25話 決勝前夜
決勝まで、あと六日。
答えは、なかなか出なかった。
練習には、全員が来ていた。
誰も手を抜かなかった。ボールを追う足も、声も、準決勝の前と変わらなかった。
でも、どこかがちがった。
シュートを打つ瞬間。
ボールを奪いに行く瞬間。
ほんの一瞬だけ、みんなの体に、見えないブレーキがかかっていた。
セリオのフリーキックは、三本続けて的を外した。
ローデリックは、守備の練習の途中で、何度もぼんやりと遠くを見ていた。
「……あいつら、勝ちたくないのかな」
練習のあと、吉野が、ボールを片づけながら小声で言った。
「ちがうよ」
七海が、首を横に振った。
「勝ちたいんだよ。勝ちたいから、苦しいんだと思う」
◇ ◇ ◇
決勝まで、あと三日。
その日の夕方、俺は、ひとりで堤防に座っていた。
十一月の海は、夏とはまるでちがう色をしていた。
深い、群青色。沖のほうで、白い波がしらが、ときどき立っては消えていく。冷たい潮風が、ジャージのすきまから入りこんで、思わず肩をすくめた。
水平線の近くに、漁船の明かりが、ぽつぽつと灯りはじめていた。
ポケットの中で、スマホがふるえた。
今井からだった。航平を通して、いつの間にか連絡先を交換していた。
『決勝、見に行く。どっちを応援するか、まだ決めてない笑』
それから、もう一通。
『アズラク、最近、夜中にひとりで走ってる。寮の窓から見える。あいつも、何かと戦ってるみたいだ』
俺は、スマホを閉じて、海を見つめた。
勝てば、聖覇の六人が、前線に立つ。
負ければ、潮見ヶ丘の七人が、前線に立つ。
どちらかが勝てば、どちらかが行く。
――本当に、そうなのか?
ふと、思った。
六月の雨の日。
試合が終わったあと、湘陽のキャプテンは、俺たちに「ありがとうございました」と頭を下げた。
サッカーには、試合が終わったら、敵も味方もない。
勝ったチームも、負けたチームも、同じように頭を下げる。それが、礼儀だと教わってきた。
ラグビーでは、試合終了のことを「ノーサイド」と呼ぶらしい。
敵の陣地も、味方の陣地もなくなる、という意味だ。
だったら。
試合が終わったあと、十四人は、もう敵じゃない。
同じ七つの国から来た、十四人の仲間だ。
俺は、立ち上がった。
◇ ◇ ◇
その夜、部室に、全員を集めた。
ストーブの上のやかんが、しゅんしゅんと鳴っていた。
窓の外は、もう真っ暗だった。遠くから、夜の波の音が、かすかに聞こえてくる。
「俺の答えを、言ってもいいか」
みんなが、俺を見た。
「全力で、勝つ」
部室が、しんとなった。
「手加減なんかしたら、聖覇の七人にも、今まで戦ってきた全部の相手にも、失礼だ。だから、全力で勝ちに行く」
ローデリックが、何か言いかけた。
俺は、続けた。
「でも、試合が終わったら――ノーサイドだ」
「……のーさいど?」
ボルグが、首をかしげた。
「試合が終わったら、敵も味方もなくなる、ってこと。勝っても負けても、そのあとは、十四人で一つだ」
俺は、サフィールを見た。
「負けた道の七人を、前線に送るって言うなら、勝った道の七人も、いっしょに塔へ行けばいい。十四人で、そんなのはおかしいって言えばいい」
サフィールの目が、大きく見開かれた。
「勝ったほうが、負けたほうを一人にしない。……それが、束ねる道なんじゃないのか」
長い沈黙が落ちた。
やかんが、しゅん、と鳴った。
最初に口を開いたのは、ミロだった。
「――勝者を、二人つくれ」
ミロは、にやっと笑った。
「勝った七人と、負けた七人。両方が勝者になる取引。……それ、砂の国の掟だよ、ミナト」
ローデリックが、ゆっくりと立ち上がった。
「……異なる刃を、束ねよ」
ローデリックは、サフィールを見た。
「星の国の掟だったな、サフィール。おまえの国の掟は、敵の刃まで束ねろとは言っていないのか」
サフィールは、しばらく黙っていた。
震える声で言った。
「……言っている。師は、いつもそう言っていた。――本当に束ねるべきなのは、味方の刃ではなく、敵だった者の刃だ、と」
サフィールの目から、ひとすじ、涙がこぼれた。
「アズラクも、同じ師に教わった。……あの男も、この言葉を知っているはずだ」
◇ ◇ ◇
次の日の朝早く、サフィールは、一人で丘の上の聖覇学院へ向かった。
アズラクに、会いに行ったのだ。
何を話したのか、サフィールは、くわしくは教えてくれなかった。
ただ、戻ってきたとき、こう言った。
「アズラクは、『甘い』と言った」
サフィールは、少しだけ笑った。
「だが、一度も、『ちがう』とは言わなかった」
◇ ◇ ◇
決勝の前の日。最後の練習のあと。
菅野先生が、決勝のスタメンを発表した。
キーパー、大城鉄平くん。
ディフェンス、ローデリックくん、宮内大吾くん、ボルグくん、ミロくん。
ミッドフィールダー、サフィールくん、タリクくん、白石奏太くん、セリオくん。
フォワード、戸田航平くん、小日向勇気くん。
ゼノの名前と、俺の名前は、なかった。
でも、それは、俺たちが自分で決めたことだった。
「ゼノは、後半の終わりに、一撃のために入る。最初の七十分は、小日向が走りきる」
俺は、みんなに言った。
「それから、俺は、ベンチから聖覇を読む。鷹司監督の指示も、アズラクの動きも、全部。七海といっしょに」
サフィールが、うなずいた。
「――最後の一手は、ミナトが打つ」
それは、ゼノが準決勝で使った、影の国の掟と同じだった。
最も重い一手を、最後のために取っておく。
ゼノが、壁にもたれたまま、ちらりと俺を見た。
ほんの少し、口のはしが上がった気がした。
◇ ◇ ◇
その夜、家に帰ると、リビングの明かりがついていた。
父さんが、テーブルで新聞を読んでいた。
あの夜――「父さんだって、ひざこわしてやめたんだろ」と叫んだ夜から、俺たちは、ほとんど口をきいていなかった。
「……ただいま」
父さんは、新聞から顔を上げなかった。
俺が階段をのぼりかけたとき、うしろから、声がした。
「明日」
俺は、足を止めた。
父さんは、新聞を見つめたまま、言った。
「――見に行く」
それだけだった。
でも、その声は、壁の写真の中の高校生の声みたいに、少しだけ、ふるえていた。
俺は、「うん」とだけ答えて、階段をのぼった。
部屋の窓を開けると、冷たい夜風といっしょに、波の音が流れこんできた。
空には、月がひとつ。
明日は、きっと晴れる。




