24話 決勝への切符
延長戦は、前半十分、後半十分。
その前の、短い休憩の時間。
ベンチの前で、十一人と、ベンチの全員が、輪になった。
誰の顔にも、疲れがにじんでいた。
ローデリックのふくらはぎには、テーピングが巻き直されている。セリオの白い顔は、さらに白くなっていた。航平の太ももは、ときどき、ぴくぴくと震えていた。
七海が、ノートを広げた。
サフィールが、それをのぞきこむ。
「湘陽も、疲れている」
サフィールが言った。
「だが、向こうのほうが、交代できる選手が多い。延長の後半になれば、走れる者の数で負ける。――決めるなら、延長の前半か、後半の早いうちだ」
みんなが、うなずいた。
「ミナト」
サフィールが、俺を見た。
「味方で、まだ一番力が残っているのは、誰だ」
俺は、輪の中の一人ひとりの顔を見た。
息づかい。肩の上がり方。ひざの震え。目の色。
ベンチから見ていた一回戦。
雨の中で走った三回戦。
この一か月、ずっと、みんなの体を見続けてきた。
「……ボルグだ」
みんなが、ボルグを見た。
「ボルグは、今日、ほとんど走ってない。空中戦だけに集中してたから。それに、毎朝、体を研いでる。たぶん、この中で一番、刃が残ってる」
ボルグは、両手を背中で組んだまま、ゆっくりとうなずいた。
「セリオ。コーナーキックか、フリーキック。チャンスが来たら、的は、ボルグだ」
セリオが、こくりとうなずいた。
「でも、ボルグ、空中戦は、聖覇のゴドーにも、さっきの湘陽のフォワードにも――」
小日向が、心配そうに言いかけた。
ボルグが、それをさえぎった。
「負けた」
ボルグは、まっすぐに言った。
「聖覇では、ゴドーに全部負けた。さっきも、届かなかった。……だから、毎朝、研いできた」
ボルグは、背中で組んでいた両手を、ゆっくりとほどいた。
もう一度、組み直した。
「今日の刃は、まだ折れていない」
◇ ◇ ◇
延長前半は、0対0のまま終わった。
両チームとも、足が止まりかけていた。
ボールを追いかける足音が、だんだんと重くなっていく。スタンドの声援も、祈るような声に変わっていた。
延長後半三分。
右サイドで、航平が、相手のディフェンスに倒された。
ペナルティエリアの、少し外。
フリーキック。
スタジアムが、静まり返った。
ボールの前に、セリオが立った。
ゴール前に、潮見ヶ丘の選手たちが集まる。
湘陽のディフェンスは、ローデリックに二人、航平に一人、ついた。
ボルグには、一人。
湘陽は、ボルグの空中戦を、もう恐れていなかった。
後半の失点の場面で、ボルグが競り負けるのを見ていたからだ。
セリオが、俺を見た。
俺は、うなずいた。
――的は、ボルグだ。
セリオの目が、すっと細くなる。
背中が、まっすぐに伸びる。
あの日、体力テストで的に十本当てたときと同じ顔。
あの日、緑ヶ浜で、初めてゴールを決めたときと同じ顔。
それから――あの夜、兄のナディムに「臆病者」と言われて、何も言い返せなかった顔とは、まるでちがう顔。
笛が鳴った。
セリオの右足から、ボールが放たれた。
ボールは、ゴール前の人の群れの上を、ゆっくりと越えていった。
まるで、夕焼けの空に放たれた矢のように。
ボルグが、跳んだ。
両手を、背中で組んだまま。
湘陽のディフェンスも、跳んだ。
ボルグの肩に、体をぶつけてくる。
ボルグは、びくともしなかった。
岩の国の重装戦士の体は、毎朝研がれてきた刃のように、まっすぐに空へのびていった。
ボルグのひたいが、ボールをとらえた。
ドン、という重い音が、スタジアムに響いた。
ボールは、キーパーの手の届かないゴールの左すみへ、たたきつけられるように飛びこんだ。
2対1。
◇ ◇ ◇
ボルグは、着地すると、ゴール前で、両手を空に突き上げた。
背中で組み続けていた、その両手を。
「――ウオオオオオオオッ!」
ボルグの雄たけびが、スタジアムじゅうに響きわたった。
こんな大きな声を出すボルグを、俺は初めて見た。
全員が、ボルグに飛びついた。
ローデリックが、ボルグの首にしがみついた。小日向が、ボルグの背中によじのぼった。セリオは、ボルグの大きな手を両手でにぎって、泣いていた。
ベンチでは、大吾が立ち上がって、タオルを振り回していた。
残りの七分間は、全員で守った。
最後の笛が鳴ったとき、スタンドの潮見ヶ丘の生徒たちが、いっせいに立ち上がった。
潮見ヶ丘高校、決勝進出。
六月に、0対6で負けた相手に、勝った。
俺は、ピッチの上に、あおむけに倒れた。
夕焼けの空が、高かった。
冷たい風が、ほてった顔を、やさしくなでていった。
◇ ◇ ◇
同じ日の、もう一つの準決勝。
聖覇学院は、6対0で勝った。
スタジアムの電光掲示板に、決勝のカードが映し出された。
『決勝 潮見ヶ丘 対 聖覇学院 十一月十五日』
スタンドが、どよめいた。
県内最強と、四年ぶりに公式戦で勝ったばかりのチーム。
誰も、こんな決勝を予想していなかった。
ロッカールームに戻る通路で、俺は、白いジャージの背中を見つけた。
アズラクだった。
通路の壁にもたれて、腕を組んでいた。
俺たちを、待っていたのだ。
アズラクは、俺の顔を見て、それから、俺のうしろにいるサフィールを見た。
「来たな」
その声には、驚きも、喜びもなかった。
「抽選会のとき、おまえたちはここまで来られないと言った。――わたしのまちがいだった。認めよう」
アズラクは、壁から背中をはなした。
「だから、一つだけ、きいておく」
通路の蛍光灯が、ちかちかと、またたいた。
「おまえたちが勝てば、わたしの六人は、故郷に戻され、前線に立つ」
アズラクの青い目が、まっすぐに、俺たちを見た。
「ヴォルフも、ナディムも、シェイドも、ブランも、ゴドーも、ラシードも。――おまえたちの仲間と同じ国から来た、おまえたちの仲間の、兄弟や友や、師だ」
セリオの肩が、びくりと震えた。
ローデリックの顔が、こわばった。
ゼノが、壁のかげで目を閉じた。
「それでも、おまえたちは勝つのか」
誰も、答えられなかった。
アズラクは、それ以上何も言わずに、白いジャージをひるがえして、通路の向こうへ消えていった。
◇ ◇ ◇
その夜。
部室には、十六人全員と、七海と、菅野先生がいた。
誰も、帰ろうとしなかった。
でも、誰も、口を開かなかった。
窓の外は、もう真っ暗だった。
ストーブの上のやかんが、しゅんしゅんと小さな音を立てている。窓ガラスが、白く曇っていた。
「……じゃあ、負けろってのかよ」
最初に口を開いたのは、航平だった。
「勝ったら、あいつらの仲間が戦場行き。負けたら、こっちの七人が戦場行き。どっちにしたって、誰かが行くんだろ」
誰も、答えなかった。
「わたしたちは、負けてもいい」
ローデリックが、静かに言った。
「ヴォルフは、わたしの部下だった。あの者を戦場に戻すくらいなら――」
「団長」
サフィールが、さえぎった。
「それは、ちがう」
でも、サフィールも、それ以上、言葉を続けられなかった。
セリオが、両手で顔をおおっていた。
兄のナディムの顔を、思い出しているのかもしれなかった。
俺は、窓の外を見た。
曇ったガラスの向こうに、月がひとつ、にじんで見えた。
勝ちたい。
勝ちたいのに、勝つのがこわい。
半年前、0対6で負けたとき、俺は、勝つことだけを夢見ていた。
勝てば、全部が解決すると思っていた。
でも、今はちがう。
勝つことにも、負けることにも、誰かの未来がかかっている。
「……答えは、まだない」
サフィールが、ぽつりと言った。
「だが、一週間ある。決勝まで」
部室のストーブが、ぱちん、と小さな音を立てた。
決勝まで、あと七日。
俺たちは、勝つ理由と、勝ちたくない理由を、同時に抱えることになった。
勝つことも、負けることも、あなたの大切な一歩になりますように。
第4章「県大会への挑戦」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
決勝への切符を手にした潮見ヶ丘。けれど、勝つ理由と勝ちたくない理由を、同時に抱えることになりました。
いよいよ最終章です。★評価やブックマークで、決勝のスタンドから応援していただけるとうれしいです。




