10話 日本人の意地
八月十三日。合宿の最終日。
紅白戦は、学校のグラウンドで行うことになった。
民宿から自転車で戻る途中、誰もしゃべらなかった。昨日の花火の夜がうそみたいに、みんなの顔が引きしまっていた。
朝の海はないでいて、鏡のように光っていた。
日本人チームは、鉄平先輩、俺、大吾、小日向、西村、奏太、吉野、堀の八人。
七人チームは、七人。
「キーパーは、どうする?」
俺がきくと、七人は顔を見合わせた。
少しの話し合いのあと、ボルグがのそりと前に出た。
「手を使っていいのは、門番だけなのだろう。俺がやる。門を守るのは、得意だ」
ボルグがゴールの前に立つと、ゴールがひと回り小さく見えた。
試合開始まで、あと五分。
俺は、何度も校門のほうを見ていた。
『考えとく』
あのメッセージから、一週間。航平は、結局、合宿には一度も来なかった。
「湊」
鉄平先輩が、グローブをはめながら、あごで校門をしゃくった。
自転車が一台、坂道をのぼってくる。
荷台に、見慣れたスパイクのバッグがくくりつけられていた。
航平だった。
航平は、グラウンドの手前で自転車を止めると、無言でスパイクにはきかえた。
誰とも目を合わせず、日本人チームの列の一番はしに立つ。
「……別に、戻ったわけじゃねえから」
航平は、前を向いたまま言った。
「あいつらに、負けっぱなしなのがムカつくだけだ」
小日向が、泣きそうな顔で航平に抱きつこうとして、よけられた。
◇ ◇ ◇
九人対七人。
「人数が、ちがいすぎないかな」
審判をする菅野先生が、心配そうに言った。
ローデリックが、胸を張った。
「数の差など、問題にならぬ。我らは七人で、百の兵と戦ったこともある」
菅野先生は、困ったように笑って、笛をくわえた。
試合時間は、前半二十分、後半二十分。
キックオフの前、俺は日本人チームの八人を集めた。
戦術ノートを開く。この一週間、毎晩書き続けたページだ。
「作戦は、三つだけ」
俺は、指を一本ずつ立てた。
「一つ目。ボールをもらったら、すぐ離す。ワンタッチか、ツータッチで。ミロとローデリックは、ボールを持ってるやつを読むのがうまい。だから、持たなきゃいい」
「二つ目。いつも、三角形を作る。ボールを持ってるやつのまわりに、必ず二人。パスコースを二つ用意する」
「三つ目。――前半の二十分は、耐える」
みんなが、俺を見た。
「ゼノは、二十分で止まる。そこからが、勝負だ」
航平が、少しだけ眉を上げた。
でも、何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
笛が鳴った。
最初の五分で、ゼノが点を取った。
ゼノがボールを持った瞬間、日本人チームの誰も、彼の姿を追えなかった。
右に行ったと思ったら、もう左にいる。大吾が飛びこんだときには、もう大吾の後ろにいる。
鉄平先輩が飛び出したが、ゼノは先輩の動きを最後まで見てから、反対側にボールを流しこんだ。
0対1。
「くそっ」
大吾が、地面をたたいた。
「下を向くな!」
俺は、叫んだ。
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
「作戦どおりだ! 耐えるぞ!」
日本人チームは、ひたすら耐えた。
ボールを持ったら、すぐ離す。三角形を作る。
ミロが何度もボールを奪いに来たが、奪う前に、ボールはもう次の選手の足もとにあった。
「えー! なんで!? 取れないんだけど!」
ミロが、本気でくやしそうな声を上げた。
「持ってないやつからは、盗めねえだろ」
吉野が、得意げに言い返した。
◇ ◇ ◇
前半十五分。
二点目は、最悪の形で生まれた。
セリオが、センターライン付近で、フリーでボールを持った。
俺の位置からは、遠すぎて間に合わない。
一番近くにいたのは、奏太だった。
奏太は、気づいていた。
セリオのシュートコースが空いていることに。大吾が一歩右にずれれば、コースがふさがることに。
奏太の口が、開きかけた。
――大吾先輩、右です。
その一言が、出なかった。
先輩に、指示なんて。
一年の自分が、二年の先輩に、そんなこと。
ためらった、ほんの一秒。
セリオの右足が振り抜かれた。
四十メートルのロングシュート。
ボールは、ゆるやかな弧を描いて、鉄平先輩の指先のさらに上を越え、ゴールの右すみに吸いこまれた。
0対2。
奏太は、その場に立ちつくしていた。
くちびるを、かみしめていた。
俺は、奏太の肩をたたいた。
「見えてたんだろ、今の」
「……はい」
「次は、言え。先輩とか、関係ないから」
奏太は、何も答えなかった。
でも、こぶしを、ぎゅっとにぎっていた。
◇ ◇ ◇
前半二十分。
予想どおり、ゼノの足が止まった。
センターサークルのあたりで、ひざに手をついて、肩で息をしている。もう、走れない。
七人チームは、実質六人になった。
「行くぞ!」
後半が始まると同時に、日本人チームは前に出た。
ボールを回す。三角形。ワンタッチ、ツータッチ。
七人は、ボールを追いかけ回した。でも、追いつく前に、ボールは次へ移っていく。
一人ひとりの速さでは、七人にかなわない。
でも、ボールは、人より速く走れる。
後半五分。
俺は、ボールを持って顔を上げた。
ペナルティエリアの手前。ローデリックが、俺の前に立ちはだかっている。その目は、俺の足と、腰と、ボールを、同時に見ていた。
そして、その後ろ――ローデリックの死角で、航平が動き出していた。
ボールを持っていない航平を、ローデリックは見ていなかった。
俺は、ローデリックの股の下を通すように、ボールを送り出した。
航平が、走りこむ。
ボルグが、両手を広げて飛び出してくる。
航平は、ボルグの動きを最後まで見てから、ボールを軽く浮かせた。
ボールは、ボルグの指先をかすめて、ゴールに転がりこんだ。
1対2。
航平は、ゴールの前で、こぶしを小さくにぎった。
ちらりと俺のほうを見た。
何も言わなかった。
でも、その目は、一年の夏、初めていっしょに試合に出たときと同じ目をしていた。
◇ ◇ ◇
後半の十五分間で、試合はがらりと変わった。
七人が、初めて「パス」を出し始めたのだ。
ローデリックが、一人で突進しかけて――止まった。
そして、横にいたタリクに、ボールを預けた。
ぎこちない、ゆっくりしたパスだった。
でも、それは、俺が見た七人の、初めてのパスだった。
タリクは、そのボールを受けると、まるで最初からそこにパスが来るのを知っていたかのように、すぐに前のセリオへつないだ。
しかし、セリオのトラップが大きくなった。
こぼれたボールを、西村が奪う。
「前!」
奏太が、叫んだ。
それが、奏太の声だと気づくのに、少し時間がかかった。
西村が、前へ大きく蹴り出す。ボールは、右サイドを走っていた小日向の前へ。
小日向は、一年の秋に入部してから、公式戦に一度も出たことがない。
練習試合でも、ほとんどベンチだった。
その小日向が、ボールを持って、ゴール前まで走りこんでいく。
ボルグが飛び出す。
小日向は、目をつぶって、思いきり右足を振り抜いた。
ボールは、ボルグの大きな体の、わきの下をすり抜けた。
2対2。
一瞬、グラウンドが静まり返った。
それから――。
「は、入った……? 入った!? 俺の!? うそだろおおおおお!」
小日向が、グラウンドを一周する勢いで走り出した。
吉野と堀が追いかけ、西村が追いかけ、最後は大吾まで追いかけて、みんなで小日向の上に折り重なった。
その輪の少し外で、航平がそっぽを向いて笑っていた。
◇ ◇ ◇
試合は、2対2のまま終わった。
日本人チームは、全員、グラウンドにあおむけに倒れていた。
空が、夏のおわりの色をしていた。背中の下の芝が、ひんやりと気持ちよかった。
「ねえ」
声がして、横を見ると、ミロが航平の顔をのぞきこんでいた。
「さっきの一点目。どうやったの? ボール持ってないのに、どうして団長をぬけたの?」
航平は、いやそうな顔をした。
「……教えるかよ」
「えー、いいじゃん。教えてくれたら、俺の盗みのコツ、一個教えてあげる」
航平は、しばらくミロをにらんでいた。
ため息をついて、上半身を起こした。
「……ディフェンスってのはな、ボールを見るんだよ。だから、ボールを持ってないやつは、そのすきに、見られてない場所に動くんだ」
「へー! それって、盗みと同じだね! 見られてないときに、動く!」
「いっしょにすんな」
二人のやりとりを聞きながら、俺は、少しだけ笑った。
ふと見ると、サフィールが、ベンチで一人、ノートに何かを書きこんでいた。
俺の戦術ノートと同じような、矢印と丸がいっぱいの図だった。
サフィールは、俺に気づくと、ノートを閉じて言った。
「ミナト。今日、一つわかった」
「なにが」
「つなぐことは、走ることより速い」
サフィールは、グラウンドに倒れている仲間たちを見わたした。
「そして、わたしの十一人には、それがない」
その声は、悔しそうでもあり、どこか、うれしそうでもあった。




