30話 県大会優勝
笛の音が消えたあと、ピッチの上には、二つの景色があった。
赤いユニフォームの十一人と、ベンチから飛び出してきた全員が、ひとつのかたまりになって、泣いて、叫んで、転がっていた。
白いユニフォームの十一人は、芝の上に、ばらばらに座りこんでいた。
アズラクは、ピッチのまんなかに、ひとりで立っていた。
空を見上げていた。
夕焼けが終わりかけた、群青色の空を。
サフィールが、かたまりの中から、そっと抜け出した。
ゆっくりと、アズラクのほうへ歩いていく。
俺も、そのうしろについていった。
◇ ◇ ◇
サフィールは、アズラクの前で立ち止まった。
二人は、しばらく、何も言わなかった。
スタンドのざわめきが、遠くに聞こえる。
海から吹いてくる冷たい風が、二人の髪を揺らしていた。
「……ノーサイドだ」
サフィールが、言った。
アズラクが、眉をひそめた。
「のーさいど?」
「この世界の言葉だ。ミナトに教わった」
サフィールは、少しだけ笑った。
「試合が終われば、敵の陣も、味方の陣もなくなる。勝った者も、負けた者も、同じ側に立つ」
サフィールは、右手を差し出した。
「アズラク。十四人で、塔へ行こう。負けた道を、一人で戦場に行かせはしない」
アズラクは、差し出された手を、長いあいだ見つめていた。
低い声で言った。
「……甘い」
その声は、もう、少しも冷たくなかった。
「だが――師の言葉どおりだ」
アズラクは、サフィールの手を、強くにぎった。
「本当に束ねるべきなのは、味方の刃ではない。敵だった者の刃だ。……わたしは、それを、ずっと忘れていた」
アズラクは、俺のほうを見た。
「キャプテン、早瀬湊」
初めて、アズラクが、俺の名前を呼んだ。
「抽選会で、わたしは、おまえたちはここまで来られないと言った。二度目のまちがいだ。――わたしの負けだ」
アズラクは、胸に手を当てて、深く頭を下げた。
抽選会の日と同じ、礼儀正しい、きれいなしぐさだった。
でも、今度は、背すじが寒くはならなかった。
◇ ◇ ◇
ピッチのあちこちで、同じ国から来た二人が、向かい合っていた。
ローデリックと、ヴォルフ。
「団長」
ヴォルフが、ローデリックの前で、ひざをついた。
「九月に、あなたは弱くなったと言いました。……取り消します。仲間のうしろを気にする騎士は、剣がにぶるのではなかった。剣が、増えるのですね」
ローデリックは、ヴォルフを立たせて、その肩を、大きな手でたたいた。
ボルグとゴドーは、何も言わずに、肩を並べて座っていた。
ボルグが、ポケットから、くしゃくしゃになった飴を一つ取り出して、ゴドーにわたした。ゴドーは、それを、大事そうに口に入れた。
ミロとラシードは、なぜか、おたがいのポケットを探り合っていた。
タリクとブランは、空を見上げて、一番星を指さしていた。
ゼノとシェイドは、背中合わせに座って、二人とも目を閉じていた。
そして――。
セリオの前に、ナディムが立っていた。
「セリオ」
ナディムは、弟から、目をそらさなかった。
「わたしは、故郷で、おまえを、ずっと臆病者と呼んできた」
セリオが、うつむいた。
「……それは、故郷では、臆病者は、前線の弓兵に選ばれないからだ」
セリオが、顔を上げた。
「おまえの腕は、わたしより上だった。小さいころから、ずっと。……あの腕が知られたら、おまえは、まっさきに前線に送られる。だから、わたしは、おまえを臆病者と呼び続けた。おまえが、本当にそう信じてしまうまで」
ナディムの声が、ふるえた。
「すまなかった」
セリオの目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。
ナディムは、セリオの頭に、そっと手を置いた。
「最後の一本で、手がふるえなかったな」
ナディムは、笑った。
「――もう、臆病者と呼ぶ必要は、なさそうだ」
◇ ◇ ◇
表彰式は、すっかり暗くなったスタジアムで、照明に照らされて行われた。
キャプテンとして、俺は、優勝カップを受け取った。
思っていたより、ずっと重かった。
冷たい金属が、手のひらにずしりとのしかかる。
俺は、カップを両手で持って、振り返った。
十六人と、七海と、菅野先生が、そこにいた。
一人ひとりの顔を、俺は見た。
鉄平先輩。大吾。航平。奏太。小日向。西村。吉野。堀。
ローデリック。ボルグ。ゼノ。タリク。ミロ。セリオ。サフィール。
七海。菅野先生。
最後の十一人じゃなかった。
十六人と、二人。
全員で、ここまで来た。
俺は、カップを、空に向かって突き上げた。
潮見ヶ丘のゴール裏から、今日一番の歓声が上がった。
小日向の弟たちの横断幕が、照明の光の中で、大きく揺れていた。
スタンドのフェンスぎわで、航平と今井が、何か話していた。
今井が、航平の胸を、こぶしで軽くたたいた。航平が、照れくさそうに笑っていた。
◇ ◇ ◇
スタジアムを出ると、駐車場の街灯の下に、父さんが立っていた。
その前に、もう一人。
白髪まじりの、背の高い男の人。鷹司監督だった。
二人は、何かを短く話していた。
俺が近づくと、鷹司監督は、俺のほうを見て、ほんの少し口もとをゆるめた。
「――いいキャプテンだ、早瀬」
それは、俺に言ったのか、父さんに言ったのか、わからなかった。
鷹司監督は、それだけ言うと、白いバスのほうへ歩いていった。
父さんと二人で、海沿いの道を歩いた。
夜の海は、黒く、静かだった。
沖のほうに、漁船の明かりがいくつも浮かんでいる。波が、防波堤にぶつかって、ざあ、ざあと、ゆっくりした音をたてていた。
しばらく、どちらも、何も言わなかった。
「……湊」
父さんが、立ち止まった。
ズボンのすそを、ひざの上までまくり上げた。
街灯の光の下に、古い、長い手術のあとが見えた。
「三十年前、このひざをこわしたとき、医者には、まだやれると言われたんだ」
俺は、息をのんだ。
「でも、俺は、自分からやめた。……こわかったんだ。もう一度ボールを蹴って、もう一度、全部を失うのが」
父さんは、ズボンのすそを、ゆっくりと下ろした。
「おまえに、才能がないと言ったのは――たぶん、俺みたいに、こわい思いをさせたくなかったからだ。……いや、ちがうな。俺が、おまえを見るのが、こわかったんだ」
父さんは、海のほうを向いた。
「悪かった」
それは、俺が生まれて初めて聞く、父さんの「悪かった」だった。
「おまえには、才能がある」
父さんは、海を見たまま言った。
「俺にはなかった才能だ。――仲間を見る、才能だ」
俺は、何も言えなかった。
言葉のかわりに、涙が、勝手にこぼれてきた。
0対6の日も、0対8の日も、決勝のゴールの瞬間も、こんなふうには泣かなかったのに。
父さんは、俺の頭に、ごつごつした手を、乱暴にのせた。
◇ ◇ ◇
その夜。
部員全員で、堤防に集まった。
聖覇の七人も、来ていた。
十四人と、九人と、七海と、菅野先生。
冬の夜の堤防に、二十五人が並んで座っていた。
最初にそれに気づいたのは、タリクだった。
「……風が、変わった」
沖のほうの空が、青白く光りはじめていた。
光は、少しずつ、大きくなっていく。
やがて、海の上に、大きな光の輪が浮かび上がった。
六月のあの夜、俺がグラウンドで見た光と、同じ色だった。
「〈門〉だ」
サフィールが、静かに言った。
「負けた道の七人を、呼んでいる」
聖覇の七人が、立ち上がった。
ローデリックも、立ち上がった。
「我らも行く。十四人で、塔へ行くと決めたはずだ」
アズラクが、首を横に振った。
「いや。おまえたちの儀式は、まだ終わっていない」
アズラクは、俺たちを見た。
「この世界には、全国という、次の戦場があるのだろう。――束ねる道は、まだ続く。おまえたちは、それを最後まで見せろ」
アズラクは、光の輪を見上げた。
「塔へは、わたしたちが先に行く。前線へではない。真実を確かめに行く。負けた道を前線へ送るという話が、本当なのかどうか」
サフィールを見た。
「もし、本当に、わたしたちが前線へ送られるなら――そのときは、おまえたちが来い」
「必ず行く」
サフィールが、まっすぐに答えた。
「十四人で、ノーサイドにする」
◇ ◇ ◇
聖覇の七人は、一人ずつ、光の中へ歩いていった。
海の上に、光の道が、まっすぐにのびていた。
ヴォルフが、ローデリックに、騎士の礼をした。
ゴドーが、ボルグに、飴の包み紙をかかげてみせた。
シェイドが、ゼノに、ほんの少し手を挙げた。
ナディムが、セリオに、何かを叫んだ。故郷の言葉だった。セリオは、泣きながら、同じ言葉で叫び返した。
最後に、アズラクが振り返った。
「早瀬湊」
アズラクは、少しだけ笑った。
「次は、水盤のむこうから、見ている」
光が、七人をのみこんだ。
光の輪は、少しずつ小さくなって――やがて、夜の海に、すうっと溶けて消えた。
あとには、冬の星空と、静かな波の音だけが残った。
◇ ◇ ◇
みんなが帰りはじめたあとも、俺とサフィールは、堤防に残っていた。
沖のほうで、漁船の明かりが、ひとつ、またひとつと、揺れていた。
「ミナト」
サフィールが、海を見つめたまま言った。
「評議会は、どちらの道が強いかを、確かめたかったのだと思っていた」
サフィールは、夜空を見上げた。
この世界の空には、月がひとつしかない。
「だが、今日、十四人がノーサイドになったのを見て、思った。――評議長が本当に見たかったのは、もしかしたら、別のものだったのかもしれない」
サフィールは、俺のほうを向いた。
「剣を置いて、敵だった者と、同じ側に立つ方法。――それを学ぶために、わたしたちは、この世界に来たのかもしれない」
その目は、月の光を映して、深い青色に光っていた。
波の音が、ざあ、とひとつ、大きく響いた。
俺は、ポケットの中の、くしゃくしゃになった戦術ノートの切れはしを、ぎゅっと握りしめた。
八月の終わり、部室のホワイトボードから書き写した言葉が、そこに残っていた。
『十一人で、一つ』
六月の雨の日、九人しかいなかったサッカー部。
今は、ちがう。
十六人と、二人。それに、海の向こうに帰っていった、七人。
みんなで、ここまで来たんだ。
試合が終われば、敵も味方もない。あなたの毎日にも、そんな「ノーサイド」の瞬間がありますように。
第5章「最後の十一人」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
十六人と、二人。それに七人。みんなでつかんだ優勝を、いっしょに見届けていただけて幸せです。
残すはエピローグのみ。★評価やブックマークで、最後のホイッスルまで見届けていただけるとうれしいです。




