七つの月の下で
七つの月が、夜空に並んでいた。
白、青、赤、金――重なりあった光が、天秤の塔の石の床に、七色の影を落としている。
塔の最上階。
円卓の七つの椅子には、七つの国の代表者たちが座っていた。
その前に、七人の若者が立っていた。
異界から戻ったばかりの、聖覇の七人だった。
その体には、まだ、異界の冬の海の匂いが残っていた。
「負けた道の七人、ただいま戻りました」
アズラクが、胸に手を当てて言った。
「――ですが、前線へ行く前に、おたずねしたい。負けた道の七人を前線へ送るという定めは、本当に、評議会が決めたことなのですか」
円卓が、ざわめいた。
上座で、白い髪の老女が、ゆっくりと顔を上げた。
評議長グレイモア。
「アズラク。その話を、誰から聞きましたか」
「出発の前夜に、評議会の使いの者から。……評議長のお言葉だと」
老女は、しばらく黙っていた。
静かに言った。
「わたしは、そのようなことを、一度も言っていません」
円卓が、しんと静まり返った。
アズラクの目が、大きく見開かれた。
うしろの六人が、息をのむ音がした。
「負けた道の七人をどうするかは、彼ら自身が決めることだと、わたしは言いました。それだけです」
グレイモアの目が、円卓の代表者たちを、ひとりずつ見わたした。
誰も、目を合わせようとしなかった。
◇ ◇ ◇
その夜遅く。
評議長は、ひとりで、銀の水盤の前に立っていた。
水盤には、異界の景色が、ゆらゆらと映っていた。
海沿いの、小さな町。
冬の朝の、小さなグラウンド。
赤いジャージを着た若者たちが、白い息をはきながら、ひとつの球を追いかけている。
異界の若者と、この世界から送った七人が、まじりあって、声をかけあいながら。
その中に、ひとりだけ、ほかの若者たちの顔を、じっと見ている少年がいた。
ボールを持つたびに、顔を上げる。
仲間の一人ひとりを見て、それから、パスを出す。
老女は、その少年を、長いあいだ見つめていた。
「……あの子が、束ねたのですね」
老女は、水盤のふちを、細い指でなぞった。
「わたしが確かめたかったのは、どちらの道が強いか、ではない。――世界を、もう一度ひとつにできる者が、どこかにいるのかどうか」
老女は、水盤から顔を上げた。
窓の外には、七つの月が、いつものように並んでいた。
白、青、赤、金、銀、緑、紫。千年のあいだ、七つの国の戦を、黙って見下ろしてきた月だった。
「――いたのですね」
老女は、小さくつぶやいた。
その口もとに、何十年ぶりかの、やわらかな笑みが浮かんでいた。
次の朝、老女は、アズラクを呼んだ。
「あの子たちの冬の儀式が終わったら、〈門〉を、もう一度開きましょう」
老女は、静かに言った。
「今度は、十四人で、この円卓に座ってもらいます。勝った道も、負けた道もなく。――ひとつの道として」
アズラクは、胸に手を当てて、深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
十二月の終わり、全国高校サッカー選手権が開幕した。
潮見ヶ丘高校は、一回戦と二回戦に勝ち、年が明けた一月の三回戦で負けた。
相手は、その年の優勝校だった。
0対1。最後の笛が鳴るまで、十一人の誰も、下を向かなかった。
試合のあと、スタンドで泣いている七海に、小日向の弟たちが、くしゃくしゃのハンカチをわたしていた。
その週の土曜日の夜。
潮見ヶ丘の海の上に、ふたたび〈門〉が開いた。
真冬の海は、黒く、冷たかった。
吐く息が、白くこおりそうだった。波が堤防にぶつかるたびに、細かなしぶきが、星の光を受けて、きらきらと散った。
堤防の上に、十六人と、七海と、菅野先生が並んでいた。
〈門〉の光が、七人の横顔を、青白く照らしていた。
◇ ◇ ◇
別れは、短かった。
長くすると、誰も、帰れなくなりそうだったから。
ローデリックは、俺の前で、右のこぶしを左胸に当てた。
八月の木かげで、初めて俺を「キャプテン」と呼んだときと、同じしぐさだった。
「キャプテン。――そなたの声は、向こうでも、ずっと聞こえるだろう」
ボルグは、大吾に、表紙のすり切れた一冊のノートをわたした。
毎朝の体の研ぎ方が、たどたどしい日本語で、びっしりと書きこまれていた。
「おまえの刃は、まだ研げる」
ボルグはそれだけ言って、それから、小日向を、つぶれるくらい強く抱きしめた。
ゼノは、小日向の前に、黙って手のひらを差し出した。
パチン。
いつもの音が、冬の夜の海に、小さくひびいた。
「……残りは、頼む」
ミロは、航平に、小さなキーホルダーを返した。
七月の、初めての練習の日に、こっそり盗んでいたものだった。
「最後くらい、返しとく。――勝者、二人ね」
「……おまえ、最初からかよ」
航平は、笑いながら、泣いていた。
セリオは、奏太の手首に、細い弓の弦を編んで作った腕輪を結んだ。
「カナタ。的を、見つけてくれて、ありがとう」
タリクは、吉野と堀に、冬の星座の名前を、ひとつずつ教えていた。
最後に、鉄平先輩と西村の肩をたたいて、菅野先生に、深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
最後に、サフィールが、七海の前に立った。
七海は、両手で、胸の前に、一冊のノートを抱えていた。
九月に、サフィールと俺で作った、あのノート。
『翻訳表 戦の言葉 → サッカーの言葉』。
サフィールは、七海が試合のたびに書き足しつづけたそのノートを、七海に持っていてほしいと言ったのだ。
「……ナナミ」
サフィールが、名前を呼んだ。
七海の肩が、小さくふるえた。
「わたし……」
七海は、何かを言いかけて、口をつぐんだ。
もう一度、顔を上げた。
真冬の海風が、七海の髪を、乱暴にゆらしていた。
「わたし、サフィールのことが――ずっと、好きでした」
波の音が、一瞬だけ、遠くなった気がした。
サフィールは、しばらく、何も言わなかった。
ゆっくりと、夜空を見上げた。
月が、ひとつだけ浮かんでいる、この世界の空を。
「ナナミ。前に、教えてくれたな」
サフィールの声は、静かで、やさしかった。
「連星は、二つの星が、おたがいの重さで引き合って回っている。遠くから見ると、一つの星に見える、と」
サフィールは、七海を見た。
「――どれだけはなれても、引き合うことは、やめないそうだ」
七海の目から、涙がこぼれた。
でも、七海は、笑っていた。
サフィールは、七海の手の中のノートに、そっと手を重ねた。
俺のほうを向いた。
「ミナト。おまえに習った言葉を、向こうで使う。……短くて、速くて、まっすぐ届く言葉を」
「――うん」
それしか、言えなかった。
七人は、光の道を、海の上へ歩いていった。
一度だけ、全員が振り返った。
ローデリックが、こぶしを胸に当てた。
ボルグが、両手を背中で組んでみせた。
ミロが、ぺろりと舌を出した。
セリオが、小さく手を振った。
タリクが、空を指さした。
ゼノは、いつの間にか、もう光の中にいた。
サフィールが、口の動きだけで、何かを言った。
声は、波にかき消されて、聞こえなかった。
でも、俺には、わかった。七海にも、わかったと思う。
――ありがとう。
光の輪は、ゆっくりと小さくなって、冬の海に、溶けていった。
◇ ◇ ◇
二月の終わり、天秤の塔の円卓には、十四の椅子が並べられた。
七つの国の代表者たちの前で、十四人の若者は、勝った道も負けた道もなく、ひとつの列になって立った。
アズラクとサフィールが、並んで、口を開いた。
剣を置くこと。
争いが起きたときには、殺し合いではなく、球の儀式で決めること。
試合が終われば、敵も味方もなくなること。
その言葉を、異界では「ノーサイド」と呼ぶこと。
千年のあいだ、誰も負けを認めなかった大陸で、その日、七つの国の代表者たちは、初めて、同じ側に座った。
塔のふもとには、緑の長方形の大地が、つくられた。
白い線が引かれ、両はしに、門が立てられた。
春が来るころ、その大地の上では、七つの国の子どもたちが、ひとつの球を追いかけて走っていた。
手を使わずに。誰か一人で運ぶのではなく、みんなで。
その様子を、塔の窓から、白い髪の老女が、目を細めて見下ろしていた。
◇ ◇ ◇
四月。
潮見ヶ丘の海は、春の光で、やわらかく光っていた。
グラウンドのフェンスぞいの桜が、満開だった。花びらが、風にのって、ピッチの上にひらひらと舞い落ちてくる。
俺は、三年生になった。
キャプテンマークは、まだ、俺の左腕にある。
新学期最初の練習の日。
グラウンドの入り口に、一年生の列ができていた。
十二人。
全員が、入部届を手にしていた。
「選手権の決勝、見てました!」
「サッカー、未経験なんですけど、いいですか!」
「ボール、手で持っちゃダメなんですよね!」
小日向が、去年と同じビラを振り回しながら、泣きそうな顔で叫んでいた。
「湊! 十二人! 十二人だぞ! 即レギュラーとは、もう言えねえ!」
みんなが、笑った。
鉄平先輩は、卒業して、大学でキーパーを続けている。
春の合格発表の日、真っ先に、部室の俺たちに電話をくれた。
航平は、今井と、ときどき休みの日にボールを蹴っているらしい。
大吾のひざは、もう、どこも痛くない。
奏太の手首には、今も、細い弦の腕輪が結ばれている。
ベンチのはしで、七海が、一冊のノートを開いていた。
『翻訳表 戦の言葉 → サッカーの言葉』。
その最後のページには、七海の知らないうちに、なめらかな字で、短い言葉が書きこまれていたそうだ。
七海は、何が書いてあったのか、誰にも教えてくれない。
ただ、ときどき、そのページを開いては、空を見上げている。
昼間の空に、白く、うすい月が、ひとつだけ浮かんでいた。
「キャプテン、整列!」
七海の声に、俺は振り返った。
グラウンドに、新しい顔と、なつかしい顔が、ずらりと並んでいた。
六月の雨の日、九人しかいなかったサッカー部。
七つの星が落ちてきて、十六人になったサッカー部。
あの最後の十一人は、もう、ここにはいない。
でも――。
俺は、ボールを、つま先で軽く浮かせて、手で受け止めた。
あの日、七人の前でしたのと、同じように。
「サッカーのルールは、簡単に言うと、ひとつだけ」
新しい仲間たちの顔を、一人ひとり、見わたした。
「このボールを、みんなで、相手のゴールに運ぶ。――手は使わない。一人じゃ、運べないから」
春の風が、海の匂いを運んできた。
潮見ヶ丘高校サッカー部の、新しい十一人が、ここから始まる。
――完――
この物語を読んでくださったあなたの毎日に、ひとつの球を追いかけるような、まっすぐな時間がありますように。
『異世界から来た七人は、まだボールを知らない』を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
湊と仲間たち、そして七つの国から来た七人の物語に最後までつきあってくださったこと、心から感謝しています。
物語を楽しんでいただけましたら、★評価やブックマーク、感想で応援していただけるとうれしいです。次の物語を書く、何よりの励みになります。




