21話 予想外の弱点
十月十八日。三回戦。
朝から、冷たい雨が降っていた。
六月の初戦の雨とはちがう。肌をさすような、秋の終わりの雨だった。
競技場の芝は水をたっぷりふくんで、歩くたびに、スパイクの下で、じゅっと音がした。
相手は、県立北鎌台高校。
去年のベスト16。走力で押してくる、粘り強いチームだった。
その日のベンチには、大吾がいた。
二週間の休養が、ちょうど終わったところだった。
ひざのサポーターは、もう巻いていない。
「どうだ、ひざ」
俺がきくと、大吾は、軽くその場でジャンプしてみせた。
「痛くない。……ぜんぜん、痛くないんだ」
大吾は、自分でも信じられないという顔をしていた。
「二週間、何もしないで休むの、すげえこわかった。もう、みんなに追いつけないんじゃないかって。でも、ボルグが毎日、ストレッチのやり方を教えに来てくれて……」
ボルグは、ベンチのはしで、黙ってバナナを食べていた。
大吾の話が聞こえたのか、ほんの少し、鼻をふくらませた。
そして俺も、今日は、ベンチにいた。
でも、一回戦とはちがう。
菅野先生から、こう言われていた。
「後半から、行くよ。早瀬くん」
◇ ◇ ◇
前半は、悪いことが重なった。
三週連続の公式戦。
七人の体は、少しずつ、悲鳴を上げはじめていた。
最初は、ゼノだった。
雨でぬれたピッチで切り返した瞬間、足首をひねった。二十分どころか、十二分で交代になった。
次は、ボルグ。
相手のロングボールを競りに行って、ぬかるみに足を取られた。泥だらけになって転んだボルグの横を、相手のフォワードが走り抜ける。鉄平先輩の好セーブで、なんとか失点はまぬがれた。
ローデリックは、前半の終わりに、ふくらはぎをつった。
芝の上にうずくまって、歯を食いしばっている。
「団長!」
七海が、スプレーを持って飛び出していった。
雨が、ますます強くなった。
ベンチの屋根を、ばらばらと大粒の雨がたたく。ピッチの白線が、泥ににじんで見えなくなりかけていた。
「……異世界の人も、こわれるんだね」
七海が、ベンチに戻ってきて、ぽつりと言った。
「あたりまえだよ」
俺は、ピッチを見つめたまま答えた。
「あいつら、魔法なんか使えない。ただ、人より鍛えてるだけだ。三週連続で、雨の中を走ったら、誰だって足が止まる」
0対0で、前半が終わった。
◇ ◇ ◇
ハーフタイム。
テントの下に、泥だらけの十一人が戻ってきた。
雨にぬれた体から、湯気が立ちのぼっている。
サフィールが、七海とノートを合わせる。
二人が俺を見た。
「ミナト。後半から、来てくれ」
サフィールが言った。
「わたしは、相手を読める。だが、味方の疲れは、外から見ていたおまえのほうが、正確に読める」
俺は、うなずいた。
ベンチから見ていて、わかったことがあった。
「ローデリック、もう全力で走れない。でも、声は出せる。うしろに下がって、ラインの指示だけに集中してもらう。前に出るのは、大吾」
大吾が、目を見開いた。
「大吾、いけるか」
「……いける」
「ボルグは、空中戦だけ。走らなくていい。ボールが浮いたら、全部ボルグ。地面のボールは、西村と大吾が拾う」
ボルグが、静かにうなずいた。
「セリオ。今日のピッチは、ボールが止まる。グラウンダーのパスは届かない。浮かせたボールなら、ぬれても関係ない。セリオの的当ての出番だ」
セリオが、ぎゅっとこぶしをにぎった。
サフィールが、最後に言った。
「相手も、疲れている。左の七番と九番は、もう前半ほど戻れない。――雨は、どちらの陣にも降っている」
◇ ◇ ◇
後半。
俺は、サフィールと並んで、中盤に立った。
雨が、顔をたたく。
冷たい。指先が、少ししびれている。
でも、ピッチの上から見る景色は、ベンチから見る景色とは、まるでちがった。
みんなの息づかいが聞こえる。
みんなの顔が、すぐそこにある。
「ローデリック、もう少し下がって! 大吾、前に出ていい!」
「ボルグ、それ全部ボルグ!」
「奏太、セリオ見て!」
俺の声と、サフィールの声が、ピッチの上で交差した。
「右、しぼって! 七番、もう戻れない!」
「左、上げて!」
サフィールは、相手を読む。
俺は、味方を読む。
二人の声が重なって、チームが一つの方向に動いていく。
ボルグが、相手のロングボールを、ことごとく頭ではね返した。
大吾が、九十分走り続けられる足で、こぼれたボールを拾い続けた。
ローデリックは、うしろから、声だけでラインを動かし続けた。
「上げ!」
「上げぇっ!」
合言葉が、雨の中で、何度も響いた。
◇ ◇ ◇
後半三十一分。
左サイドで、コーナーキックを得た。
ボールの前に立ったのは、セリオだった。
雨で重くなったボールを、ていねいにセットする。
ゴール前に、潮見ヶ丘の選手たちが集まる。
ボルグ。ローデリック。航平。それに、大吾。
相手のディフェンスは、ボルグとローデリックに、二人ずつついた。
背の高い二人を、徹底的に警戒している。
セリオが、俺を見た。
――的は、どこですか。
その目が、そう言っていた。
俺は、ゴール前を見た。
ボルグとローデリックに、四人がついている。航平にも、一人。
そして、ノーマークの選手が、一人だけいた。
二週間、ボールを蹴らずに休んでいた選手。
誰も、警戒していなかった選手。
「大吾!」
俺は、叫んだ。
セリオの目が、すっと細くなった。
セリオの左足から、ボールが放たれた。
雨を切り裂くように、ボールは弧を描いた。
ボルグの頭の上を越え、ローデリックの頭の上も越えて――。
ファーサイドに走りこんだ大吾の、ひたいに、まっすぐ落ちた。
大吾は、目をつぶっていなかった。
ボールを最後まで見て、首を振った。
ボールが、キーパーの指先の先を抜けて、ネットに吸いこまれた。
1対0。
大吾は、ゴールの前で、両手を空に突き上げた。
雨が、その顔に降りそそいでいた。泣いているのか、雨なのか、わからなかった。
ボルグが、のしのしと大吾に近づいて、その頭を、大きな手でがしっとつかんだ。
「休んだ刃は、よく切れる」
ボルグは、それだけ言った。
◇ ◇ ◇
試合は、1対0のまま終わった。
潮見ヶ丘、ベスト8進出。
帰りのバスの中は、泥と汗と雨のにおいでいっぱいだった。
窓ガラスが白く曇って、外の景色は何も見えなかった。
ゼノは、足首に氷を当てながら、窓にもたれて眠っていた。
ローデリックは、七海からもらったテーピングを、ふくらはぎに何重にも巻いていた。
「……ミナト」
隣の席のサフィールが、小さな声で言った。
「今日、わかった。わたしとおまえは、同じものを見ていない」
「……え」
「わたしは敵を読み、おまえは仲間を読む。だから、二人で一つの戦場が見える」
サフィールは、曇った窓ガラスに、指で小さな星を二つ描いた。
「――わたしたちも、連星だな」
俺は、少し照れくさくなって、窓の外を見るふりをした。
でも、外は真っ白で、何も見えなかった。




