27話 異なる刃を束ねよ
ハーフタイムのロッカールームには、湿布とスプレーの、つんとした匂いがこもっていた。
十一人が、ベンチに座りこんでいる。
誰も、しゃべらなかった。0対2という数字が、重い空気になって、部屋じゅうにたまっていた。
サフィールが、ホワイトボードの前に立った。
その横に、俺と七海も並んだ。
「聖覇の十一人は、全員、アズラクを見ている」
サフィールが、マーカーで、ボードの真ん中に大きな丸を描いた。
その丸から、十本の線が、放射状にのびていく。
「アズラクが将。残りの十人は、兵。兵は、将の合図を見てから動く。だから、強い。乱れない。――だが」
サフィールは、マーカーで、線の一本をたたいた。
「合図を見てから動くまでに、ほんのわずかな遅れがある」
「〇・五秒くらい」
七海が、ノートを見ながら言った。
「前半、聖覇がボールを持ってから、大事なパスを出すまで、平均して〇・五秒、ほかのチームより長くかかってる。アズラクを見る時間のぶんだけ」
「それから、聖覇の七人は、おたがいを見てない」
俺が、続けた。
「ヴォルフとシェイドも、ナディムとブランも。七人どうしのパスは、ほとんどない。全部、アズラクか、日本人の選手を通してる。七人は、一人ひとりが強いけど――つながってない」
部屋の空気が、少しだけ動いた。
◇ ◇ ◇
「後半の作戦は、二つ」
サフィールが、ボードの丸のまわりに、星を描きはじめた。
一つ、二つ、三つ……十一個。
「一つ目。〇・五秒の遅れを、撃つ。ボールを奪ったら、アズラクが合図を出す前に、すぐに次へ。ワンタッチ、ツータッチ。――八月の紅白戦で、ミナトたちが七人に勝った、あのやり方だ」
航平が、小さくうなずいた。
あの紅白戦で、ボールを持たずに、ローデリックの死角へ走ったのは、航平だった。
「二つ目」
サフィールは、十一個の星を、一本の線でつなげていった。
連星は、二つで一つだった。
でも、サフィールが描いた線は、二つずつじゃなかった。十一個の星が、全部、どこかでつながっていた。
「わたしたちには、将はいらない」
サフィールは、ボードから振り返った。
「連星は、二つで一つだった。だが、後半は、十一で一つになる。誰かの合図を待たない。全員が、全員に声をかける。見えたものを、見えた者が、すぐに伝える」
ローデリックが、ゆっくりと口を開いた。
「――異なる刃を、束ねよ」
サフィールが、うなずいた。
「星の国の掟だ。……本当に束ねるべきなのは、ちがう刃だ。速い刃も、重い刃も、細い刃も、まだ研ぎかけの刃も。全部を一本に束ねたとき、どんな将の剣よりも、強くなる」
七海が、ボードの上のほうに、マーカーで、そっと書き足した。
『十一の星』
◇ ◇ ◇
「それから、もう一つ」
サフィールは、自分の胸に手を当てた。
「後半、わたしは、アズラクのそばに立つ」
「マークするのか?」
ローデリックがきくと、サフィールは首を横に振った。
「戦場では、将と兵の間に、旗を立てると言う。――将の合図が、兵に見えなくなる場所に」
サフィールは、ボードの大きな丸と、十本の線の間に、小さな星を一つ描いた。
「アズラクの合図を、わたしの体でさえぎる。合図が見えなければ、兵は迷う。迷えば、〇・五秒が、一秒になる」
ローデリックが、にやりと笑った。
「軍師どのも、意地が悪くなったものだ」
「ミナトに習った」
ロッカールームに、ほんの少し、笑い声がもどった。
◇ ◇ ◇
後半が始まった。
サフィールは、本当に、ずっとアズラクのそばにいた。
ボールを追うのでもなく、アズラクの足もとを狙うのでもなく。
ただ、アズラクと、白いユニフォームの選手たちの間に、立ち続けていた。
アズラクが、右手を上げて合図を送ろうとする。
その前に、サフィールが、すっと動く。
ヴォルフが、アズラクの手を探して、一瞬、首をめぐらせた。
その一瞬を、ミロは見のがさなかった。
「いただきっ!」
ミロの足が、ヴォルフの足もとから、ボールをかすめ取った。
自分から倒れることも、倒されることもなく。
ラシードに教わった盗賊の技と、航平に教わった「立ってるやつしか、ボールは盗めない」が、一つになっていた。
「奏太!」
ミロの声。
ボールは、ワンタッチで、奏太へ。
「タリク先輩、右!」
奏太の声。
ボールは、ワンタッチで、タリクへ。
「セリオ!」
タリクの声。
ボールは、右サイドを駆け上がるセリオの前へ。
聖覇の選手たちが、アズラクのほうを見る。
でも、サフィールが、その間に立っている。
合図が、見えない。
白いユニフォームが、一瞬、止まった。
セリオが、顔を上げた。
ゴール前に、ボルグが走りこんでいた。
そのすぐ横に、ゴドーがついている。
九月の練習試合で、ボルグが空中戦で一度も勝てなかった、岩の国の幼なじみ。
「ボルグ!」
ベンチから、俺は叫んでいた。
セリオの右足から、ボールが放たれた。
ボルグとゴドーが、同時に跳んだ。
ボルグは、両手を、背中で組んでいた。
ゴドーは、両手で、ボルグの肩を押さえこもうとした。
手を使わない分だけ、ボルグの体は、まっすぐに空へのびた。
ボルグのひたいが、ボールを、ゴールにたたきこんだ。
1対2。
後半十八分。
潮見ヶ丘のゴール裏が、爆発した。
小日向の弟たちが、横断幕を振り回して、泣きながら叫んでいた。
着地したボルグに、ゴドーが、低い声で何かを言った。
岩の国の言葉だった。
ボルグは、うなずいて、同じ言葉で何かを返した。
二人は、ほんの少し、拳を合わせた。
◇ ◇ ◇
そこから、聖覇は変わった。
鷹司監督が、ベンチの前に出てきて、大声で指示を出し始めた。
アズラクの合図を待たずに、監督が直接、選手を動かす。
聖覇の攻撃が、また速くなった。
シェイドが、左サイドを何度も突破する。
小日向が、何度も、何度も、それを追いかける。
後半二十五分。
ヴォルフのシュートを、鉄平先輩が、横っ飛びで弾き出した。
後半二十八分。
ナディムのミドルシュートが、クロスバーをたたいた。
後半三十分。
シェイドを追いかけていた小日向が、ピッチの上に倒れこんだ。
両足が、つっていた。
七十分。
ゼノの残りを、小日向は、本当に走りきったのだ。
「――ゼノ」
菅野先生が、静かに言った。
ゼノは、もう立ち上がっていた。
足首のテーピングを、ぎゅっと締め直す。
ピッチの外で、ゼノと小日向が、すれちがった。
二人の手のひらが、パチン、と鳴った。
「……あとは、頼んだ」
今度は、小日向が、そう言った。
ゼノは、黙ってうなずいた。
◇ ◇ ◇
ゼノが入って、五分。
ゼノは、ずっと、右サイドに立っていた。
動かない。影のように、ただ、そこにいる。
シェイドだけが、ゼノを見ていた。
同じ影の国の、同期。
シェイドは、ゼノが何を待っているのか、知っていた。
後半三十六分。
サフィールが、中盤でボールを奪った。
「ゼノ!」
その声が、合図だった。
ゼノが、消えた。
シェイドも、消えた。
二つの影が、右サイドを、同時に駆け抜けていく。
速い。どちらも、目で追えないくらいに。
ゼノが、半歩だけ、前に出た。
ペナルティエリアの右から、ゼノが右足を振り抜いた。
ボールは、キーパーの指先をかすめて――。
右のゴールポストに、はじかれた。
カーン、という乾いた音が、スタジアムに響いた。
一万人の悲鳴と、歓声が、同時にあがった。
ゼノは、ゴールの横で、ひざをついていた。
シェイドが、その横に立って、肩で息をしていた。
二人とも、もう、走れなかった。
◇ ◇ ◇
後半四十分。
第四審判が、電光掲示板の横で、ボードを高くかかげた。
アディショナルタイム、三分。
潮見ヶ丘 1-2 聖覇学院
菅野先生が、ゆっくりと、俺のほうを向いた。
国語の先生。
オフサイドのルールを覚えたのは、ほんの数か月前。
その手が、俺の肩に置かれた。
少しも、震えていなかった。
「早瀬」




