26話 完璧な布陣
十一月十五日。決勝の朝。
空は、高く晴れていた。
県立相模臨海スタジアムは、海のすぐそばに建っている。
駐車場に降りると、潮の匂いと、屋台の焼きそばのソースの匂いがまじって、鼻をくすぐった。スタジアムの向こうには、冬の光をはね返す、青い海が広がっていた。
観客席は、一万人をこえる人で埋まっていた。
ゴール裏の片側は、白一色。聖覇学院の応援団だ。太鼓と、そろいのタオルと、地鳴りのような声。
反対側のゴール裏には、潮見ヶ丘の生徒たちが集まっていた。数は、聖覇の半分もない。でも、その中には、クラスのみんながいた。先生たちもいた。商店街の人たちまで、手作りののぼりを持って来てくれていた。
『潮見ヶ丘 最後の十一人』
小日向の弟たちが作った横断幕は、今日はもう、三メートルくらいの長さになっていた。
スタンドの真ん中あたりに、父さんの姿を見つけた。
帽子を深くかぶって、腕を組んでいる。その二つ隣に、制服姿の今井が座っていた。
◇ ◇ ◇
ピッチに、両チームの二十二人が並んだ。
潮見ヶ丘は、赤。
聖覇は、白。
聖覇の先発には、七人全員がいた。
ボランチに、アズラク。
フォワードに、ヴォルフ。左のウイングに、シェイド。中盤に、ナディムとブラン。ディフェンスに、ゴドーとラシード。
それに、聖覇の日本人の選手が四人。
ベンチの前で、鷹司監督が、腕を組んで立っていた。
白髪まじりの頭。まっすぐな背すじ。その目が、一瞬だけ、スタンドの父さんのほうを見た気がした。
俺は、ベンチに座っていた。
隣には、七海。
そのさらに隣には、ゼノと、菅野先生。
「緊張してる?」
七海が、一回戦のときと同じことをきいた。
「……してる」
俺は、正直に答えた。
「でも、今日は、見るのが仕事だから」
七海は、ノートを開いて、ペンを握りしめた。
ほんの一瞬だけ、その目が、ピッチのまんなかに立つサフィールの背中を追った。
俺は、見なかったことにした。
キックオフの笛が、冬の空に、高く鳴りひびいた。
◇ ◇ ◇
聖覇は、強かった。
九月の練習試合のときより、さらに強くなっていた。
最初の十分で、それがわかった。
シェイドが、左サイドを駆け上がる。
小日向が、必死についていく。でも、シェイドの速さは、小日向の倍だった。
シェイドは、小日向をあっさり置き去りにして、ゴール前へクロスを上げた。
ヴォルフが、跳んだ。
ローデリックも、跳んだ。
ヴォルフの頭と、ローデリックの頭。わずかに、ヴォルフのほうが高かった。
ボールが、鉄平先輩の右を抜けて、ゴールに吸いこまれた。
0対1。
前半十二分のことだった。
白いゴール裏が、爆発するような歓声を上げた。
潮見ヶ丘のゴール裏は、しんと静まり返った。
◇ ◇ ◇
俺は、ずっと聖覇を見ていた。
鷹司監督の指示。
アズラクの動き。
ボールを持った白いユニフォームの選手が、どこを見て、どう動くか。
七海のペンが、ノートの上を走り続けている。
前半二十五分。
ナディムが、ペナルティエリアのすぐ外で、フリーキックを得た。
ボールの前に、ナディムが立つ。
セリオが、壁の中に入っていた。兄の顔を、まっすぐに見ている。
ナディムは、助走もなしに、右足を振った。
九月の練習試合と、同じだった。
ボールは、壁の上を越えて、すとんと落ちる。ゴールの、左上のすみ。
鉄平先輩が、跳んだ。
指先が、ボールにふれた。
コースが、ほんの少し変わった。
――でも、ボールは、ポストの内側に当たって、ゴールの中に転がりこんだ。
0対2。
鉄平先輩は、ゴールの中で、ひざをついていた。
こぶしで、芝をたたいた。
九月には、指先すらふれられなかったボールだった。
それなのに、届かなかった。
◇ ◇ ◇
前半の終わりが近づいても、俺は、まだ聖覇を見続けていた。
何かが、ひっかかっていた。
聖覇の選手が、ボールを持つ。
その瞬間、ほんの一瞬だけ、その選手の目が、同じ方向を見る。
アズラクのほうを。
ヴォルフも、ナディムも、シェイドも。
聖覇の日本人の選手たちも。
みんな、大事なプレーの前に、必ず一度、アズラクを見ていた。
アズラクが、手で合図を送る。
それを見てから、選手たちが動き出す。
ほんの一瞬。
〇・五秒くらいの、ほんのわずかな間。
「……七海」
俺は、ノートをのぞきこんだ。
「聖覇の七人って、おたがいにパス、出してる?」
七海は、ノートのページをめくって、目を見開いた。
「――出してない」
七海の指が、ノートの数字をなぞる。
「ヴォルフからシェイドへのパス、ゼロ。ナディムからヴォルフへも、ゼロ。七人どうしのパスは、ほとんど全部、アズラクを通ってる。そうじゃなければ、日本人の選手を通ってる」
俺は、ピッチを見た。
聖覇の七人は、一人ひとりが、とんでもなく強い。
でも、その七人は、おたがいを見ていなかった。
見ているのは、アズラクだけだった。
極める道。
一人ひとりが最も強く、その強い一人ひとりを、一人の将が完璧な命令で動かす。
――それは、九月の、聖覇との練習試合のときの、俺と同じだった。
命令するだけのキャプテン。
仲間の声を聞かずに、叫ぶだけのキャプテン。
アズラクは、強い。俺なんかより、ずっと強い。
だから、命令だけで、ここまで勝ってきた。
でも、命令には、必ず、ほんの少しの「遅れ」がある。
◇ ◇ ◇
前半終了の笛が鳴った。
0対2。
スタンドから、ため息のような声がもれた。
聖覇のゴール裏は、もう優勝したかのように、タオルを回していた。
ピッチから戻ってくる十一人の顔は、汗と、くやしさで、ゆがんでいた。
その中で、一人だけ、表情を変えずに戻ってくる選手がいた。
サフィールだった。
前半の四十分間、サフィールは、ほとんど声を出さなかった。
ただ、黙って、ピッチの上から聖覇を読み続けていた。
サフィールは、ベンチの前で、俺と七海の顔を見た。
俺たち三人は、同時に、口を開いた。
「アズラクだ」
三つの声が、ぴたりと重なった。
サフィールが、ほんの少し、笑った。
「――読みが、そろったな」
ハーフタイムは、十分しかない。
でも、俺たちには、もう、反撃の地図が見えはじめていた。




