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異世界から来た七人は、まだボールを知らない――潮見ヶ丘高校サッカー部、最後の十一人  作者: Hamin
第1章 七人の転校生

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2/15

1話 雨の初戦

六月の雨は、ボールを重くする。


それを知ったのは、高校に入ってからだった。

中学のころは、雨の日の試合がむしろ楽しかった。水たまりでボールが止まるたびに笑って、泥だらけのユニフォームを見せ合って……。


でも今は、笑えない。

雨粒が、ユニフォームのえりもとから背中へ流れこむ。芝の匂いと、泥の匂い。口の中には、さっき転んだときの砂の、じゃりっとした感触が残っていた。


「早瀬! 前、前!」


ベンチから、菅野《すがの》先生の声が飛んでくる。

言われなくても、わかっている。


前を向いた瞬間、目の前に紺色のユニフォームが二人、壁のように立ちはだかった。


私立湘陽学園(しょうようがくえん)。インターハイ予選、一回戦。


俺――早瀬湊《はやせみなと》は、ボールを足もとに置いたまま、パスコースを探した。


右には、二年の航平《こうへい》。でも、マークが二人ついている。

左には、一年の奏太《かなた》。フリーだ。

奏太は手を上げかけて――すぐに下ろした。三年の先輩が「よこせ!」と叫んでいるのが聞こえたからだ。


(奏太、呼べよ。今、おまえが一番いい位置にいるんだ)


迷った一瞬で、ボールは奪われた。


紺色の背中が、雨のしぶきを上げて遠ざかっていく。追いかけても、追いつけない。


「止めろぉっ!」


最後尾で、大吾《だいご》が体ごと飛びこんだ。スライディング。

ボールは外へ――出なかった。濡れた芝の上をつるりとすべり、相手のフォワードの足もとへ転がっていく。


シュート。


ゴールキーパーの鉄平《てっぺい》先輩が、横っ飛びで右手を伸ばす。

指先がかすめた。

でも、ボールはネットを揺らした。


主審の笛が鳴る。


電光掲示板なんてない、市営グラウンドの古い得点板。係の一年生が、ずぶ濡れの手で数字の板をめくった。


湘陽学園 6 潮見ヶ丘 0


後半三十二分のことだった。


◇ ◇ ◇


試合終了の笛は、思ったよりも小さな音だった。


整列して、礼をする。

湘陽のキャプテンが「ありがとうございました」と頭を下げ、そのまま仲間のところへ駆けていく。笑い声が聞こえた。二回戦に向けた、明るい声だった。


俺たちのほうは、誰も何も言わなかった。


雨は、さっきより強くなっていた。ユニフォームが肌にはりつき、重たくて冷たい。スパイクの中で、靴下がぐちゅっと音を立てた。


「……おつかれ」


最初に口を開いたのは、三年の先輩だった。


「まあ、こんなもんだよな。湘陽、去年ベスト16だし」

「だよな。くじ運が悪かった」

「俺ら、これで引退な。受験あるし」


先輩たちは、まるで天気の話でもするみたいに言った。

誰も泣いていなかった。泣くほど、本気じゃなかったのかもしれない。


三年生は七人いた。そのうち六人が、この日で部を去ることになった。


残ったのは、一人だけ。

ゴールキーパーの、大城《おおしろ》鉄平先輩。


先輩はゴールポストにもたれたまま、自分の右手をじっと見ていた。最後の失点で、指先がボールをかすめた右手だ。


「先輩は……続けるんですよね」


俺がたずねると、鉄平先輩は少しだけ顔を上げた。


「……さあな」


それだけ言って、先輩はグローブを外した。


◇ ◇ ◇


着替えを終えたあと、菅野先生が俺たちを、グラウンドのすみのテントに集めた。


残った部員が並ぶ。


三年の鉄平先輩。

二年の俺、航平、大吾、小日向《こひなた》、西村《にしむら》。

一年の奏太、吉野《よしの》、堀《ほり》。

それに、マネージャーの七海《ななみ》。


選手は、九人。


数えなくてもわかる人数を、俺は頭の中で何度も数えていた。


「みんな、おつかれさま。……言いにくいんだけど、大事な話がある」


菅野先生は、国語の授業で教科書を読むときと同じ、ていねいな声で言った。

先生は俺のクラスの担任で、サッカーの経験はない。去年、ほかに引き受ける先生がいなくて、顧問になった人だ。


「学校の部活動規定で、部員が十一人に満たない部は、同好会に変わることになっている。七月末の時点で、だ」


「同好会になると、どうなるんですか」


大吾が、まじめな顔できいた。


「部費が出ない。グラウンドの優先使用権もなくなる。それから――」


先生は、少しだけ言葉を切った。


「秋の選手権予選に、学校の部として出られるかどうか、わからなくなる」


テントをたたく雨の音が、急に大きくなった気がした。


「は? それ、マジで言ってます?」


航平が、ベンチを蹴るように立ち上がった。


「九人でどうしろって言うんすか。あと二人、七月までに? サッカーやりたい一年なんて、もう全員どっかに入ってますよ」

「戸田《とだ》くん」

「だいたい、勝てない部に誰が入るんだよ。0対6だぞ、0対6」


誰も、言い返さなかった。

言い返せる言葉が、どこにもなかった。


「俺、ビラ作ります!」


突然、明るい声がした。小日向だった。


「今からでも遅くないって! 帰宅部のやつとか、野球部やめたやつとか、絶対いるから! なっ、湊!」


小日向は、公式戦にまだ一度も出たことがない。今日もずっとベンチだった。

それなのに、この中で一番、目が死んでいなかった。


俺は、うなずいた。

うなずくことしか、できなかった。


キャプテンなのに。


◇ ◇ ◇


みんなが帰ったあと、俺はひとりでグラウンドに残った。


雨は、いつの間にか上がっていた。

雲の切れ間から、夕焼けの名残りがのぞいている。濡れた芝が、うっすらと赤く光っていた。


ゴールの裏や、フェンスの下に、ボールが散らばっていた。試合後のどさくさで、誰も片づけなかったボールだ。


ひとつ拾うと、ずしりと重かった。雨を吸った表面が、指にからみつく。

海から吹く風が、濡れた髪を冷たくなでていく。カラスが一羽、鳴きながらねぐらへ帰っていった。


(俺に、何ができたんだろう)


奏太に「呼べ」と、声をかけられなかった。

先輩たちに、もっと本気でやろうと言えなかった。

航平の怒りに、何も答えられなかった。


俺がキャプテンになったのは、四月だ。三年生が誰もやりたがらなかったからだ。

「早瀬は真面目だから」。

理由は、それだけだった。


ポケットのスマホがふるえた。

父さんからのメッセージだった。


『何点取られた』


試合の結果をきくのに、「勝ったか」でも「どうだった」でもなく、「何点取られた」。


父さんは、知っているのだ。俺たちが勝てないことを。


俺は返信しないまま、スマホをポケットに戻した。


ボールを抱えて、最後のひとつを拾いにゴール裏へ回ったとき――。


空が、光った。


白い光の筋が、夜になりかけた空を横切っていく。

ひとつ、ふたつ……いや、もっとだ。いくつもの光が並んで海のほうから飛んできて、町の上で二つの方角に分かれていった。


そのうちのいくつかは、まっすぐ、こっちへ向かってくるように見えた。


「……なんだ、今の」


光は、すぐに消えた。

あとには、雨上がりの湿った空気と、遠くの波の音だけが残った。


流れ星にしては、低すぎた。飛行機にしては、速すぎた。


俺はボールを抱えたまま、しばらくその場から動けなかった。


あの光が何だったのか。

それを俺が知るのは、もう少しあとのことだ。


――七つの星が、俺のサッカーを、根こそぎひっくり返しにやってきたのだということを。


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