「ゴールキーパー、大城鉄平くん」
鉄平先輩は、表情を変えずにうなずいた。
「ディフェンダー。ローデリックくん。ボルグくん。宮内大吾くん。ミロくん」
ミロ。
俺の案には、入っていない名前だった。
「ミッドフィールダー。サフィールくん。タリクくん。早瀬湊くん」
胸の奥が、ひやりとした。
「フォワード。ゼノくん。セリオくん。それから――白石奏太くん」
先生は、紙から顔を上げた。
「以上の十一人です」
誰も、動かなかった。
俺は、頭の中で数えた。
七人が、全員入っている。
日本人は、鉄平先輩、大吾、俺、奏太の四人。
航平の名前は、なかった。
小日向の名前も、西村の名前も。
これは、俺の案じゃない。
サフィールの案だ。
◇ ◇ ◇
「……ふざけんなよ」
最初に声を上げたのは、やっぱり航平だった。
「なんで俺が控えなんだよ。フォワードにセリオ? あいつ、トラップもできねえじゃん」
「戸田くん。セリオくんは、キックの精度が――」
「的当てとサッカーは、ちがうんだよ!」
航平の声が、グラウンドに響いた。
「先生、サッカー知らないでしょ。数字だけ見て決めたんでしょ。足が速いとか、的に当たるとか。そんなんで決めんなら、最初から俺たちなんかいらなかったじゃん!」
菅野先生は、何か言おうとして、口を閉じた。
「航平、やめろって」
小日向が、航平の腕をつかんだ。
「交代で、全員出られるって先生言ってたじゃん。俺たちも出られるって。な?」
「交代で出る?」
航平は、小日向の手をふりはらった。
「小日向、おまえはいいよな。今までずっとベンチだったんだから。でも俺は、0対6のときだって、フルで出てたんだよ。一年の夏から、ずっとフォワードだったんだよ」
航平の声が、ふるえた。
「それが、素人の控えかよ」
航平は、足もとのボールを思いきり蹴った。
ボールは、誰もいないゴールに突き刺さって、ネットを大きく揺らした。
「俺たちの二年間は、何だったんだよ……!」
航平は、そのまま背を向けて、部室のほうへ歩いていった。
誰も、追いかけなかった。
ゴールネットが、まだかすかに揺れていた。
大吾は、くちびるをかんで下を向いている。
西村は、腕を組んで、じっと地面を見ていた。
スタメンに入った奏太は、まるで自分が悪いことをしたみたいに、青い顔をしていた。
◇ ◇ ◇
「……ミナト」
重い沈黙をやぶったのは、ローデリックだった。
「あの男は、なぜ怒る」
ローデリックは、本当にわからないという顔をしていた。
「戦では、強い者が前に立つ。弱い者は後ろに下がる。それが、仲間を一人でも多く生かすための掟だ。当然のことであろう」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で、何かが切れた。
「ここは、戦場じゃない!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
グラウンドの全員が、俺を見た。
ローデリックも、目を見開いていた。
「強いとか弱いとか、そんなことで決めるなら、サッカーじゃなくていいだろ! 航平は、二年間ずっと、このチームで点を取ってきたんだ! 負けても負けても、前に走ってきたんだよ! それを――」
そこまで言って、言葉が止まった。
それを、なんだ。
それを知らないおまえたちに、何がわかる?
でも、それを言ったら。
七人と俺たちの間の見えない線は、もう二度と消えない気がした。
ローデリックは、しばらく俺を見つめていた。
ゆっくりと、頭を下げた。
「……すまぬ。この世界の掟を、わたしはまだ知らぬ」
俺は、何も答えられないまま、グラウンドを出た。
背中に当たる西日が、やけに熱かった。
◇ ◇ ◇
夜。
俺は、家の近くの堤防に座っていた。
目の前には、暗い海が広がっている。波の音が、ざあ、ざあ、と規則正しく聞こえる。潮の匂いが、昼間の熱をまだ少しだけ残した風といっしょに流れてきた。
ポケットのスマホが、短くふるえた。
航平からだった。
『八月の試合、行かねーかも』
返事を打とうとして、やめた。
何を書いても、うそになる気がした。
「ここにいたのか」
声がして、振り向いた。
堤防の上を、サフィールが歩いてきた。
七人は、学校の近くにある古い一軒家で、いっしょに暮らしているらしい。この堤防は、その帰り道だった。
サフィールは、俺の隣に、少し間をあけて座った。
しばらく、二人とも黙っていた。
「……あれ、おまえが出した案だろ」
俺が言うと、サフィールはうなずいた。
「ああ。先生に頼まれた。おまえと、わたしと、両方に」
「なんで、七人全員入れたんだよ」
「数字が、そう言っていたからだ」
サフィールの声は、淡々としていた。
「速さ。高さ。精度。奪う力。この十一人が、いちばん強い。――少なくとも、紙の上では」
「紙の上では、か」
「ミナト。おまえの十一人と、わたしの十一人。今、試合をしたら、どちらが勝つと思う」
俺は、海を見たまま答えた。
「……おまえのほう」
言葉にすると、胸の奥が、ずきりと痛んだ。
「そうだな。わたしも、そう思う」
サフィールは、ひざを抱えた。
そして、少しだけ間をおいてから、言った。
「だが、わたしの十一人は、チームではない。……それも、わかっている」
俺は、思わずサフィールの横顔を見た。
月の光の中で、彼の目は、どこか遠くを見ていた。
まるで、ここではない、どこかを。
「わたしの国では、そういう戦い方しか、教わらなかった。一人ひとりが、最も強くあること。それが、勝つための唯一の方法だと」
サフィールは、立ち上がった。
「おまえの十一人には、わたしにない何かがある。それが何なのか、わたしはまだ、わからない」
そう言って、サフィールは堤防の上を帰っていった。
俺は、一人で海を見つめていた。
カバンの中には、まだ鉄平先輩の退部届が入っている。
今日、破るつもりだった。十一人どころか、十六人そろったのだから。
でも、練習のあと、鉄平先輩は俺にこう言った。
「それ、もう少し預かっといてくれ。……人数がそろっても、チームになったわけじゃないからな」
十六人。
数は、そろった。
でも、潮見ヶ丘高校サッカー部は、まっぷたつに割れたまま、八月を迎えようとしていた。
あなたの毎日に、思いがけない出会いが訪れますように。
第1章「七人の転校生」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ボールを知らない七人と、九人しかいないサッカー部。ここから物語がキックオフします。
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