15話 0対8
九月二十三日。秋分の日。
聖覇学院のグラウンドは、丘のてっぺんにあった。
バスを降りて坂をのぼると、目の前が、いきなり開けた。
天然芝だった。
まるで、緑のじゅうたんだ。一本一本の芝が、短く、まっすぐに刈りそろえられている。朝露が、秋の日差しを受けて、きらきらと光っていた。
グラウンドを囲むように、コンクリートの観客席がある。その上の空は、雲ひとつない青だった。
「……ここ、本当に高校?」
小日向が、ぽかんと口を開けた。
観客席には、白いジャージの部員たちが、ずらりと並んでいた。
百人以上いる。
その全員が、俺たちが姿を見せたとたん、いっせいに声を上げた。
「せーいーはっ! せーいーはっ!」
腹の底にひびくような声だった。
足もとの芝が、その声でふるえているような気がした。
吉野と堀が、顔を見合わせて、青くなっていた。
俺は、観客席の一番はしに、一人だけジャージを着ていない男子がいるのに気づいた。
今井だった。
制服姿で、ひざにひじをついて、ぼんやりとグラウンドを見下ろしていた。
ベンチ外。その言葉の意味が、遠くからでもわかった。
航平も、気づいていた。
航平と今井の目が、一瞬だけ合った。
二人とも、すぐに目をそらした。
◇ ◇ ◇
スタメンは、連星システムで組んだ。
キーパー、鉄平先輩。
ディフェンス、ローデリックと大吾。ボルグ。ミロ。
中盤、タリク。セリオと俺。そして、サフィール。
前線、航平とゼノ。
ボルグは鉄平先輩と、ミロは航平と組む。それぞれの「連星」が、なるべく声の届く場所に立つ。
ベンチには、七海。それに、ゼノの「連星」の小日向と、奏太、西村、吉野、堀。
奏太は、前半はベンチから聖覇を見て、後半から入る。サフィールと菅野先生が決めた作戦だった。
整列したとき、向かいに、白いユニフォームの十一人が並んだ。
聖覇の七人は、全員がスタメンだった。
アズラクが、ボランチの位置に立っている。
その前に、灰色の髪のヴォルフ。金色の髪のナディム。影のように細いシェイド。日に焼けた肌のブラン。山のようなゴドー。それに、ミロとよく似た笑い方をするラシード。
七人の目が、それぞれ、自分と同じ国の相手を見ていた。
ヴォルフが、ローデリックを見て言った。
「お久しぶりです、団長」
ローデリックの顔が、こわばった。
「……ヴォルフ」
「団長に教わった剣で、団長を超えます。それが、わたしのここでの戦です」
ホイッスルが、鳴った。
◇ ◇ ◇
最初の失点は、三分だった。
ヴォルフが、ボールを持って、ローデリックに向かってきた。
ローデリックは、腰を落とした。
あの、航平のドリブルを何度も止めた構えだ。
ヴォルフは、右に行くと見せて――行かなかった。左にも、行かなかった。
ただ、止まった。
ローデリックが、一瞬だけ、前に体重をかけた。
その一瞬に、ヴォルフはボールを、ローデリックの股の下に通した。
あの日、紅白戦で、俺がローデリックにやったのと、同じことだった。
ローデリックの後ろを埋めるはずの大吾が、走りこむ。
でも、ヴォルフは、大吾が来る場所を知っていた。大吾が来る前に、もう、シュートを打っていた。
0対1。
「団長」
ヴォルフは、ゴールを決めても喜ばなかった。
「あなたは、弱くなった。仲間のうしろを気にする騎士は、剣がにぶる」
ローデリックは、何も言い返せなかった。
◇ ◇ ◇
それから先のことは、思い出したくない。
ゼノの最初の二十分は、シェイドにつぶされた。
ゼノがどれだけ速く動いても、シェイドはその影のように、ぴったりとついてきた。そして、ゼノが二十分で止まっても、シェイドは止まらなかった。
「……おまえは、昔から、一撃だけだったな」
シェイドが、息を切らすゼノの横を、軽々と走り抜けていった。
ミロのボール奪取は、ラシードに読まれた。
「盗賊が一番だまされやすいのは、盗賊にだ。教えただろ、ミロ」
ミロが奪いに行くと、ボールはそこにない。
ラシードは、ミロが動く前に、もうパスを出していた。
タリクが見つけたパスコースは、ブランが先回りしてつぶした。
ボルグの空中戦は、ゴドーにことごとく競り負けた。
そして、セリオは――。
前半二十八分。
聖覇のフリーキック。ボールの前に立ったのは、ナディムだった。
ナディムは、助走もなしに、右足を振った。
ボールは、壁の上を越えて、すとんと落ちた。
ゴールの、左上のすみ。
あの日、緑ヶ浜でセリオが決めたのと、まったく同じ場所だった。
ナディムは、振り向いて、セリオを見た。
セリオは、その場で、動けなくなっていた。
◇ ◇ ◇
何より、ショックだったのは、聖覇の日本人選手たちだった。
彼らは、七人に負けていなかった。
七人が個人で突破したあと、必ず、そこに誰かが走りこんでいた。
七人が奪われたら、すぐに誰かが奪い返していた。
鷹司監督の声が、ベンチからひびく。
短く、正確な指示。それに、十一人が、まるで一つの機械のように反応する。
一人ひとりが、最も強く。
そして、その強い一人ひとりを、完璧な指示で動かす。
それが、聖覇の――アズラクの「極める道」だった。
俺は、ずっと叫んでいた。
「ローデリック、前!」
「航平、走れ!」
「奏太、なんで出さないんだ!」
「セリオ、顔を上げろ!」
叫べば叫ぶほど、チームはばらばらになっていった。
後半、サフィールがピッチのまんなかで、声を上げようとした。
前半のあいだ黙って読み続けた聖覇の癖を、みんなに伝えようとしていた。
でも、俺の声が、それをかき消した。
「サフィール、いいから前に出ろ!」
サフィールは、一瞬だけ俺を見て、口を閉じた。
――俺が、勝たせなきゃ。
七人の命。七つの国の未来。
その重さが、俺の声を、どんどん大きくしていった。
気がつけば、俺は、誰の声も聞いていなかった。
大吾が「湊、ひざが」と言いかけたことにも。
奏太が何かを言おうとして、口を閉じたことにも。
航平が、ボールを受けるたびに、観客席の今井をちらりと見ていたことにも。
俺は、通訳をやめていた。
ただ、命令していた。
◇ ◇ ◇
最後のホイッスルが鳴ったとき、得点板には、こう書かれていた。
聖覇学院 8 潮見ヶ丘 0
観客席から、拍手が起きた。
相手をたたえる、礼儀正しい拍手だった。それが、何よりもつらかった。
整列のあと、アズラクが、サフィールの前に立った。
「見せてもらった。おまえたちの〈連星〉を」
アズラクの声には、あざけりも、勝ちほこった響きもなかった。
「束ねる道など、まぼろしだ。弱い者どうしを束ねても、強くはならない。――弱い者の数が、増えるだけだ」
サフィールは、何も答えなかった。
ただ、まっすぐに、アズラクを見返していた。
帰りのバスの窓から、夕焼けの丘が見えた。
白い校舎が、赤く染まっていた。
観客席には、まだ今井が、一人で座っていた。
バスの中は、誰も、何も言わなかった。
エンジンの低い音と、タイヤが道路のつなぎ目をこえる、ごとん、ごとんという音だけが、くり返し聞こえていた。
窓ガラスに映った俺の顔は、知らない誰かの顔みたいだった。




