3話 七人の転校生
七月二日。
学校へ向かう坂道の上から、海が見えた。
夏の朝の光を受けて、水面が一面、細かな銀色にきらめいている。沖のほうを、白い漁船がゆっくりと横切っていった。
いつもと同じ、潮見ヶ丘の朝の海だった。
この日から、何もかもが変わりはじめるなんて、まだ誰も知らなかった。
その日の朝、体育館は、いつもの全校集会とはちがう空気につつまれていた。
「七人って、本当?」
「全員、外国から来たらしいよ」
「イケメンいるかな」
あちこちで、ひそひそ声がはじけている。窓から差しこむ夏の光の中で、ほこりがきらきらと舞っていた。
「えー、静かに」
教頭先生がマイクをたたき、壇上に校長先生が上がった。
「本日から、本校に七名の転入生を迎えます。みなさん、温かく迎えてください。――では、どうぞ」
舞台のそでから、七人が出てきた。
その瞬間、体育館のざわめきが、ぴたりと止まった。
先頭を歩いてきたのは、背の高い男子だった。赤銅色の短い髪。背すじが、定規を当てたようにまっすぐ伸びている。歩幅も、腕の振りも、一歩ごとにまったく同じ。行進、という言葉が頭に浮かんだ。
二人目は、さらに大きかった。
二メートル近くある。肩幅は、ふつうの男子の倍。制服のシャツが、今にもはちきれそうだった。
三人目は――。
あれ、と思った。
三人目が、いない。
六人しかいない。数え直しても、六人だ。
「えっ」
前のほうで、女子が小さく声を上げた。
いつの間にか、校長先生のすぐ横に、黒髪の男子が立っていた。
いつ、そこへ行ったのか。誰も見ていなかった。
残りの四人は、ばらばらだった。
日に焼けた肌で、体育館の天井をのんびり見上げている男子。
にやにやしながら、壇上から生徒の列を一人ずつ眺めている男子。
一番小柄で、淡い金色の髪をした、不安そうな男子。
そして最後に、夜空のような濃い青の髪をした、細身の男子。
その一人だけが、まっすぐ前を向いて、静かに体育館全体を見渡していた。
(……変だ)
俺は、ひっかかりを覚えた。
転校生というのは、ふつう、緊張してうつむくか、きょろきょろするものだ。
でも、この七人はちがう。
全員が――体育館の出入り口の位置を、確かめていた。
◇ ◇ ◇
「では、一人ずつ、自己紹介をお願いします」
校長先生がマイクを渡すと、先頭の赤い髪の男子が、一歩前に出た。
胸に手を当てる。
「我が名は、ローデリック・グレイヴ。鉄の国ガルムントにて、騎士団を率いていた者である。以後、見知りおけ」
体育館が、しーんとなった。
どっと笑いが起こった。
「キャラ濃っ!」
「騎士団って何!?」
ローデリックは、きょとんとしていた。なぜ笑われているのか、まるでわかっていない顔だった。
すると、最後尾の青い髪の男子が、すっと前に出てマイクを受け取った。
「失礼しました。彼は、ドイツのガルムントという小さな町の出身です。地元の『騎士団』という名前のクラブで、キャプテンをしていました。日本語は、古い本で勉強したそうです」
なめらかな日本語だった。
笑い声が、「なーんだ」という空気に変わっていく。
「僕は、サフィール・オルドといいます。僕たちは、それぞれちがう国から来ましたが、同じ……留学のプログラムに参加しています。よろしくお願いします」
サフィールは、ていねいに頭を下げた。
続いて、大きな男子がマイクを握った。
マイクが、おもちゃみたいに小さく見える。
「……ボルグだ」
それだけ言って、少し考えてから、付け足した。
「ここの食堂に、甘い物はあるか」
また、笑いが起きた。今度は、さっきよりやわらかい笑いだった。
日に焼けた男子は、タリク・ローウェンと名乗った。
「この体育館は、風の通り道がいいですね。窓をあと二つ開けると、もっと気持ちいいと思います」
にやにや顔の男子は、ミロ・ラッシュ。
「ミロでーす。よろしくー。あ、そこのきみ、財布が落ちそうだよ」
指さされた男子が、あわててズボンのポケットを押さえた。財布は、ちゃんとそこにあった。ミロは、ぺろりと舌を出した。
小柄な金髪の男子は、セリオ・ヴェント。
声が小さすぎて、マイクを通しても半分しか聞こえなかった。
最後に、いつの間にか校長先生の横にいた黒髪の男子に、マイクが渡った。
「ゼノ」
それで、終わりだった。
マイクを返したとき、彼はもう、さっきとはちがう場所に立っていた。
◇ ◇ ◇
七人のうち、三人が俺のクラス――二年B組に入ってきた。
エアコンの効きの悪い教室には、チョークの粉と、誰かの制汗スプレーの匂いがまじっていた。
ゼノ、タリク、そしてサフィール。
ゼノは、窓ぎわの一番後ろの席を選んだ。正確に言うと、菅野先生が席を指定する前に、もうそこに座っていた。
タリクは、窓の外の木を見て「あれはクスノキですか」と先生に質問し、授業が五分止まった。
そしてサフィールは、俺の隣の席になった。
一時間目は、菅野先生の国語だった。
サフィールは教科書を開くと、ものすごい速さでページをめくり始めた。読んでいるというより、写真を撮っているみたいだった。
「……それ、全部読んでるの?」
小声できくと、サフィールは手を止めて、こちらを見た。
深い青色の目だった。
「覚えている。読むのと覚えるのは、同じことではないのか?」
冗談なのか本気なのか、わからなかった。
◇ ◇ ◇
昼休み。
窓の外から、吹奏楽部のトランペットの音が、とぎれとぎれに聞こえてくる。
俺が机の上で弁当を広げようとしたとき、サフィールが体ごとこちらに向き直った。
「ハヤセ・ミナト」
フルネームで呼ばれて、思わず箸を落としそうになった。
「おまえが、この学校の〈球の儀式〉をおこなう集団の長か」
「……は?」
「球の儀式だ。十一人ずつ、二つの集団に分かれて、ひとつの球を相手の門に入れる。剣を使わず、血も流さずに、勝ち負けを決める」
それは、どう考えても。
「……サッカーのこと?」
「サッカー」
サフィールは、その言葉を、大切なものを確かめるように、ゆっくりとくり返した。
「そう。サッカーだ」
「なんで、俺がサッカー部のキャプテンだってわかったんだよ」
「指だ」
サフィールは、俺の左手を指さした。
「指先に、テーピングのあとがある。ふくらはぎの筋肉のつき方は、長く走る者のものだ。それに――」
今度は、俺の机のすみを指さす。
そこには、出しっぱなしにしていた『戦術ノート No.7』があった。
「〈戦術〉の文字を表紙に書く者は、戦を率いる者だけだ」
「いや、戦じゃなくて、試合だけど」
「試合」
サフィールは、またその言葉をくり返した。
すっと背すじを伸ばした。
「ハヤセ・ミナト。我々七人は、その儀式――サッカーに加わりたい」
◇ ◇ ◇
放課後のグラウンドは、夏の日差しで白っぽく光っていた。
セミの声が校舎の壁にはね返って、四方から降ってくる。
いつものように九人で準備体操をしていると、小日向がとつぜん、すっとんきょうな声を上げた。
「み、みみみ、湊! あれ!」
振り向くと、校舎のほうから、七人が一列になって歩いてくるところだった。
先頭はローデリック。最後尾はサフィール。
歩く速さも、間隔も、ぴったり同じ。グラウンドの砂ぼこりの中を進んでくる姿は、映画で見た、戦いに向かう兵士の行列みたいだった。
その後ろから、菅野先生が小走りでついてくる。
先生の手には、七枚の紙がにぎられていた。
「は、早瀬くん……」
先生の声が、ふるえていた。
「全員、サッカー部に入部希望、だそうです」
一瞬、グラウンドから音が消えた。
それから――。
「うおおおおおおおおっ!」
小日向が、空に向かって叫んだ。
「十六人! 十六人だ! 湊、十一人どころか、十六人だぞ! 紅白戦ができる! 同好会にならない! うおおおお!」
小日向はその場で三回ジャンプして、そのまま一番近くにいたボルグに抱きついた。
ボルグは、自分の胸のあたりにしがみついている小日向を、不思議そうに見下ろしていた。
一年の吉野と堀も、ハイタッチをしている。
七海は、ノートに七人の名前を書きこみながら、ぱちぱちとまばたきをしていた。
でも、喜んでいない人もいた。
「……経験は?」
航平だった。
腕を組んで、七人をにらむように見ている。
「サッカーの経験はあんのかって、きいてんだけど」
ローデリックが、一歩前に出た。
「ない」
即答だった。
「だが、案ずるな。我らは、戦で負けたことは一度もない」
「……戦?」
航平の眉が、ぴくりと動いた。
サフィールが、すかさず口をはさんだ。
「彼の国の言い回しです。『試合』のことを、そう言うんです」
航平は何か言いかけて、それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「素人が七人入っても、試合にならねーよ」
そう言い捨てて、航平はボールを蹴りながら、グラウンドの向こうへ歩いていった。
大吾は困った顔で、俺と航平の背中を交互に見ていた。
奏太は、何も言わずに下を向いていた。
◇ ◇ ◇
俺は、カバンの中に手を入れた。
指先に、白い封筒が触れる。
鉄平先輩から預かった、退部届。
十一人そろったら、破って捨てろ――。
部員は、十六人になった。
これで同好会にはならない。秋の選手権予選にも出られる。
破るなら、今だ。
でも。
(この人たちは、いったい何者なんだ)
体育館の出入り口を確かめていた目。
誰にも気づかれずに移動する足。
「戦で負けたことは一度もない」という言葉。
うれしいはずなのに、胸の奥が、ざわざわした。
「まだ、破るなよ」
すぐ後ろで、低い声がした。
振り向くと、鉄平先輩がゴールキーパーのグローブをはめながら、七人を見ていた。
「こいつらがボールを蹴るところを見てからだ。……人数がそろっても、チームになるとはかぎらないからな」
俺は、封筒から手を離して、うなずいた。
そのとき、足もとに転がってきたボールを、ボルグが拾い上げた。
大きな両手で、ボールを持ち上げる。
太陽にかざし、においをかぎ、軽くにぎってみる。
「これが、儀式の球か」
ボルグは、まじめな顔でつぶやいた。
「……やわらかいな。これで、どうやって敵を倒す」
「いや、倒さないから!」
俺と小日向の声が、ぴったり重なった。
◇ ◇ ◇
その夜。
ベッドの上でスマホを見ていると、航平から短いメッセージが届いた。
『おまえ、あいつら本当に入れんの?』
返事を打とうとして、指が止まった。
入れるも何も、俺に断る理由なんてない。部員が足りなくて困っていたのは、俺たちのほうだ。
『明日、練習見てから考える』
それだけ送ると、すぐに既読がついた。
返事はなかった。
かわりに、航平がSNSに上げた写真が、タイムラインに流れてきた。
中学の同級生、今井の投稿をシェアしたものだった。
『うちの学校にも、今日ヤバい転校生来たw しかも七人』
写真には、白い制服の背中が、いくつか写っていた。
俺はそれを、ただの偶然だと思って、画面をスクロールした。
明日は、七人と初めての練習だ。
俺たちはまだ、知らなかった。
あの七人が、ボールを何だと思っているのかを。




