14話 七人の対抗者
練習試合までの十日間、七人は変わった。
ローデリックは、誰よりも早くグラウンドに来て、誰よりも遅くまで残った。一人で、何十回も、何百回も、守備の姿勢をくり返していた。
ゼノは、シャトルランを毎日一人で走るようになった。二十分をすぎて足が止まっても、ひざに手をついて、また走り出す。
ミロは、いたずらをしなくなった。
ボルグは、おやつを食べなくなった。
そして、セリオは――。
「セリオ、どうしたの」
練習のあと、奏太が心配そうに声をかけていた。
セリオは、ベンチのすみで、ボールを抱えてうずくまっていた。
グラウンドの照明に照らされた横顔が、紙のように白い。
「……兄さんが、いるんです」
セリオは、消えそうな声で言った。
「聖覇に。今井さんの写真に写っていた、金色の髪の人。ナディムっていいます。僕の、兄さんです」
奏太は、何も言えずに、セリオの隣に座った。
秋の虫の声が、グラウンドのまわりの草むらから、波のように聞こえていた。
◇ ◇ ◇
九月十八日の夜。
俺は、七人が住んでいる家に招かれた。
学校の裏の坂道をのぼった先にある、古い一軒家だ。
瓦屋根に、木の門。庭には、誰も手入れをしていない柿の木が一本、青い実をつけていた。
「ミナト! よく来た!」
玄関を開けると、ローデリックが大きな声で迎えてくれた。
家の中には、いい匂いがただよっていた。
肉と、野菜と、何か知らない香草の匂い。
「今夜は、ボルグが故郷の料理を作った」
台所では、ボルグが大きな鍋の前に立っていた。
エプロンが、まるでハンカチみたいに小さく見える。
「岩の国の、戦士の煮こみだ。この国の材料で作ったから、少しちがうがな」
居間のちゃぶ台を囲んで、八人で鍋をつついた。
肉はほろほろにやわらかくて、少しだけ甘くて、それから、ぴりっと辛かった。
口の中で、知らない香りが、ふわっと広がる。
「……うまい」
思わず声がもれると、ボルグは、うれしそうに鼻をふくらませた。
ミロが、ジャガイモの取り合いでゼノともめていた。
タリクは、庭の柿の木の話をしていた。
セリオは、少しだけ笑っていた。
戦いの前の夜とは思えないほど、あたたかい時間だった。
――玄関のチャイムが鳴るまでは。
◇ ◇ ◇
チャイムの音に、七人の動きが、いっせいに止まった。
ゼノが、音もなく立ち上がった。
ローデリックの手が、腰のあたりにのびた。そこに、剣はないのに。
サフィールが、静かに玄関へ向かった。
引き戸を開けると、そこに、二人の男子が立っていた。
銀色の髪の、アズラク。
そして、金色の髪の――ナディム。
居間の奥で、セリオが息をのむ音がした。
「夜分に失礼する」
アズラクは、礼儀正しく頭を下げた。
ちゃぶ台の前に座っている俺に気づいて、少しだけ眉を上げた。
「ほう。〈長〉もいたか」
アズラクは、サフィールに向かって、またあの知らない言葉で何かを言いかけた。
そして――ふと、やめた。
「……いや。この者にも、聞かせたほうがいい」
アズラクは、日本語で言った。
「サフィール。おまえは、この者たちに、まだ何も話していないのだろう。わたしたちが、なぜこの世界に来たのかを」
この世界。
その言葉が、俺の耳に、はっきりと届いた。
「やめろ、アズラク」
サフィールの声が、するどくなった。
「この者たちに、背負わせることではない」
「背負わせる?」
アズラクは、静かに笑った。
「ちがうな、サフィール。知らずに戦わせるほうが、よほど残酷だ」
◇ ◇ ◇
その夜、俺は、すべてを聞いた。
月が七つある世界のこと。
千年のあいだ、七つの国が戦い続けてきたこと。
戦を終わらせるために、天秤の塔の評議会が、この世界の「球の儀式」――サッカーを選んだこと。
七つの国から、二人ずつ。
十四人の若者が、二つの組に分けられて、この町へ送られたこと。
「一つは、一人ひとりの力を、極限まで磨く道。わたしたち、聖覇の七人だ」
アズラクは、淡々《たんたん》と言った。
「もう一つは、ちがう者どうしを束ねる道。サフィールたち、潮見ヶ丘の七人だ。――どちらの道が勝つかで、七つの国の未来の形が決まる」
俺は、言葉が出なかった。
信じられるはずがない。
異世界なんて。魔法の国なんて。
でも。
体育館で、出入り口を確かめていた目。
誰にも気づかれずに移動する足。
「戦で負けたことは一度もない」という言葉。
花火の夜の、「月が、ひとつしかない」。
全部が、一本の線でつながってしまった。
「……負けた道の七人は、どうなるんだ」
俺は、ようやく声をしぼり出した。
部屋の空気が、ぴんと張りつめた。
アズラクは、まっすぐに俺を見た。
「故郷に戻され、兵として、前線に立つ」
ちゃぶ台の上で、鍋の湯気が、ゆっくりと立ちのぼっていた。
「千年の戦の、一番危ない場所にな。……少なくとも、わたしたちは、そう聞かされている」
ローデリックが、こぶしを床に押しつけていた。
ゼノは、壁にもたれて目を閉じている。
セリオは、両手で顔をおおっていた。
「だから、わたしは負けない」
アズラクの声は、少しもゆらがなかった。
「わたしの後ろには、六人の命がある。勝つためなら、何でもする。――それが、わたしの剣の握り方だ」
己の剣は、己で握れ。
ローデリックの掟と、同じ言葉だった。
同じ言葉なのに、まるでちがう意味に聞こえた。
◇ ◇ ◇
帰りぎわ、ナディムが、居間のすみのセリオを見下ろした。
「相変わらずだな、セリオ」
冷たい声だった。
「故郷の弓くらべでも、おまえはいつも、最後の一本で手がふるえた。臆病者は、また後ろでふるえていろ」
セリオは、何も言い返さなかった。
ただ、両手をひざの上で、ぎゅっとにぎりしめていた。
そのとき、ナディムが、ほんの一瞬だけ、セリオから目をそらした。
まるで、自分の言葉に、自分で傷ついたみたいに。
俺には、そう見えた。
玄関の引き戸に手をかけて、アズラクが振り向いた。
「二十三日。聖覇のグラウンドで待っている」
少しだけ口のはしを上げた。
「おまえたちの〈連星〉とやらを、見せてもらう」
引き戸が閉まった。
連星。
その名前は、部室のホワイトボードにしか書いていないはずだった。
「……シェイドだ」
ゼノが、壁にもたれたまま、低くつぶやいた。
「影の国の、俺の同期。この何日か、グラウンドのまわりに気配があった。――見られていた」
◇ ◇ ◇
その夜、サフィールが、俺を坂道の下まで送ってくれた。
街灯の白い光の下で、虫が小さな輪をえがいて飛んでいる。
どこかの家から、テレビの笑い声がもれてきた。この町の、いつもの夜の音だった。
「ミナト。頼みがある」
サフィールは、立ち止まって言った。
「今夜のことは、ほかの者たちには話さないでほしい」
「……なんで」
「コウヘイも、ダイゴも、テッペイも、カナタも。みんな、自分のことで精いっぱいだ。受験や、ひざや、くやしさや……。その上に、わたしたちの世界の重さまで、のせたくない」
サフィールは、俺の目を見た。
「これは、わたしたち七人の戦だ。おまえたちには、ただ、サッカーをしてほしい」
俺は、うなずいた。
うなずいてしまった。
坂道をおりながら、何度も、振り返りたくなった。
背中に、何か重いものが乗っている気がした。
七人の命。七つの国の未来。
それを知っているのは、日本人の中で、俺だけだった。
――俺が、勝たせなきゃ。
その夜から、その言葉が、頭の中で鳴りやまなくなった。




