22話 日本人の逆襲
十月二十五日。準々決勝。
この日、俺は、スタメンに戻った。
キャプテンマークを左腕に巻くとき、指が少しだけふるえた。
九月のあの日から、この腕章は、ずっと飾りだった。
「似合ってるよ」
七海が、ベンチから小さく言った。
競技場のまわりのイチョウ並木が、すっかり黄色く色づいていた。風が吹くたびに、葉っぱがひらひらと舞い落ちて、どこか銀杏の、つんとしたにおいがした。
相手は、私立白嶺学園。
「白い壁」と呼ばれているチームだった。
◇ ◇ ◇
白嶺の守りは、異常だった。
ゴール前に、五人のディフェンスが横一列に並ぶ。その前に、四人の中盤が、もう一列。
攻めてくるのは、フォワードの一人だけ。
残りの九人が、全員で、ゴールを守る。
「……城だ」
試合が始まって十分、ローデリックがうなった。
「門を閉ざし、城壁に兵を並べ、ひたすら籠城している」
その城壁を、七人は崩せなかった。
ゼノがドリブルで仕かけても、一人を抜いたところに、もう二人が待っている。
セリオのフリーキックは、壁の高さに、何度もはね返された。
ボルグとローデリックがゴール前に上がっても、白嶺の選手たちが、体ごとぶつかってくる。
個人の力が、まったく通じない。
前半が終わって、0対0。
シュートの数は、潮見ヶ丘が十二本、白嶺が一本。
それでも、点は入らなかった。
◇ ◇ ◇
ハーフタイム。
ベンチの前で、サフィールが、七海のノートをめくりながら言った。
「城を攻めるとき、正面の門をたたき続けるのは、最も愚かな戦術だ」
「じゃあ、どうするんだよ」
航平が、いらだった声できいた。
サフィールは、俺を見た。
奏太を見た。
「――小さな門を、探す」
サフィールは、ノートの図を指さした。
「白嶺の壁は、大きな者の突破には強い。だが、細い糸のようなパスには、ほんの一瞬、すきまが生まれる。ディフェンスとディフェンスの間。人一人ぶんもない、小さな門だ」
「その門を通せるのは」
俺は、奏太を見た。
部で一番技術があって、部で一番体が小さい、一年生。
奏太は、ベンチの前で、自分のスパイクを見つめていた。
顔を上げた。
「……やります」
その声は、小さかったけれど、ふるえていなかった。
◇ ◇ ◇
後半。
奏太は、ピッチのまんなかで、何度もボールを受けた。
白嶺の選手たちは、奏太をあまり警戒していなかった。
七人のほうが、ずっと危険に見えたからだ。
奏太は、ボールを持つと、すぐには蹴らなかった。
相手の壁を、じっと見ている。
一人目と二人目のディフェンスの間。
二人目と三人目の間。
タリクが、そのすぐ横で、つぶやくように言った。
「……風を読むのと、同じだね」
タリクも、同じものを見ていた。
「カナタ。三人目と四人目の間。四人目の足が、少し重くなってる」
奏太が、小さくうなずいた。
後半十五分。
航平が、ディフェンスラインと横並びに立った。
ゼノの代わりに入った小日向も、反対側で並ぶ。
奏太が、顔を上げた。
三人目と四人目のディフェンスの、ちょうど間。
ほんの一瞬、人一人ぶんもない、小さな門が開いた。
奏太の右足が、ボールの下を、そっとなでた。
グラウンダーのパスが、芝の上をすべっていく。
二人のディフェンスの足の間を、まるで針の穴に糸を通すように、すり抜けた。
その先に、航平が走りこんでいた。
航平は、ボールを一度だけ足もとに置いて、キーパーの動きを見た。
右足で、流しこんだ。
1対0。
航平は、ゴールのうしろで、奏太のほうを振り返った。
奏太は、信じられないという顔で、自分の右足を見つめていた。
「カナタ!」
航平が叫んだ。
「今の、もう一回だ!」
◇ ◇ ◇
でも、白嶺も、ただの城ではなかった。
後半三十分。
ずっと守り続けていた白嶺が、たった一度のカウンターで、ゴールを奪った。
一人だけ前線に残っていたフォワードに、ロングボールが一本。
ボルグが競りに行ったけれど、相手は、ボルグと競らずに、一歩横に逃げた。
そのまま、ボールをゴールに流しこむ。
1対1。
白嶺の選手たちが、ゴール前で抱き合う。
スタンドの白嶺の応援団から、地鳴りのような歓声が上がった。
残り十分。
延長になれば、走力で白嶺に分がある。
こっちの七人の足は、三回戦の雨の疲れが、まだ残っていた。
「……もう一度、小さな門を」
サフィールが、俺の横で、低く言った。
でも、白嶺は、もう奏太のことを知っていた。
奏太がボールを持つと、すぐに二人が寄ってくる。
小さな門は、もう開かなかった。
◇ ◇ ◇
後半三十八分。
ペナルティエリアの外、二十五メートルくらいの場所で、タリクがボールを持った。
前にも、横にも、パスコースはない。
白嶺の壁が、全部ふさいでいる。
タリクは、いつものように、パスの道を探していた。
見つからない。
ためらう。
タリクは、この半年間、一度もシュートを打ったことがなかった。
「狩人は、仲間の獲物を横取りしない」
前に、タリクがそう言っていたのを、俺は覚えていた。
森の国の狩人は、群れで狩りをする。一人が手柄を立てるより、群れ全体が生きのびることを大切にする。
だから、タリクは、いつも仲間にボールを預けてきた。
その一瞬のためらいを、誰かの声が切り裂いた。
「タリク先輩、撃って!」
奏太だった。
一年生の奏太が、二年生のタリクに向かって、まっすぐに叫んでいた。
「今、先輩が一番いい場所にいます! 撃ってください!」
タリクの目が、大きく見開かれた。
それから――ふっと、笑った。
タリクの右足が、振り抜かれた。
ボールは、白嶺の壁の上を、低く速く飛んでいった。
壁の一番はしの選手の肩をかすめて、キーパーの伸ばした手の先を越えて――。
ゴールの右上に、突き刺さった。
2対1。
◇ ◇ ◇
最後の笛が鳴ったとき、タリクは、ピッチの上で、ぼんやりと空を見上げていた。
「……撃ってしまった」
そう言って、タリクは、自分の右足を見下ろした。
奏太が、タリクのところへ走っていった。
「すみません、先輩に、命令みたいなこと言って……」
タリクは、首を横に振った。
「狩人は、群れのために撃つ」
タリクは、奏太の頭に、そっと手を置いた。
「群れの仲間が『撃て』と言うなら、それは、群れのための矢だ。……ありがとう、カナタ。今の声は、森の風みたいに、まっすぐ届いた」
奏太は、顔を真っ赤にして、うつむいた。
でも、その口もとは、うれしそうに笑っていた。
潮見ヶ丘、ベスト4進出。
競技場の電光掲示板に、準決勝の対戦相手の名前が、映し出された。
私立湘陽学園。
六月の雨の日、俺たちに六点を入れた、あのチームだった。




