12話 戦の終わりから地図を描け
八月三十一日。夏休みの最後の日。
朝から、空が低く曇っていた。部室の窓をたたく風に、ほんの少し、秋の冷たさがまじっている。
練習は休みだった。
でも、俺は朝から部室にいた。
ホワイトボードには、昨日の試合の図を書いた。
四つの失点。それぞれ、誰が、どこで、何を見ていたのか。
書けば書くほど、わかってくる。
一人ひとりのミスじゃない。
十一人が、ばらばらの言葉でサッカーをしていた。それが、四失点の正体だった。
部室のドアが開いた。
七海だった。手に、ノートとペンケースを持っている。
「……やっぱり、いた」
「七海こそ、なんで」
「なんとなく。湊がいると思ったから」
七海は、ホワイトボードの図を見て、少しだけ目を細めた。
またドアが開いた。
ローデリックだった。
その後ろに、ボルグ。ミロ。タリク。セリオ。ゼノは、いつの間にか窓わくに座っていた。
そして最後に、サフィールが入ってきた。
続いて、鉄平先輩、大吾、小日向、奏太、西村、吉野、堀。
誰も、連絡なんてしていなかった。
それなのに、気がつけば、部室には十六人のうち十五人がそろっていた。
いないのは、航平だけだった。
◇ ◇ ◇
最初に口を開いたのは、サフィールだった。
彼は、ホワイトボードの前に立ち、みんなに向かって、深く頭を下げた。
「わたしの十一人は、負けた」
部室が、しんとなった。
「数字を信じた。一人ひとりが最も強ければ、勝てると思った。わたしの国では、そう教わってきた。……まちがっていた」
サフィールは、顔を上げなかった。
「ミナトの十一人を選んでいれば、少なくとも、四点は取られなかったはずだ。みんなに、恥をかかせた。すまない」
誰も、何も言えなかった。
ローデリックが、何か言いかけて、やめた。
ミロは、自分の退場のことを思い出したのか、ひざを抱えた。
俺も、何を言えばいいのか、わからなかった。
そのとき。
「……あの」
小さな声がした。
みんなが、声のほうを見た。
セリオだった。
一番うしろの席で、両手をひざの上でにぎりしめて、真っ赤な顔をしていた。
セリオが、自分から何かを言おうとするのは、初めてだった。
「か、風の国の……掟を、言っても、いいですか」
サフィールが、ゆっくりと顔を上げた。
セリオは、息を吸った。
そして、震える声で、でも、はっきりと言った。
「――戦の終わりから、地図を描け」
◇ ◇ ◇
「僕の国の、弓の教えです」
セリオは、ぎゅっと目をつぶって、続けた。
「弓を引くとき、矢を放つ前に、獲物が倒れた姿を、先に見るんです。矢がどこを飛んで、どこに刺さって、獲物がどう倒れるか。その終わりが見えてから、初めて弦を放す」
セリオは、目を開けた。
「終わりが見えていない矢は、どこにも当たりません。……昨日の僕たちは、たぶん、終わりが見えていなかったんだと思います」
部室が、静まり返った。
「僕、フリーキックのとき、ゴールに入るところが見えました。だから、入った」
セリオの声が、少しだけ強くなった。
「でも、そのあと、試合がどう終わるのかは、何も見えなかった。みんなで勝つところが、全然、見えなかった」
それは、ずっと「当たってしまいました」としか言えなかったセリオの、初めての、自分の言葉だった。
俺は、ホワイトボードの前に立った。
「……戦の終わりから、地図を描く」
マーカーのふたを、外す。
「じゃあ、俺たちの終わりって、何だ?」
ホワイトボードの、右はしに、大きく書いた。
『十一月 選手権予選 決勝 勝つ』
部室のあちこちで、息をのむ音がした。
「け、決勝って……」
吉野が、目を丸くした。
「うち、初戦も勝ったことないっすよ」
「わかってる」
俺は、マーカーを持ったまま、みんなのほうを向いた。
「でも、セリオの言うとおりだと思う。終わりが見えてないから、どこに向かって走ればいいのかわからないんだ。だったら、一番遠い終わりから、逆に考えてみよう」
右から左へ、線を引く。
『十一月 決勝』
『十月 準決勝、準々決勝』
『九月 予選開始』
『今』
「決勝で勝つチームって、どんなチームだ?」
最初に答えたのは、意外にも、ボルグだった。
「……一人が倒れても、崩れない陣だ」
タリクが続いた。
「全員が、同じ獲物を見ている群れ」
鉄平先輩が、腕を組んだまま言った。
「九十分、しゃべり続けられるチームだな。緑ヶ浜みたいに」
大吾が、小さな声で言った。
「……誰かがきつい時に、誰かが代わりに走れるチーム」
みんなの言葉を、俺は一つずつ、ホワイトボードに書いていった。
最後に、その全部を丸で囲んで、一言だけ書き足した。
『十一人で、一つ』
◇ ◇ ◇
俺とサフィールと七海で、新しい布陣を考えた。
ホワイトボードに、十六人の名前のマグネットを並べる。
サフィールが、昨日の失点の場面を、一つずつ説明する。俺が、そのとき日本人の誰が何を見ていたかを話す。七海が、二人の話をノートにまとめていく。
二時間たっても、答えは出なかった。
七人の力を生かせば、つながらない。
つなごうとすれば、七人の力が死ぬ。
「……二人一組、っていうのは、どうかな」
七海が、ぽつりと言った。
「七人の一人ひとりに、日本人の誰かが、いつもそばにいるの。通訳みたいに」
通訳。
菅野先生の言葉が、頭の中でひびいた。
俺は、マグネットを動かし始めた。
ローデリックと、大吾。
ローデリックの声と判断に、大吾の九十分の走力を合わせる。ローデリックが前に出たら、大吾が後ろを埋める。
ボルグと、鉄平先輩。
空中戦のボルグと、ゴール前を見わたせる鉄平先輩。鉄平先輩の声で、ボルグが動く。
タリクと、奏太。
タリクの広い視野と、奏太の足もとの技術。タリクが見つけた道に、奏太がボールを通す。
セリオと、俺。
セリオは、的が見えれば外さない。だったら、的を見つけるのは、俺の仕事だ。
ミロと、航平。
ボールを奪う天才と、ボールを持たずに動く天才。ミロが奪った瞬間、航平がもう走り出している。
「ゼノは?」
七海がきいた。
俺は、ゼノと、小日向のマグネットを並べた。
「ゼノは、最初の二十分で、一撃を決める。止まったら、小日向が代わりに入って、残りの七十分を走りきる。……二人で、一つのポジションだ」
窓わくに座っていたゼノが、ちらりとこちらを見た。
小日向は、「え、俺!?」と言って、自分の顔を指さしていた。
最後に、サフィールのマグネットが残った。
サフィールは、自分の名前のマグネットを、しばらく見つめていた。
それを手に取って――ピッチのまんなかに置いた。
そして、七海のマグネットを、ベンチの位置に置いた。
「わたしの連星は、ナナミだ」
サフィールは、静かに言った。
「昨日の試合で、わかった。わたしの言葉は、戦の言葉だ。叫んでも、誰にも届かない。だから前半は、黙って読む。相手の癖も、味方の疲れも、すべて。ナナミは外から、同じものを読んでくれ。ハーフタイムに、二人の読みを合わせる。そして後半、わたしがピッチの上から動かす。……みんなに伝わる言葉で。その言葉は、ミナトに習う」
七海が、少し驚いた顔で、サフィールを見上げた。
こくりとうなずいた。
その頬が、ほんのりと赤く見えたのは、窓から差しこむ光のせいだったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
ホワイトボードの上に、二つずつ並んだマグネットができあがった。
それを見て、七海が言った。
「……連星みたい」
「れんせい?」
ローデリックがきき返した。
「二つの星が、おたがいの重さで引き合って、回っている星のこと。遠くから見ると、一つの星に見えるの」
七海は、ホワイトボードの前に立って、マグネットを指でなぞった。
「一つずつだと、ちがう星。でも、二つで一つ。……そういう星が、空にはたくさんあるんだって」
サフィールが、その言葉をくり返した。
「連星」
彼の目が、ほんの少し、うるんで見えた。
「わたしたちの空にも、そういう星があればよかった」
その言葉の意味を、俺はまだ、きけなかった。
「じゃあ、名前は『連星システム』で決まり!」
小日向が、勝手に宣言した。
部室に、やっと笑い声が戻った。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
俺は、ホワイトボードの写真を撮って、航平に送った。
『ミロと、二人一組。おまえがいないと、成り立たない』
既読がつくまで、三十分かかった。
返事は、来なかった。
でも、翌朝。九月一日の朝練に、航平は一番に来ていた。
グラウンドのすみで、ミロと二人、何かを言い合いながら、ボールを奪い合っていた。
朝露にぬれた芝が、二人のスパイクの下で、きゅっ、きゅっと鳴っていた。
◇ ◇ ◇
その日の放課後。
菅野先生が、一枚のプリントを配った。
『全国高校サッカー選手権大会 神奈川県予選 組み合わせ抽選会 九月十日』
「いよいよだね」
先生の声は、少しだけ弾んでいた。
俺は、プリントを見つめながら、ふと、窓の外に目をやった。
遠くの丘の上に、白くて大きな校舎が見える。夕日を浴びて、校舎の窓がいっせいに金色に光っていた。
県内で一番強い、聖覇学院。
そのとき、窓わくに座っていたゼノが、小さくつぶやいた。
「……あの丘から、同じ匂いがする」
「匂い?」
ゼノは、答えなかった。
ただ、獲物を見つけた狩人のような目で、白い校舎を見つめていた。
その横で、サフィールが、静かにまぶたを閉じた。
まるで、ずっと前から知っていたことを、ようやく受け入れるように。
うまくいかない日にも、あなたのとなりに声をかけてくれる仲間がいますように。
第2章「最強の素人たち」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
異世界の戦の知恵が、少しずつサッカーの言葉に変わりはじめました。
★評価やブックマークは、部室のホワイトボードに書きこまれる応援メッセージのように、作者の力になります。これからもよろしくお願いします。




